10-1.そりゃあ逃げたくなるな




「まもなく京都です。東海道線、山陰線、湖西線、奈良線と近鉄線はお乗換です。今日も新幹線をご利用くださいまして、ありがとうございました」



 車内アナウンスを合図に、テーブルの上のお茶と駅弁のゴミをまとめる。忘れ物はないか確認しているうちに列車は駅のホームに滑り込み、私はお気に入りの白とピンクのキャリーバックを引いてホームへと降り立った。

 本日土曜、時刻は午後四時。秋人に初デートのファッションアドバイスをした翌日、私は東京を離れ、京都府京都市京都駅にいた。





 時を遡ることおよそ二十四時間前。

 トチ狂ったとしか思えない雪城くんの発言をうけた私は、気付けば自分の家の門前にいた。

 完全に記憶喪失。あの桜の木の下からどうやって帰ってきたのか全く覚えていない。でも道を知っているのは私だし、普通に歩いて帰ってきたのだろう。雪城くんと共に。


 例の発言になんて返事をしたのか覚えていなくて困り果てた。

 そしてあれは幻聴、もしくはデッドオアアライブを聞き間違えたのでは?と思っていると、横にいた男が「また連絡するから、行きたい所考えておいて」と言って笑顔で帰っていた。

 そこで私は全てを察した。私はあの時、いつもの猫かぶりを発動して頷いたのだ。

 ほんとバカ。我ながらバカすぎて笑える。嘘、ちっとも笑えない。泣きそう。NOと言えない日本人の性が憎い。


 私、宝生寺桜子だよ。雪城透也とデートってなに?春休み明けには冷戦繰り広げるシナリオになってる人とデートってなに?

 だいたい、婚約者もしくは恋人がいる人とデートってマズくないか?デートっていう言葉を使わなくても、二人きりで出掛けるのは誤解が生まれてしまう。しかも相手はフランス美女だなんて、バレたらキャットファイト待ったなしだ。勝てるわけがない。

 男相手だったら躊躇いなくねじ伏せることができるけど、女性で、しかも美女に手をあげるなんて行為を私ができるわけがない。

 美女と美少女と美幼女は世界の宝。レッドデータブックの載せて丁重に保護するべきだと思います。


 それから前に約束はしたけど、あんなもの口約束で、ぶっちゃけ完全に忘れていた。

 ある程度仲良くしておけば後々都合がいいかなとか、断れば疑惑が深まるかなとか、打算的な思い付きで指切りしただけだ。本当に二人で出掛けるつもりなんてこれっぽっちもなかった。

 それなのにフランス美女やファンクラブの皆さんに背中をブスッと刺されるなんて御免だ。怖くて一人で夜道を歩けない。


 はてさて、覚えていないけど行くって返事をしちゃったらしいので、どうやって回避しようか。

 雪城くんが去っていった方を見ながら、腕を組んで考える。そして思い至ったのだ。



 そうだ、京都に行こう。



 春休み中に出掛けることには頷いたけれど、日程や目的地は決めていない。だったら残り約一週間の春休みを、すでに予定が入っていることにしてしまおう。旅行の予定があったと言えば雪城くんだって仕方がないことだと思うだろうと、そう思ったのだ。

 連絡がつかなくなるよう海外に高飛びするのが一番安全だけど、春休みの今、急に飛行機やホテルの手配は苦労する。言葉だって不安だし、私は一日一回は茶碗一杯の白米を食べないと調子が出ないので海外旅行はあまり得意ではない。

 国内で、移動手段や宿泊場所の確保が簡単な場所…………京都にあるお祖父様の邸宅しかない!


 結論が出てからの私は早かった。京都で隠居生活をしている宝生寺グループの会長ことお祖父様に電話をして訪問と滞在の許可をもらい、次に家の中に駆け込んでリビングにいた両親を「私は暇なので京都に行きます。久しぶりに二人きりの時間を楽しんでください」と言って丸め込んだ。

 スマホで京都行きの新幹線の座席を確保し、キャリーバックに数日分の荷物を詰め込み、翌日……つまり今日の昼すぎに駅弁片手に新幹線に飛び乗り二時間弱で京都到着。現在に至る。



「……ははっ……私ったら行動力あるぅ~……」



 人間、追い詰められるとものすごい力を発揮するようだ。

 でも京都に来て正解だった。昨日から続いていた胃痛と悪寒、腕に出たじんましんが、新幹線の窓から富士山が見えた頃にスッと消えたのである。

 いつ雪城くんから連絡が来るかとひやひやして、いっそスマホを水没させようかと思っていたぐらいだったのが過去のことになった。


 ありがとう、のぞみ。ありがとう、迅速かつ正確な運行システムを維持する日本の鉄道会社の皆さん。お陰さまで私は元気になりました。


 キャリーバックをがらがら引きながら駅を出て、スマホで京都タワーの写真を撮って普段滅多に更新しないSNSに投稿する。

 雪城くんに見られる可能性はゼロパーセントだけど、念には念をいれて、断る理由のつじつま合わせのための本当に東京にはいませんアピールだ。


 そういえば、昨日「また連絡するから」と言ってたけど、電話もメールもメッセージアプリにも連絡はないぞ。

 もしかしてあの誘いは社交辞令だった? それを真に受けて逃走した私って相当おバカさんなのでは?……ま、まあ、我が家は会社社長であるお父様の都合で、春休みに旅行はいかないルールになっていて、家にいても暇なのでちょうどいいけど。

 それにお母様に「予定がないなら、泉さんと秋人くんを誘ってランチに行きましょう!」とか言われかねないので、そっちの回避も兼ねている。

 キャットファイト回避、婚約フラグ回避、そして暇潰し。一石二鳥どころか三鳥。実に合理的だ。



「お久しぶりです、桜子お姉様。お迎えにあがりました」



 聞き覚えのある声に横を見ると、恭しく頭を下げる青年がいた。



「あら、ずいぶんしおらしいじゃない。いつから同い年の従姉をお姉様と呼ぶような可愛いげが身に付いたの、伊蕗いぶき?」


「……ちぇっ、なんだよ、もっとイイ反応すると思ったのによぉ」


「そうでもないわよ。ほら見て、鳥肌」


「俺も鳥肌たってる」



 自分でやっておいて、なんで鳥肌たててるんだ。

 ブラウスの袖を下ろしながら、同い年の従弟、宝生寺伊蕗と改めて「久しぶり」と挨拶を交わした。



「お祖父様からこっちに来てるのは聞いていたけど、まさか伊蕗が迎えに来るとは思わなかったわ。花梨かりんはどうしたの?」


「さっきまで一緒だったけど、今日から期間限定のフラペチーノがぁ~とか言って、紗百合さゆりおばさんと買いに行った」


「ゆりちゃんも来てるのね」



 宝生寺花梨は伊蕗の妹で、来月に中学三年なる。

 そしてゆりちゃんこと宝生寺紗百合は、私達の叔母だ。今年でめでたく三十歳になる独身。現在の彼氏の有無は不明。

 私を待つのに飽きた二人は、伊蕗を置いて近くの大手コーヒーショップに駆け込んでいったらしい。

 このまま伊蕗とここで待っていてもいいけれど、桜の咲くこの時期の京都を人の多さを舐めてはいけない。きっと店内には行列ができていて、二人が買って戻ってくるより私達が合流した方が早いだろう。

 なんで東京にもある店に京都で並ぶんだよと呟く伊蕗と共に、店に行くことにした。

 その時、なにも言わずに伊蕗が私からキャリーバックを奪って引きはじめて、ちょっとびっくり。いつの間にそんな技術を身に付けたんだ。そのさりげなさは共学だったらモテるだろうけど、残念ながら彼が通うのは男子校である。



「伊蕗、彼女できた?」


「いたら春休みに妹とじいちゃん家に来ると思うか?」


「じゃあ好きな人は?」


「いても言わない」


「あららぁ?その反応は肯定かしら?」


「……お前、なんで今日そんな紗百合おばさんみたいなこと聞くんだよ」


「最近周りで恋愛が盛んでね、もし伊蕗がフラれてたら思いっきり笑って気分転換できるかなーって思って」



 こいつマジか……、みたいな顔でドン引きされたけど気にしない。

 伊蕗なら笑っても許してくれそうだから笑うのだ。もちろんアフターケアをするつもりだから、安心してネタの提供をお願いしたい。



「周りで盛んって、桜子自身は?」


「……」


「おい、オイッ!マジかッ?!」


「……パーティーで官僚の七光り野郎がしつこくて左アッパー決めそうになった話、聞きたい?」


「あ、そっちか」



 伊蕗はブンブンと首を横に振った。



「とりあえず、その話はじいちゃんにしない方がいいと思うぞ」


「息子の愚行で父親が失脚させられるって、とっても面白くない?飛ばされるならインドあたりがいいかしら」


「やめて差し上げろ」


「おほほほ」


「マジでやめろ。じいちゃんならやりかねない」


「やぁね、冗談よ」



 稲村穂高はああでも、父親は官僚として真面目に仕事をして事務次官を支えているらしいから、そんなことはしないよ。

 それに稲村は高等部を卒業したから、私が成瑛大に進学しない限りもう会うことはない。そのうち大学で彼女でもつくって、金にものを言わせてキャンパスライフを楽しんでいそうだ。

 そんなことを話していると、コーヒーショップに到着。店内を覗くと想像通り観光客らしき人でごった返していて、店員さんは忙しそうだった。



「お、いた。なんだよ、まだレジにもついてないのかよ」


「やっぱり観光地は違うわね」


「ついでに俺らもなんか買ってもらおうぜ」



 そう言うなり伊蕗は上着のポケットからスマホを出して、いじり出した。たぶん中にいる花梨に連絡しているのだろう。



「紗百合おばさん、なんでも頼めだって」


「やった!じゃあ私アイスカフェモカ、ホイップ追加で!」


「はいよ」



 それから十分ぐらい伊蕗と店の前で待っていると、ようやく二人が出てきた。



「さっちゃん!」


「ゴフッ」



 目が合うなり、私が何か言うより先に右手にドデカいフラペチーノを持った花梨が突進してきた。アゴに石頭が直撃。伊蕗が支えてくれなかったら私は京都到着早々、アスファルトに後頭部を打ち付けて病院送りになっていただろう。



「さっちゃん久しぶり!もぉ~遅いよ~!待ちくたびれて、見てコレ、今日から発売のサクラミルクフラペチーノだって!可愛くない?ゆりちゃんに買ってもらっちゃった!」


「いたた……。久しぶりね。そんなに大きいの飲みきれるの?」


「大丈夫!」



 宝生寺一族の末っ子は相変わらず伸び伸び育っているようで、さっちゃん嬉しいわ……。アゴめちゃめちゃ痛いけど、豆柴みたいで可愛いから許してあげる。

 さっちゃん!さっちゃん!とご機嫌で私の周りをぐるぐる回る花梨をなだめて、もう一人に視線を向けた。



「ゆりちゃんも久しぶり」


「久しぶりねぇ、桜子。最近会えてなかったけど、また少し背が伸びたんじゃない?」


「そう?靴のせいじゃない?」



 十センチのハイヒールを履きながら姿勢よく歩いてきたゆりちゃんは、相変わらず叔母というよりはお姉さんといった感じ。実際に栗色の巻き髪とほどよく華のある化粧の効果で、一緒に買い物に行くと姉妹に間違えられるぐらいだ。

 ゆりちゃんは花梨のタックルで乱れた私の前髪を整えてから、「でもそのパンプスのヒール、三センチでしょう?それを差し引いても伸びてると思うわ」と笑った。



「迎えに来たのに、逆に待たせちゃってごめんね。はいコレ、ご注文のカフェモカ」


「ありがとう!あれ?サンドイッチも入ってる」


「それ俺の。ありがと、おばさん」


「お姉様とお呼び!」


「イッテ!?」



 ゆりちゃんの拳が炸裂した。

 三十歳独身のゆりちゃんは、私達に叔母さんと呼ばれるのを嫌がる。それでも会うたびに紗百合おばさんと呼ぶ伊蕗は、たぶんわざとやっている。

 ゲンコツ食らうって分かってるんだからやめればいいのに、とも思うけど、私はこれを見ないと親戚の集まりに来た気がしないので指摘したことはない。


 とりあえずゆりちゃんがくれたコーヒーショップの紙袋からサンドイッチを出して、ゲンコツされた頭をおさえる伊蕗に渡す。レタスにトマトにベーコン、半熟卵にチキンが入った分厚いクラブハウスサンドは美味しそうで、駅弁を食べなかったら私も頼んでいたかもしれない。


 ゆりちゃんの運転で迎えに来てくれていたらしいので、近況報告をしながら近くのコインパーキングまで歩く。ああ、この三人の前だと無駄にお嬢様ぶらなくて楽だ。



「そういえば桜子、お前、なんで急にこっち来ることにしたんだ?電話してから二十四時間で実行って夜逃げみたいじゃん。なんかあった?」


「あっ、わたし当てたーい!ズバリ、傷心旅行とか?」


「ぶっ!!!」



 カフェモカ吹いた。



「え……うそ、さっちゃん……。どこのどいつだ!わたしのさっちゃんフッたのはぁ?!」


「ちょ、花梨」


「なんか……ワリィ、そうとは知らず……」


「伊蕗まで?!違う!違うから!今のは的外れすぎて笑っちゃっただけだから!」



 断固として違うと主張すれば、二人だけでなくゆりちゃんまで「じゃあなんで?」と聞いてくる始末。

 うぐっ、フランス美女とのキャットファイトが怖くて逃げてきた、なんて言えるわけがない。しかもそれが社交辞令のお誘いを真に受けて、なんてもっと言えるわけがない。



「休暇でお父様が家にいて……その……ずっと両親のいちゃつきを見せつけられて……胸焼けが……」



 しどろもどろに思い付いた言い訳を口にすれば、三人は顔を見合わせて「あー……」と納得したような顔をする。



「柊平兄さんと頼子さん、仲いいものね……」


「そりゃあ逃げたくなるな」


「でもそれでさっちゃんと春休みに会えるなら、伯父様達にお礼言わなきゃだよ!」



 三者三様の反応に、乾いた笑いしか出てこなかった。

 この時私は、肩にかけたバックの奥底でマナーモード中のスマホがガタガタぶるぶる震え、着信画面に『雪城透也』と表示していることには気づかなかった。

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