10-2.やればできる子






 スマホに着信があったことに気がついたのは、ゆりちゃんの愛車である真っ赤なスポーツカーで屋敷に到着し、お祖父様に挨拶を済ませて離れの客間で一息ついている時だった。

 そういえば両親に無事に京都につきましたって連絡しないとなーと思い、カバンから出した瞬間、ピカピカとお知らせランプが点滅しているのを見て血の気が引いた。そして着信履歴の一番上に堂々と雪城透也の名前があって卒倒しかけた。



「ひ、ひえ~」



 本当に連絡がくるなんて……。

 社交辞令じゃなかったの?しかも電話って。どうしよう、かけ直すべき?

 スマホを握りしめ頭を抱えていると、ふすまの向こうからゆりちゃんの声が聞こえた。慌ててスマホをカバンに突っ込んで返事をすれば、すっとふすまが開く。



「夕飯、外に食べに行こうって話になってるけど……どうしたの?顔色悪いじゃない」


「え、あっ、えっと、虫が、大きいクモがいたから驚いちゃって」


「やだっ!大丈夫?」


「大丈夫、大丈夫、ティッシュにくるんで窓から逃がしたから!それで夕飯だっけ?いいと思う。どこに行くの?」


「私達は一昨日からこっちにいるから、桜子の希望聞こうと思ったの。食べたいものある?」


「特にはないけど、強いて言うならドレスコードがなくて堅苦しくない、おしゃべりしながら美味しいものが食べられるお店」


「特にはないって言うわりにはすごい細かい注文ね」



 ゆりちゃんはケラケラ笑いながらも、「でも私もそれがいいわ」と言った。お店選びはゆりちゃんがやってくれるらしいのでお任せしておこう。



「じゃああとで母屋にいらっしゃい。荷解きも済んでないんでしょう?」


「はーい。ああっ、ゆりちゃん、ちょっと待って!」



 ゆっくり閉まるふすまに足を差し込んで阻止。行儀が悪いのは分かっているけど、ゆりちゃん相手ならこれをやっても怒られないので躊躇いはなかった。

 するとゆりちゃんはぱちぱちと瞬きを繰り返してから、フッと吹き出した。笑われるほど必死さあったのかな……恥ずかしい……。



「どうしたの?」


「あのね、ゆりちゃん今って彼氏いる?」


「あ゙?」



 おっと、三十歳独身にこの話題の振り方は間違いだったか。



「あー……えっと実はね、さっき友達から連絡がきたの。婚約者だか恋人だかがいる男の子から遊びに誘われたんだけど、どうしようって。どうするべきだと思う?」


「はあ?何よそれ!二股しようとする男なんて、両足の小指をタンスにぶつけて粉砕骨折すればいいのよ!」


「粉砕骨折」


「それで?友達はなんて言ってるの?行きたいの?断りたいの?」


「そんなの断る一択だよ!」



 でもうっかり頷いちゃったらしいから、困って京都まで逃げてきたんですよ、私は。



「ゆりちゃん、こういうの慣れてるでしょう?正しい断り方ってどういう感じか教えて?」


「そんなクソ野郎に正しさなんて不要よ。むしろ婚約者だか恋人だかに『あんたの男、二股狙ってるわよ』ってチクって味方につけて、二人でクソ野郎を追い詰めてやりなさい」



 過激だなぁ……。でも私も第三者だったら似たようなアドバイスをするだろうから、その辺は完全に宝生寺の血筋だ。当てにならない。

 とりあえずゆりちゃんにはアドバイスのお礼を言って、改めて母屋に戻ってもらった。ずいぶんと血走った目をしていたから、過去に二股でもされたんだろうか。だとしたら地雷を踏んでしまったようで誠に申し訳ない。



「はあ~、とりあえずお断りの連絡するか……」



 実際に私は今、京都まで逃げてきたわけだし、残りの春休みをこっちで過ごす気だ。言い訳の理由はしっかりとある。

 誘われて頷いたのに断るのには罪悪感があるけれど、そこはやっぱりゆりちゃんの言う通り、二股を狙う相手が悪い。


 ……ん?雪城くんの性格を考えると、二股を狙うなんてことはなくて、いまだに秋人と千夏ちゃんの交際に反対しているかと思われて腹を探られているのでは?探るために誘われたのでは?

 うっわ、あの指切りの時ももしかしてと思っていたけど、やっぱりそうだったか。違うって毎回言ってるんだからいい加減信用してほしい。


 何はともあれ、それでも連絡を無視するのはマナー違反だろうと思い、メッセージアプリを開いて雪城くんの名前を探す私は律儀だ。褒めてほしい。

 そして改めて最近の彼とのやり取りを見ると、『秋人が朝倉さんを追って逃走。至急確保をお願いします』『捕まえたよ。とりあえずカフェまで引っ張っていくね』とか『秋人がチョコがどうのう呻いている。どうしよう』『ベルギー旅行をすすめてみては?』とか、時々学校行事についてのやり取りがあるけれど、秋人が千夏ちゃん絡みで暴走した後始末や、腑抜けになったアフターケアについての話題が圧倒的に多かった。


 この一年、二人揃ってあの傍若無人な俺様お坊っちゃんに振り回されっぱなしだったな。でもそのおかげで、あのバカが千夏ちゃんと幸せになる道が作られたんだなと思うと、達成感やら何やらで自然と笑みがこぼれた。

 でもそれはそれ、これはこれ。仲が悪いわけではないけれど、今以上に距離感を縮めるのは私の硬度二のメンタルが耐えられない。二人で出掛けるなんて胃痛とじんましんで死ぬ。しかもその先に待つのはフランス美女とのキャットファイトなんて、死体蹴りもいいところだ。


 すいすいと親指を画面に滑らせて文字を打ち込み、出来上がった文章を送信。これまでのやり取りの一番下に『親族の都合で、春休みは京都で過ごすことになりそうです。せっかく誘ってくださったのにごめんなさい』と表示された。

 するとあら不思議。面倒事が解決した効果か、踊り出しそうなぐらい体が軽くなったではないか。窓の向こうに見える夕日色の空が美しい。心なしか世界が輝いて見えるわ。


 はあ~、こんなことなら昨日の夜にでも断りの連絡をしておけばよかった。でもこれで心置きなく京都旅行を満喫できる。

 雪城くんも雪城くんで、私の腹を探る時間があるなら例のフランス美女とデートをしてください。どうぞお幸せに。結婚式には呼んでくださらなくて結構です。

 あっ、でもフランス美女のウエディングドレス姿は目の保養だろうなぁ。お美しい純白の新婦が載った『僕たち結婚しました』的なハガキ、待ってます。











 夕食は、明らかに一見さんお断りといった佇まいの料亭だった。

 わざわざ品のいい女将に出迎えられ、個室へと案内される際に見えた日本庭園からは鹿威しの音が聞こえてくる。今は夜だから分からないけど、きっと立派な松や錦鯉が悠然と泳ぐ池があるのだろう。



「ねえ、紗百合叔母様。私の注文はどうなってしまったのかしら。差し支えなければ教えていただけます?」


「そんなに怒らないで。私は個室の焼き肉にしようと思ったのよ?でもね……」


「お祖父様が決めた?」


「そう」



 私とゆりちゃんは揃ってため息をついた。

 たぶんお祖父様は、休暇にわざわざ東京から来てくれた末娘と孫三人に美味しいものを食べさせたいと思っての行動だろう。その気持ちは嬉しいけど、私はご飯は楽しくワイワイ食べたい派なんですよ、お祖父様。

 でも実際に代金を払うのはお祖父様だから、私達は強くでられない。諦めて、コースで出される京料理を食べるしかないようだ。

 前を歩く袴姿のお祖父様を見ながらもう一度ため息をつけば、ゆりちゃんが「明日のお昼に焼肉連れていってあげるから頑張って」と私の肩を叩いた。

 言ったな?高いお肉しこたま食べて、デザートもたらふく食べてやるからな?



「桜子。向こうで困ったことはないか?」



 食事会が始まるなり日本酒をあおりながら言うお祖父様に、私はむしろ困り果てた。

 お祖父様は、孫のなかで私を一番可愛がる。それは長男の子どもで初孫というのもあるけれど、どうも私は今は亡きお祖母様の若い頃に瓜二つらしい。

 昔の資産家の跡取りでは珍しい恋愛結婚で愛妻家だったお祖父様は、そんな私の願いはすべて叶え、憂いをすべて晴らすのを隠居生活の生き甲斐にしているのだ。

 仮に私が「どこそこ家のなになにさんに、こんなことを言われたんですぅ~」と泣きつけば、お祖父様はあらゆるコネクションを使ってその家をぶっ潰す。事業をやってる家なら、会社を乗っとるかもしれない。

 そんなわけで昼ドラの悪役みたいなお祖父様に、下手なことは言えないのである。言ったら最後、宝生寺一族に嵐が巻き起こる。

 他三人の間に緊張が走るなか、私はにっこり笑って「ありませんよ」と言った。



「私の周りは、いい方ばかりですから」


「だが成瑛学園は高等部になると一般家庭の子どもも入学して、なにかと煩わしいこともあるだろう」


「あらお祖父様ったら。成瑛の外部入学の難しさはお祖父様もご存じでしょう?勉強やスポーツ、あらゆる分野の優秀な方に囲まれて、私、この一年がとても新鮮でしたよ」


「そうか。だが何かあれば、すぐに言いなさい」


「はい。ありがとうございます」



 学校行事の時に撮った写真をプリントアウトして持ってきたので、帰ったらお見せしますね。そう言葉を続ければ、お祖父様は機嫌良さげに日本酒を呑む。

 私は思わず横に座る伊蕗とテーブルの下でグータッチをして、嵐の回避を祝った。向かいの席のゆりちゃんもウインクをしてきたから、焼肉の約束は守ってもらえそうだ。

 ちなみにゆりちゃんの横の花梨は、船に盛られたの鯛のお頭を無邪気につついていた。末っ子は自由である。



「そういえば桜子、成績表見たわよ。すごいじゃない!」


「えっ?!お祖父様、ゆりちゃんに見せたんですか?」


「見ていたら、紗百合が後ろから勝手に見たんだ」


「ゆりちゃん……」


「いいじゃない、減るもんじゃないんだし」



 京都に来る許可をもらう際に、お祖父様から成績表を持ってくるように言われていた。これは学生組が長期休暇中にお祖父様に会う時のルールになっていて、屋敷について挨拶をした時に渡してある。

 それをまさかゆりちゃんにまで見られてしまったのは予想外で、気恥ずかしい。でも嬉しい。学園では千夏ちゃんのこともあって喜ばないようにしたけれど、期末試験はすごく、すごくすごく頑張ったのだ。どうぞ存分に褒めてください。



「なになに?まさか、さっちゃんも成績落ちちゃったの?」


「逆よ、逆。桜子、あの成瑛で学年で四番。期末試験なんて二位だったそうよ」


「うえええっ?!」


「そんじゃあ成績落ちたのはお前だけってことだな、花梨」



 伊蕗はニヤニヤと笑い、花梨は頭を抱える。だがバッと顔をあげて伊蕗を睨んだ。



「そんなの分かんないよ?!あやちゃんだって成績落ちてるかもしれないじゃん!」



 カコン、とそれまで聞こえなかった鹿おどし軽やかな音が、はっきりと聞こえた。

 静まり返る場に、花梨は自分が何を口走ったのか理解したのか「やば……」と呟き、私とお祖父様の顔をちらちらと見た。


宝生寺あやめ。私の父の姉の娘。私と伊蕗とは同い年で、笑った顔が思い出せない、私のもう一人の大事な従妹。

 静寂の理由はシンプルに、大きな家にありがちな大人の事情で人間関係がこじれにこじれているのである。

 お祖父様はあやめの母親、藤乃伯母様と長年不仲。そのごちゃごちゃが、私とあやめの仲をぐちゃぐちゃにしやがった。


 親戚全員がそれを知っている。根深い問題で、外野が口を挟んでどうにかできるものではないことも。

 お祖父様の前では伯母の話題を、私の前ではあやめの話題を、出すのはやめようと親戚達が考えるのは当然の流れだ。


 その暗黙のルールを破ってしまった花梨は、助けを求めるように伊蕗を見ている。しかし伊蕗はお前の自業自得だという顔で黙るものだから、花梨は今にも泣きそうだ。私は全く気にしていないけれど、お祖父様が黙っているのが怖いのだろう。

 私もせっかくの食事が不味くなるようなこの空気は嫌だ。花梨には「お祖父様と一緒にいる時は、思ったことをすぐに口に出すのはやめなさい」と後で注意するとして、今は助けてやろう。



「花梨。あやめは努力家だし真面目だから、そういうことにはなっていないと思うわよ」



 一人鍋のなかの豆腐を口に運びながら私がそう言えば、花梨は居心地が悪そうに口をつぐんで頷いた。



「それに花梨はもう受験生になるのよ。成績が落ちてしまったのなら、もっと焦った方がいいわ。高校はそのまま雅が丘の高等科に?」


「えっと……うん、その予定だよ。エスカレーター式だし……」


「でも中三の成績があんまり悪いと、不合格にされてしまうんでしょう?油断しちゃダメよ。花梨は昔からやればできる子なんだから、頑張って」


「どうせなら、桜子に勉強みてもらったらいいんじゃね?」


「こら伊蕗、花梨はあんたの妹なんだから、あんたがみてあげればいいでしょう」



 私が違う話題に持っていこうとしているのに気づいて、伊蕗とゆりちゃんも乗っかってきた。

 そこからは簡単に違う話題に運べた。私が成瑛での学校行事について話し、伊蕗が部活の大会について話し、花梨が五月にある修学旅行が楽しみだと話す。他校のことを聞くのは楽しくて、デザートの抹茶アイスを食べる頃にはお祖父様も笑うようになっていた。


 親戚で集まって近況報告するのは楽しいけれど、潜む地雷をかわさなければならないのは少し肩がこる。


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