9-1.バカなのね
早朝七時。普段ならもう起きて身支度を整えている頃だけど、春休みなので思う存分寝ていられる。
一度開いてしまった目を閉じて、再び布団にもぐり込んだ……まさにその時だった。
『桜子さん、秋人さんからお電話です』
電話の相手の性格を表しているようなうるさい着信音とともに、ベットサイドのミーティスがそう言った。
ふざけるなよ、あのアホたれ。今何時だと思っている。七時だぞ。非常識にも程がある。それに私は休日は最低でも八時までは寝ていたい女だ。一時間後……いや、五時間後ぐらいにかけ直せ。
頭まですっぽり布団をかぶって聞こえていないフリをしていると、秋人は諦めたらしく、着信音は鳴り止んだ。しかしホッと一息つく間もなく、また着信音が響いた。
『桜子さん、秋人さんからお電話です』
ンンンンンッ壱之宮秋人ッ!!!!!
「……ミーティス、スピーカーフォンモードで繋いで。――ちょっと秋ひ」
「あっ、やっと出やがった!遅い!さっさと出ろよ!!桜子、お前今日暇か?暇だよな!?予定があっても潰せ!そんでもって今日の十時にうちに来い!絶対に来い!いいな?!」
「……」
今ほどこの男に対して、殺意を抱いたことはない。
「……ずいぶんと斬新なモーニングコールね。でもまず用件を言ってちょうだい」
「だから十時にうちに来い!」
「私が行かなければならない理由を言えと言っているの」
その答えによって、私の今日の予定が決まる。
昨日バッティングセンターでもらった駄菓子を食べながらリビングで映画鑑賞をするか。十時に壱之宮邸へ行って、この私の安眠を妨害した貴様の横っ面に平手打ちをするか。その二択だ。
いや、そもそも私に用があるなら貴様がうちに来い。そして平手打ちをさせろ。
「昨日の夜、朝倉から電話がきて、近所で祭りがあるから一緒に行かないか誘われた!」
「……は?ん?あっ、ああ、そう、良かったじゃない」
朝倉という単語に、眠気と殺意が吹っ飛んだ。
「どうすればいい?」
「どうって……誘われたなら、行ってくればいいじゃない。今日なの?」
「明後日の日曜」
「何か予定があってお断りしないといけないの?」
「予定はない……から、昨日行くとは言ってある」
「じゃあどうして私に電話をしてきたのよ……。それもこんな朝早くに」
要領を得ない会話にイラついていると、秋人はぐっと呻いたっきり黙りこむ。その様子に、今までの経験から察しがついた。
千夏ちゃんからのお誘いが嬉しくて、その喜びを誰かに自慢したくてたまらないけれど、千夏ちゃんとの事情を知っているのは私と雪城くんだけ。電話しようと思ったけれど、夜だったから我慢して、朝になって私に電話をしたといったところだろう。
そしてこの黙りっぷりは、千夏ちゃんとのお出掛け……言い換えれば初デートをどう攻略すればいいのか相談したいのだろう。
来月には高校二年生になるというのに、幼馴染みに恋愛事情が筒抜けって大丈夫?羞恥心ってものはないの?
「分かった、分かったわよ。行けばいいんでしょう?でも一応確認するけど――」
「ババアなら今頃ニューヨーク行きの飛行機のなかだ」
こいつは私の言葉を遮らないと気がすまないのか?
でも私の言いたいことは伝わったらしく、呆れと安堵のため息をついた。
「おば様がいらっしゃらないなら行くけど、時間は少しだけ遅らせてちょうだい。お母様が十時半に出かけるはずだから、そのあとに」
「わかった。じゃあ十一時。いいか、絶対に来いよ!」
「はいはい」
すっぽかすなよ!、と念を押してくる秋人との通話をきった。
私と秋人は、お互いの母親が私たちの結婚を望んでいるのを知っている。そしてそれは私だけではなく、秋人も避けたいと思っていることだ。
だから私たちは昔、ある協定を結んだ。
それはお互いの母親がそばにいる時は、必要以上に一緒にいないこと。そして母親に相手のことを聞かれても、分からない、よく知らない、仲は悪くないが特別視しているわけではないと言ってしらを切ること。
私がお母様の『桜子ちゃんと秋人くんの仲良し度チェック』に冷めた態度で受け答えをしたり、秋人の母親に「学校内で彼と会うことはあまりなくって……」と嘘をついたのはこれが理由だ。
そんな協定を結んでいながら、お互いの家に行くなんて自殺行為だ。じゃあ行かなければいいじゃないかとも思うけれど、恋愛経験値ゼロの幼馴染みのヘルプを無視できないし、外で会うと誰に見られるか分からないので、母親がいない隙にどちらかの家に行くしかないのだ。
「それにしても、秋人と千夏ちゃんの初デートかぁ~。こっそりついて行って陰から観察したいなぁ~………ん?初デート?」
待て、まてまてまて!思い出せ、前世で愛読した『ひまわりを君に』の展開を。
春休み中の今は、漫画では描かれない空白の期間だ。だから初デートという少女漫画的重大イベントは発生しないし、そもそも二人の初デートは五月のゴールデンウィークのはずだ。確か、秋人が千夏ちゃんを誘って水族館に行くという展開だったと思う。
それなのに、なぜこのタイミングで初デートなんだ?しかも千夏ちゃんから誘われてお祭りだなんて、私の知っている少女漫画とは違うことばかりで頭が追い付かない。
それからもうひとつ、引っ掛かることがある。
「千夏ちゃん……明後日……お祭り……」
ベットを飛び出した私は、昨日バッティングセンターでもらって帰り、なんとなく机の上に放置していたチラシを手に取った。
ああ、そうか、そういうことだったのか……。昨日抱いた違和感の答えがようやく分かった。
「あさがお商店街って、千夏ちゃんがバイトしてるお弁当屋さんがあるところじゃん……」
思わず呟いて、頭を抱えた。
生まれ変わっていると気づき、少女漫画の展開を思い出してから十年経っている。自分の人生に関わることは覚えていても、そんな主人公のバイト先なんていう細かい情報を忘れていて当然。思い出せたことに拍手を贈りたいぐらいだ。
「春休み中に、千夏ちゃんのバイト先がある商店街のお祭りでデートねぇ……」
秋人と千夏ちゃんの関係は、当面は秘密にするべきことだというのが知っている全員の共通認識だ。
だから少女漫画の第二部でも、学校ではなるべく接触を避けて、誰もいない放課後にこっそり会うだけだった。秘密の恋人、実に甘美な響きである。
けれど、せっかく恋が実ったのにデートにもいけないのは寂しいとなり、五月のゴールデンウィークに成瑛生がいなさそうで、なおかつ人混みに紛れ込める水族館デートに行くことになるわけだ。――――まあ、その帰り道に手を繋いで歩く二人の姿を、宝生寺桜子が車から目撃することでストーリーが大きく動くわけだけど。
とにもかくにも、私の知っているストーリーとは違っているのが現状だ。
これはいったいどういうことだろう。どこから歯車が狂ってしまったのだろう。
もんもんと考えながらも朝食を食べ、出かけるための身支度を整える頃になっても、これだという答えは思い浮かばなかった。
そして気づけば時刻は十時半となり、マダムのお茶会に招待されたお母様を見送ってから、身だしなみと持ち物の最終チェックを済ませて家を出た。
我が家と壱之宮邸は同じ高台の高級住宅街にあり、距離は歩きで十五分ぐらいしか離れていない。その程度の移動にわざわざ車を使う必要はないし、そもそも運転手からお父様に壱之宮邸へ行ったことを報告される可能性があるので最初から徒歩一択である。
慣れ親しんだ緩やかな坂を上がって、のんびりと歩いた先にあるデザイナーズ住宅が秋人の家だ。たぶんこの辺りでは一番の豪邸で、一番洗練された外観をしている。
相変わらず高い塀だな。乗り越えて侵入したら速攻で警備会社に通報されるんだろうなと思いながら塀沿いに門の方へ向かうと、一台の白い車が横付けされていて、後部座席から人が降りてくるところだった。
「あれ?宝生寺さん?」
早朝に私のところに連絡がくれば、当然この男にもヘルプコールでいっているか。
「こんにちは、雪城くん」
「宝生寺さんも秋人に呼ばれて?」
「ええ」
インターホンを押す雪城くんに歩み寄ると、ちょうど家政婦……というよりメイドの「お入りください」の一言と共に門が自動で開いた。小さい頃に初めて来た時は驚いたっけなぁ。
自分の家と学校の次ぐらいに勝手知ったる壱之宮邸に入り、小さい頃から秋人の面倒をみている老執事の佐々木さんの案内で、私たちを呼びつけた張本人の部屋の前へとたどり着いた。
「坊っちゃま。桜子様と雪城様がいらっしゃいましたよ」
「ンンッフッ……」
「どうしたの?」
「ごめんなさい、気にしないで」
久しぶりに聞く佐々木さんの秋人への『坊っちゃま』呼びに耐えられなかった。これだけは何年経っても面白くて笑ってしまう。
顔を背けることでなんとか吹き出すのは堪えたけれど、俺様何様秋人様の奴が坊っちゃまって……。ホントにもう笑うしかない。
秋人の返事を待たずに佐々木さんが開けた扉から、ニマニマと上がる口角を手で隠しつつ部屋にはいると――――口角は瞬時に下がった。うわぁ、これはひどい。
「人を呼びつけておいてずいぶんな態度ね。せめて起きなさい、秋人」
秋人はベットでうつ伏せになり、枕に顔を埋めていた。しかも生きているか不安になるぐらいの無反応っぷり。心なしか部屋の空気がじめじめしている気がする。
どうやら久しぶりの腑抜けモードらしい。
佐々木さんはお茶の用意をすると言って部屋を去り、雪城くんはベットの上の腑抜けに歩み寄る。私は面倒なので、少し離れた所にあるふっかふかの一人掛けソファーにお邪魔した。
「秋人、今度は何で僕らを呼んだんだ」
「あら雪城くん、聞いていないんですか?秋人は昨日、朝倉さんからデートに誘われたそうですよ」
「えっ、そうなのか?」
「デデデデートじゃねーよ!!!!!」
ようやく顔を上げたと思ったら何を言い出すやら。
「じゃあ明後日の外出をなんだと思っているの?」
「それは……ああ、あれだ!庶民の暮らしを見学に行くんだ!」
「バカなの?」
社会科見学がしたいなら初等部からやり直せ。
この腑抜けモードの秋人が面倒くさいのは知っているけれど、今日は一段と面倒くさそうだ。私はもうすでに頭が痛い。貴重な春休みの一日を無駄にしてしまったのが悔やまれて仕方がない。
力尽きたようにまた枕に顔を埋める秋人の姿に、ため息をつくタイミングが雪城くんと重なった。
「まったくもう、どうして毎回朝倉さんが絡むとそうなるのかしら。雪城くん、デートの定義を教えてあげてくれます?」
「デートの定義って……。改めて聞かれると難しいなぁ。好意を持ってる相手と二人きりで出掛ける、とか?」
「だそうよ、秋人。あなたは朝倉さんに、朝倉さんはあなたに。揃って好意を持ってる二人での外出は、間違いなくデートと呼ぶのではない?」
「……」
「秋人、聞いているの?」
「……の……た」
枕に顔を埋めたまま秋人がなにかを言ったらしい。
離れている私にはよく聞こえなかったけれど、近くの雪城くんには聞こえたらしく綺麗な顔がたいそう面倒くさそうに歪む。
そして彼はもう一度ため息をつくと、私の方に来て、向かいの二人掛けソファーに座った。
「秋人はなんて?」
「初めてのデートは、自分から誘いたかった、だって。嬉しい反面、男としてショックみたいだ」
め、めんどくせぇ~~~~~~。
恋愛経験値ゼロのくせに何を高望みしている。そこは普通に喜んでおきなさいよ。
むしろ本来の二人の恋路の進歩スピードを知っている私からすれば、これはハイハイする赤ん坊が突然に二本足で走り出したみたいなものだ。あまりの急展開に私が枕に顔を埋めて寝込みたい。
「付き合うようになれば僕らの手を離れると思ったら、逆に悪化してるね。どうする?」
「うーん、そもそも私たちにどうしてほしいのかが分かりませんしね……」
「朝倉さんに返事は?」
「昨日の電話で行くと伝えたそうです」
「となると、初めてのデートに漠然と不安?」
「そんなマリッジブルーみたいなこと……」
秋人に聞こえていようとどうせ無反応なので、声のボリュームをそのままに言い合っているとノック音の後に佐々木さんがやって来て、それに続いてメイドたちが部屋に入った。一人はティーカート、もう一人はハンガーラックを押している。
嫌な予感がした。テーブルに置かれた、サンドイッチと色とりどりのミニケーキの乗った三段のケーキスタンドなんて気にならないぐらい、猛烈に嫌な予感がした。
「坊っちゃま、仰られた物をご用意いたしましたので、こちらに置いておきますね」
佐々木さんはそう言って、メイドたちと一緒に去っていった。
秋人が頼んで用意したものって、まさか……。
恐る恐るハンガーラックに近づいて、掛けられたカバーをめくる。そこに吊るされているのは、仕立ての良さそうな春物ジャケットにスラックス。それに合うネクタイやネクタイピンなどの小物類まで用意してあった。
「…………秋人、これを着てどこへ行く気?」
「どこって明後日、朝倉と会うんだよ。お前らどれがいいと思う?」
「バカなの?ああ、バカなのね」
前言撤回。貴重な春休みの一日を無駄にしてしまったことよりも、この恋愛経験値ゼロのドバカ規格外お坊っちゃんを幼馴染みを持ってしまったことが、心の底から悔やまれる。
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