9-3.熱のこもった視線



 結局、秋人に引きずられるようにして和牛ステーキを食べ、何件か靴屋をはしごさせられた。拒否権なんてものはなかった。

 解放されたのは夕方の五時。靴一足を買うだけで、どうしてこんな時間まで付き合わされねばならんのだ。

 昼食代を秋人持ちだったけれど、気分的にはマイナス。むしろ同い年に高額料金を支払わせた罪悪感でモヤモヤする。これで千夏ちゃんとの初デートがうまくいったと報告を受けたら、ようやくプラマイゼロになるぐらいだろうか。



「秋人、うまくいくといいね」


「そうですね。ここまで付き合わされたのにうまくいかなかったなんて聞いたら、怒ればいいのか、呆れればいいのか分かりませんよ」



 太陽が傾きはじめ、長い影が落ちる坂道を雪城くんと二人で歩く。

 正直、どうしてこうなったといった感じだ。


 買い物帰りに壱之宮家の車で家まで送ってもらうのが一番楽だけど、それをやってお母様に目撃されたら厄介なので車は壱之宮邸へ。じゃあこれにて解散、となったところで私は歩いて帰ろうと思った。しかし呼び止められたのだ、この雪城透也に。


 色々と言われたがそれを要約すると、昼間ならともかく、この時間に一人で歩くなんてバカなのか、とのこと。

 バカなのかはこっちの台詞である。そういうのは、時間が真夜中か、一人で歩こうとしているのが可愛い幼児だった場合の台詞だ。

 今は夕方だし、私は来月には十七歳になる。万が一に変質者に出会ってもダッシュで逃げるぐらいできる。なんだったら急所にドロップキックお見舞いして、ノックアウトしてから警察に通報する。奴らに慈悲などない。

 ――――という本音は隠して「近くなので大丈夫です」と言ってみたけれど、あれよあれよと私を送る流れになり、あんまり頑固に断るのも失礼なので雪城くんに送ってもらうことになった。善意を足蹴にするのは良心が痛むのだ。

 だがしかしなぜ徒歩。雪城家の車の到着を待つという案はなかったのか。いや、まあ、歩きなれた道だからいいけどさぁ……。


 あと、人を丸一日付き合わせておいて靴を買ったら用済みとばかりに「別にどっちでもいいんじゃね?」と言って私の味方にならなかった壱之宮秋人。貴様は絶対に許さん。



「この道、車では何度も通ってるけど、歩いたのは初めてだ」



 ぽつり。独り言のような声に視線を上げると、雪城くんは横を見ていた。

 この高台の住宅街はゆるやかな坂ばかりで、特に壱之宮邸は坂の頂上に立っているため必然的に住宅街やその先の町並みを見渡すことができる。その道中もしかり。

 車で何度も通っていても、なにも考えずにただ運ばれるのと自分の足で歩くのとでは、見えるものも感じることも違うだろう。

 黙って夕日色に染まり始めた町並みを見下ろすその目は、この前の懇親パーティーでたくさんの料理に興味津々だった澪ちゃんとよく似ていた。



「あそこ、あの高い木が集まっている所は小さいけど森林公園で、昔よく母と歩いて行ってピクニックしたんです」


「うん?」


「それからあの赤い屋根のお宅にはユキっていう名前の大きな白い犬がいて、私にはすごく懐いてくれたのに、秋人はいっつも吠えられていたんです」



 澪ちゃんにせがまれて料理の説明をしてあげたのと同じように。なんとなく立ち止まって慣れ親しんだ住宅街を指差して思い出を語れば、雪城くんはきょとんと私を見下ろしてきた。しかしすぐに視線を戻して相づちをうったり、じゃああれは?と逆に質問したりしてきた。

 その顔はやっぱり澪ちゃんに似ていて、年は離れていても兄妹なんだなとぼんやりと思った。

 しばらくそうしていると、ふと、雪城くんがある場所を指差した。



「あそこにある木って、桜?」


「ああ、はい、そうですよ。木の横に道祖神だったかな……何かを祀る祠があって、そのための桜の木だそうです」


「へえ、ここからでも分かるぐらいだし、大きい木なんだろうね」


「気になるなら、見に行きますか?」



 あ、やべっ。つい流れで澪ちゃんと同じような対応してしちゃったよ……。



「いや、えっと……ごめんなさい、変なこと言って。それに送っていただいている身分なのに、立ち止まって長話を……」


「行こうか」


「そうですね、早く帰りましょうか」


「そうじゃなくて。案内してくれるんだよね?」


「へ?」



 さも当然のことのように、いい笑顔で下に見える桜の木を指差す姿に「アッハイ」と言うしかなかった。頷いてしまっては最後、やっぱりなしは通用しない。

 一人でさっさと帰るつもりが、二人になり、さらに寄り道をすることになるなんて……。NOと言えない日本人の性が憎い。

 とりあえず「こっちです」と歩みを再開して、坂の途中にある横道に入った。階段になっているそこを下りていくと、灰色のコンクリートの上にちらほらと薄紅色の欠片が落ちているのが目に入ってくる。

 下りきった先で顔を上げると見えるのが、この辺りで一番大きな桜の木だ。



「ちょうど見頃ですね」



 今年は暖かくなるのが早かったからか、三月末の今ですでに満開だった。

 桜は晴れた日の昼間に、青と薄紅色のコントラストを眺めるのが一番いいと思っていたけれど、夕方に見るのもなかなか悪くないかもしれない。でもこれがあと一週間もすれば散ってしまうのかと思うと、儚いものの象徴のようで寂しさを感じた。

 この花と同じ名前を持つ、この先一年の行動でその後の人生が決まる人間に生まれ変わってしまったから、そんな風に思うのかもしれない。でもそういうセンチメンタルは我ながら似合わなすぎて、いっそ笑えるぐらいだった。



「きれいだね。それに、よく似合う」


「そうで…………ンン?」



 唐突に聞こえた言葉に同意しかけて、口をつぐんだ。

 前半はこの満開の桜についての感想だろう。でも後半は?似合うってなに?

 思わず振り向くと、ずいぶんと機嫌が良さそうな微笑みがそこにあった。



「毎年この時期になると思ってたけど、宝生寺さん、桜が似合うよね」


「名前的に?」


「逆かな。宝生寺さんの見た目と中身が、桜のイメージと合ってるんだと思う」


「イメージですか……」



 なるほど分からん。つまり結局どういうこと?

 たぶん褒められているんだろうけど、考えてみてもよく分からなくて首をかしげると「名は体を表すってやつだよ」言われた。

 でもあいにく私のなかで桜のイメージはあまりよくない。桜の樹の下には屍体が埋まっている、なんていう物騒な言葉があるし、イモムシが落ちてくる可能性があるからできればあんまり近づきたくない。見てる時間があるなら桜餅を片手に緑茶を飲みたい。

 私は関東風も関西風も好きだ。どちらがいいかなんて争うなど愚か者のする行為。みんな違ってみんな良いの。全ての菓子を愛し、全ての職人に感謝なさい。



「日本の春の花って言ったら桜だろう?たくさんの人に愛される花で、宝生寺さんに似合ってると思うよ」


「……」



 ……えっ、こわっ。急になに?怖いんだけど。

 あと一週間ぐらいで少女漫画の二部が始まるというタイミングで、敵対するシナリオになっている雪城透也と二人きりになること自体が正直言って勘弁してくれって感じ。それなのに何だか急に距離を詰められるようなこの状況は怖い。何かの前触れかと思うと耐えられない。

 いや、まあ、ちょっと前に意外と親しくしているってことが判明しているし、今後もそうであった方が色々と力強いのは分かっている。……分かってはいるけど、今以上の距離の近さは宝生寺桜子としての本能が拒絶する部分する部分がある。

 あ、腕がかゆい。じんましん出てるかも。



「……あ、ありがとうございます……?」



 とりあえずお礼は言うけど、顔は今だかつてないレベルでひきつっていると思う。でもこればっかりは仕方ない。



「そういうことを気軽に言ってしまうから、学校にファンクラブができたり、パーティーで女性に取り囲まれるてしまうんですよ」


「気軽になんて言わないよ」


「あらっ、先日の懇親パーティーでも、ずいぶんと熱のこもった視線を向けられていたように見えましたけど?」



 それも初等部の少女から学校評議員のおば様まで、幅広い年齢層から。

 学校のファンクラブだって、秋人は憧れや尊敬、テレビの向こうのアイドルを応援するのと同じ扱いだけど、雪城くんのファンは言わばガチ恋。ライバルが多くて近づけないけれど、チャンスがあればアピールしたり告白したりする恋する乙女が多いのだ。

 私だってこれまで何度もそういった女子生徒から「雪城様の女性の好みをご存じありませんか?」とか「交際されている方がいらっしゃるのでしょうか……」とか、あれこれ質問されてきた。

 みんななんで私に聞くの。知ってるわけないじゃない。毎回知らないと答えても、次の日に違う子が全く同じ質問をしてきたこともあった。まったくいい迷惑である。

 ああ、そういえばたくさんの質問のなかで、私も驚いた情報があったな……。



「でも雪城くんは婚約者がいらっしゃるから、そういった方々からのお誘いはすべてお断りしているんでしたっけ」


「はあ?」


「え?」



 事実を言っただけなのに、どうして鳩が豆鉄砲くらったような顔をしているんだろう。それにわりとマジトーンの「はあ?」に、こっちが首を傾げたい。



「えっと、ごめん、僕に婚約者ってどういうことかな?」


「フランスにいるんですよね?年上で美人な婚約者さん」


「……誰からその話を?」


「特定の誰かというわけではありますけど……。でもそれなりに有名な噂ですよ」



 いつのことだったか、誰かが休日に雪城くんが金髪で胸の大きい外国人美女と仲睦まじく腕を組んで歩いていたという目撃情報をもって、私のところにやって来た。

 鼻息荒く「どなたかご存じありませんか?!」と聞かれたけれど、知っているわけがない。逆に美女がどのレベルの美女なのか詳しく教えてほしかったけれど、ひとまず首を横に振る私に、その子ががっくりとうなだれた。


 するとしばらく経って、雪城ファンクラブでは会議に会議を重ね、一つの結論が出されたそうだ。

 雪城くんが告白を全て断るのも、ランチやディナーの誘いに乗らないのも、奥様方からご令嬢を紹介されてもちっとも発展しないのも、全部その金髪フランス美女という婚約者もしくは恋人がいるからだと。

 と言っても、心に決めた人がいると分かっても、彼に恋する乙女たちはワンチャンスを虎視眈々と狙っているようだけど。その視線、飢えた肉食獣の如し。



「あっ、もしかしてあまり知られたくないお話でしたか?」


「……いや、そもそも僕に婚約者なんていないよ」


「え?でも……」


「一緒に歩いてたっていうのは親戚だよ。母方のいとこ」



 雪城くんは片手を額に当て、ハァ~ッとため息をついた。


 なるほど、母方のいとこか。雪城くんの母方の祖父はフランスの方だから、金髪美女のいとこがいてもおかしくない。

 でもさあ、普通、いとこと腕組んで歩く? 私にも異性のいとこは何人かいるけど、そんなこと一度もしたことない。一緒にパーティーに出席する時ですら、普通に並んで歩くだけだ。それなのに街中でなんて……。

 ハッ!もしかして、本当に金髪美女は婚約者もしくは恋人で、あまり知られたくないのも本当なのでは?だから親戚なんて嘘を言っているのでは?

 おお、その方が何倍もしっくりくる。雪城くんは若いツバメ姿がよく似合うもの。私ったら名探偵。



「宝生寺さんはどうなのかな?」


「私?」


「宝生寺さんのそういう浮いた話、一度も聞いたことないけど」



 お?さてはこのツバメ野郎、ケンカ売ってるな?

 学校で廊下を歩けば男子から顔を背けられ、逃げるように端の寄られる私が。

 昔から寄ってくるのは幼女にハアハアする変質者か、稲村のような七光り野郎かの二択の私が。

 一人で街を歩いても、ナンパなんか一度もされたことのない私が。

 声を掛けられたと思ったら宗教の勧誘で、うち仏教なんでの一言でソッコー逃げた私が。

 浮いた話なんかあるわけないでしょうが!浮くどころか地中深くに埋まって化石になってるわ!!ケンカ売ってるなら福沢諭吉大先生を百人叩き付けて買ってやんぞオラァッ!!!!!



「私ですか?あいにくそういったことには縁がなくて、ほほほ」


「そう?意外だなぁ」



 おうおうおう、大先生百人じゃあ足りんかね?

 もう百人叩きつけましょうかアアン?!



「じゃあ僕がデートに誘っても問題ないわけだ」



 ……………………はい?

 今ありえない単語が聞こえた気がしたんだけど。怒りのあまり突発性難聴かな?



「秋人が朝倉さんと付き合うようになった日に、約束したの覚えてる?都合のつく日に二人で出掛けるってやつ。せっかく春休みなんだから、宝生寺さん、僕とデートをしませんか?」



 私の味方にならなかったことを絶対に許さないって言ったけど、あれ、今すぐ撤回するから。お願い、助けて秋人。

 あなたの親友が、めちゃめちゃ怖いわ。

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