11-1.全部でまかせってことで




 一時は危うかった食事会も、最終的には丸くおさまった。

 今は帰宅し、リビングでボードゲームの真っ最中。なんでも、昨日ゆりちゃんが納戸で探し物をしていた時に偶然、学生時代に遊んでいたものを見つけたらしい。

 ちなみにお祖父様はすでに寝室。昼ドラの悪役みたいなスペックを持つあの人も、早寝早起きのご老人である。



「さっちゃん、さっきはごめんねぇ……」


「大丈夫よ、気にしていないから。でもお祖父様の前では気を付けたほうがいいわよ」


「うん」



 シャーッとルーレットを回して、五が出たのでコマを進める。

 ゲームは始まったばかりなので、車には私一人しか乗っていない。気ままで優雅なドライブ旅である。……と思ったらさっそく交通事故にあって二回休むことになった。多額の保険金が入ってきたけど、宝生寺桜子として交通事故は縁起が悪すぎる。

 現実になりませんよーに!!



「そんなことより、なにか面白い話ないの?」


「花梨の数学の成績がボロクソだった話は?」


「お兄ちゃんだって古典の成績ズタボロじゃん!」


「せっかくの春休みに成績の話はやめにしない?なんか、もっとこう……花のある話をしましょうよ」


「じゃああんた達の恋愛事情を、このお姉様に話しなさい」



 アラサーの発言に、「えーッ!」と十代の声が重なった。



「紗百合おばさん、自分が枯れてるからって俺らに求めないでよ」


「してもいいけど、わたし達の若くてキラキラしてる日常は三十路にはキツいんじゃない?」


「……あんた達、こういう時だけは橙介だいすけ兄さんにそっくりね」



 橙介とはゆりちゃんの兄で、伊蕗と花梨の父親。私にとっては叔父にあたる人のこと。

 揃ってニヤニヤと笑う二人は、確かに橙介叔父様に似ている気がした。



「桜子!あんたなら何かあるでしょ!」


「えっ私?!どうして?!」


「この中で共学なのは桜子だけよ!出会いなんてそこらじゅうに転がってるでしょう?」


「うわぁ、共学への偏見がすごい」



 ゆりちゃんは幼稚舎から大学まで雅が丘女学院だったから、共学に夢でも見ているんだろうか。

 残念ながらあなたの姪は、男子から恐れられるスクールカースト二位の女です。下手をしたら外部生の女子からも避けられています。惚れた腫れたなんて話は二の次で、そもそも私と気兼ねなくおしゃべりしてくれる人は、男女含めて絶滅危惧種並みの少なさです。うっ、自分で言ってて泣きそうだ。



「私は、そういうのはまったく――」


「えー!うっそだぁ!」



 ない、と言葉を続けようと思ったら、それより早く花梨が大きな声でそう言った。

 嘘じゃないわよ。花梨は知らないでしょうけど、私は毎朝、正門から校舎まで大名行列をさせられてるのよ。モテるわけがないし、告白とやらなんてされたこともしたことも一度だってない。



「雅女で有名だよ、成瑛のジュリエットとリュシアンとアルブレヒトの話!」


「ジュリエット?えっ、なに?成瑛に交換留学制度はないわよ?」


「ちーがーう!ジュリエットがさっちゃんのことで、リュシアンが壱之宮コンツェルンの御曹司。アルブレヒトが……えっと、壱之宮の御曹司の親友で、雪村?ハーフのイケメン?三人の話、すっごい有名なんだから!」



 時が、止まった。

 伊蕗が私の顔を見て、「ジュリエット?お前が?」と指をさしてくる。

 私も伊蕗の顔を見て、「ジュリエット?私が?」と自分を指さす。

 ゆりちゃんは得意げに語る花梨を見て、口を両手で押さえて肩を震わせている。

 最初に限界をむかえたのは、伊蕗だった。



「ブッハ!じゅ、ジュリエット?!桜子が?桜子が……ジュリ、アハハハッ!」


「ちょ、んふふっ、いぶき、そんなに笑わないで……!わ、私が一番……ふはっ!あっははははは!」


「ふふふっ、イヤだわ、雅が丘ってまだ他校の子の恋愛話をバレエに例えてるの?私がいた頃と何も変わってないじゃない。ふふっ」



 ゲームを放り出して、クッションを叩いたり床をのたうちまわったりして笑いだした私達に、花梨は拗ねたように頬を膨らます。


 リュシアンって、まさかパキータのフランス将校のリュシアン?秋人が?似合わなすぎて、こんなの笑うしかない。

 それに壱之宮の御曹司の親友って、どう考えても雪城くん。それがジゼルのアルブレヒト?ちょっと似合うのがなお可笑しい。笑うしかない。

 極めつけは私がジュリエットって……!ロミオは誰なの?相手もいないのに後追い自殺はできません!これはこれで笑うしかない。



「あっははははは!なによそれ、さすが雅が丘!例えがバレエって!ひい、ひい、おなかいたい……あはははははははっ、ゴホッ、けほっ」


「そんなに笑うことないじゃん!本当に有名なんだよ?さっちゃん達の三角関係の話!」


「へぇ~三角関係ねぇ。んっふふふっ…………はあん??」



 ちょっと待って花梨ちゃん。今、なんて言いました?

 さんかくかんけい?はあ?誰と、誰と、誰が?



「な、なによそれ!どういうこと?!」



 私が花梨に詰め寄るのと、お腹を抱えて笑っていた伊蕗とゆりちゃんが正気に戻るのはほぼ同時だった。



「おい花梨!桜子が三角関係ってなんだ?!」


「詳しく教えなさい!」


「え、えっと、高等科の人達が言ってる話なんだけど……。三人は幼馴染みなんだけど、さっちゃんと壱之宮の御曹司はお互い片思いしてて、アルブレヒトもさっちゃんの事が好きで、でも今の関係を壊したくないから誰も好きって言わない三角関係って話らしいよ」


「ヒィイイイイ!」



 なにその少女漫画のテンプレみたいなこじれた三角関係!事実無根!嘘八百!

 ゾワワワッと身の毛がよだつ話に、さっきまでバシバシ叩いていたクッションを引き寄せ抱きしめた。

 伊蕗とゆりちゃんが私を見てくるので、全力で首を横に振って否定する。きっと私の顔は真っ青だろう。京都に来て治まっていたじんましんまで再発しそうだ。

 あと雪城くんのことアルブレヒトって言うにやめて。すっごいジワジワくるから。油断すると笑いそうになるの。



「花梨、どこからそんな恐ろしい話を聞いたの?」


「高等科にお姉さんがいる、同じクラスの子だよ。わたしとさっちゃんが従姉妹って知って、本当かどうか聞きにきたの」


「いつ頃……?」


「たぶん、去年の秋?」



 け、けっこう前ーーーーーー!



「それを聞いて、なんて言ったの?」


「デマじゃない?って言ったよ。さっちゃんからそういう話、聞いたことなかったもん」


「さすがよ花梨!ありがとう!」



 クッションを放り投げ、花梨を力いっぱい抱きしめた。

 ああ、なんて素晴らしい従妹なんだろう。一緒になって噂話に花を咲かせるどころか否定してくれるなんて、感動のあまり涙が出そうだ。

 ぎゅうぎゅう抱きしめて褒めると、最初は嬉しそうにしていた花梨は「さっちゃん、苦しい」と腕をタップしてきた。あ、ごめん、つい力が……。



「否定されてそんなに喜ぶって、どんだけ嫌なんだよ」


「嫌に決まってるでしょう!伊蕗は知らないでしょうけど、あの二人は成瑛でファンクラブができるぐらいなのよ?もしそんな噂が成瑛に届いてみなさい、私が学園中の女子を敵にまわすことになるわ!私まだ死にたくない!」



 それだけじゃない。

 私と秋人がお互い片思いしてるなんてデマが、うちのお母様と秋人の母親の耳に入りでもしたら、嬉々として婚約の話を進められてしまう。

 私が秋人のことが好きなんてデマが、現時点で私を疑っている雪城くんの耳に入りでもしたら、本格的に秋人と千夏ちゃんの破局を目論む敵とみなされる。

 秋人が私のことが好きなんてデマが、千夏ちゃんの耳に入りでもしたら、ようやく実った恋を踏みにじることになってしまう。

 雪城くんが私のことが好きなんてデマが、フランスにいるらしい婚約者だか恋人だかの耳に入りでもしたら、今度こそキャットファイトまったなしだ。


 そんな真実が一つもない話、関係者の誰の耳に入っても待っているのは地獄。

 最悪の場合、私は『ひまわりを君に』の宝生寺桜子と同じ様に、主人公の恋路を邪魔する悪役としてトラックにひかれて強制退場させられるかもしてない。

 今までの努力が水の泡になってしまう。それだけはなんとか阻止しなければ!



「花梨!一生のお願いよ!その噂はデマだってことを、雅が丘に広めてちょうだい!」



 パンッと両手を合わせて頭を下げる。

 雅が丘女学院に知り合いは何人かいるけれど、頼み事ができるぐらいの関係なのは花梨しかいない。一番信頼できるのだって、私をさっちゃんと呼んで慕ってくれるこの可愛い可愛い従妹だ。



「さっちゃんがそう言うならやるけど……でも一番広まってるのは高等科だから……」


「そもそも、その手の噂を消すのって苦労するわよ」



 中断していたゲームを再開しながら、ゆりちゃんが眉根を寄せながら言った。



「私達は桜子の性格も知ってるし、今の嫌がりっぷりも見てるからデマだって信じられるけど、下手に否定すると照れ隠しと思われて余計に話が広がるわよ」


「あー……あり得るな、それ。女子ってそういう話好きだもんな」



 んなあああああっ!これだから思春期の恋愛脳女子は嫌いなのよ!

 なんでもかんでも恋愛に結びつけやがって!どうせ噂を流すなら、その二人以外にしてよ!どうしてよりによって秋人と雪城くんなのよ!?

 しかも『ひまわりを君に』の第二部がもう少しで始まるっていう今のタイミングでそんな噂が流れてると知るなんて、最悪としか言いようがない。いつか絶対に噂の出所を突き止めて文句言ってやる!



「私まだ死にたくない。五体満足で幸せな老後を送りたい……」


「一番手っ取り早いのは、誰か一人にでも恋人がいることね。そうすれば三角関係は崩れるわよ」


「さっちゃん、彼氏いないの?いっそ好きな人とか」


「いるわけないでしょう。…………あっ」


「えっ?!まさかいるの?」


「私じゃなくて、雪城くん……アルブレヒトって呼ばれてる人になら婚約者だか恋人だかがいるわ」



 一瞬、秋人にも千夏ちゃんという大変可愛らしい恋人がいると言おうと思った。

 でも雅が丘に秋人と千夏ちゃんの関係を広めると、巡りめぐって成瑛にもその話が伝わってきてしまうかもしれないし、そうなればまた千夏ちゃんが攻撃の対象になってしまう。そして二人の関係を広めたのが私だと突き止められたら、それこそ少女漫画の宝生寺桜子と同じだ。

 例え信頼できる親戚にも、秋人と千夏ちゃんのことは言えない。

 雪城くんもフランス美女のことは隠したいらしいけど、すべてを丸くおさめるためだ。生け贄になってもらおうじゃないか。



「雪城くんはお祖父様がフランスの方でクオーターなんだけど、フランスにそういう感じの女性がいるそうなの。腕を組んで歩いているのを見たって子がいるわ」


「ああ、それ使えるわね。決まった人がいるなら、三角関係は崩れるわ」


「じゃあ雅女でアルブレヒトには彼女がいるって広めておくよ!任せて!」



 ヨーシヨシヨシ!頼んだぞぉ、花梨。私の生死はあなたにかかってるわ!

 ふんすふんすと鼻息荒くガッツポーズをする花梨の頭を撫で回す。



「でもよぉ、それだとお前と壱之宮の御曹司がお互い片思いしてるって話は残るぞ?」



 伊蕗の発言で、一気に現実に引き戻された。

 そ、そうだった……。むしろそれが一番消えてほしいのだから、まだまだ安心できない。

 えっ、どうする?いっそのこと千夏ちゃんの存在をバラしちゃう?――――いやいやいや、それはだめだ。秋人がどうでもいいけど、千夏ちゃんには平和に学生生活を送ってもらいたい。いくら保身のためでも、千夏ちゃんを売ることはできない。

 どうする?どうする私ーーーー!?



「そうだ!私に彼氏がいるってことにすればいいのよ!」



 目には目を、歯には歯を、デマにはデマを。



開鵬館かいほうかんに彼氏がいるってことにしてすれば、噂は全部でまかせってことになるんじゃない?」


「はあ?うちに?」



 中高一貫の名門男子校、開鵬館高校の名前を出すと、そこに通う伊蕗はあからさまに顔をしかめた。



「お前、うちに知り合いなんているのか?もし彼氏探しでもされたらどうするんだよ」


「親戚筋以外に知り合いがいないからこそ、開鵬館ってことにするのよ。中途半端な顔見知りがいたら、その人が彼氏じゃないかってことにされてそれはそれで面倒だもの。真っ赤な嘘を、真っ赤な嘘で上塗りするのよ!」


「まあ、最初から全部嘘なら上塗りも一つの手だけど……。桜子はそれでいいの?他校に彼氏がいるなんて噂されたら、さらに彼氏できにくくなるんじゃないの?」


「いいの、いいの。秋人と雪城くんと噂されるのに比べたら百倍マシだもの。それに私、彼氏がほしいなんて思ったこと一度もないから」



 そりゃあ確かに彼氏がいたら華やかで甘酸っぱい高校生活になるのかなーとは思っているけれど、秋人と千夏ちゃんのことをそばで見守っているせいで、そのへんはもうお腹いっぱいになっている。

 さらに言えば私に近づいてくるのは誘拐犯か七光り野郎か、宝生寺の令嬢というブランド価値が目当ての人がほとんどだ。男に対する信頼度は地を這うレベルだし、私は女の子の友だちと遊んでいる方がずっと楽しいのである。

 案が決まったのでもう一度花梨に頼もうとすると、ゆりちゃんが「ちょっと待った」とストップをかけた。



「花梨じゃなくて、私が広めてあげる」


「どうして?雅女で広がった噂を消すんだから、わたしがやるよ」


「花梨だと直接的すぎるの。こういう場合はね、女の噂好きの習性を逆手にとってやるものなのよ」



 オーホッホッホッホッと高笑いをするゆりちゃんの姿に、私と伊蕗は「こういうところが結婚できない原因だよなぁ」と囁きあった。

 でも恋愛が絡んだ時のゆりちゃんの行動力は身を持って知っているので、たぶん任せておけば大丈夫だろう。ほっと一息ついてゲームを再開する。


 と、その時、傍らの置いていたスマートフォンがぶるぶる震えた。両親に京都到着の連絡をしてあるからその返事で電話してきたのかな?

 手に取り画面に表示された名前を確認すると――――アルブレヒトと呼ばれる人物の名前が目に入った瞬間、スマートフォンを力いっぱいソファーにぶん投げた。

 あまりの恐怖に悲鳴は出なかった。


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