7-3. 困った人





「一人で何してるんだ。父さんと母さんは?」


「あっちで学校の先生とおはなししてる」


颯真そうまは?」


「そーちゃん、学校のお友だちのところにいっちゃった」


「一緒にいれば良かったじゃないか」


「だってぇ……!」



 雪城家の次男、颯真くんも来てるのか。あの美少年も兄と同様に成瑛に通っているし、パーティーに出席していて当然か。たしか四月から小学六年生だったかなぁ……。

 なんてことを考えつつ既視感のある会話をする兄妹を黙って眺めていると、涙目で駆け寄ってきた妹を受け止める雪城くんはまさに“お兄ちゃん”だった。学校では決してみられない姿が、少し微笑ましい。

 そして同時に、高等部に存在する雪城透也ファンクラブの会員たちがこの光景を見たら、王子の新たな一面に、喜びやらなんやら感情が爆発して泣き崩れるだろうとも思った。写真に撮ったらいくらで売れるだろう……。

 そんなゲスいことを考えていたせいか、澪ちゃんから不信感たっぷりの怯えた目を向けられてしまった。



「こんばんは」


「こっ、こんばんは……」



 怖くないよ~という意味で微笑んだつもりだったけれど、返ってきたのは消えてしまいそうな小さい声だし、すぐに雪城くんの後ろに隠れてしまった。

 うっ、可愛い。小動物のようでとんでもなく可愛いんだけど、避けられてお姉さんは悲しい。



「澪、宝生寺さんだよ。昔会ったことあるけど、覚えてない?」



 澪ちゃんは首をぶんぶん横に振る。



「そっか。ごめん宝生寺さん、澪のやつ今日ちょっと機嫌が悪いんだ。気にしないで」


「いえいえ。最後に会ったのは確か、澪ちゃんが歩けるようになった頃でしょう?覚えてなくて当然ですよ」



 澪ちゃんが生まれたのは、私たちが小学五年生、十歳の頃だっただろうか。

 当時から秋人を仲介して雪城家とも交流があったから出産祝いを贈ったり、周りにいる女の子は私ぐらいだったから母親同士で情報交換したりと、澪ちゃんに会う機会は何度かあった。それでももうずいぶん会えていなかった。親戚でもない年上の私を覚えているわけがない。

 昼間の芝生広場でプープー鳴る靴でよちよち歩いていた子が、夜のパーティー会場でリボンが可愛いフォーマルシューズを履いている。存在は覚えていたし年齢も把握していたけれど、いざこうやって会ってみると、その成長になんだか感慨深いものがある。

 それにしても本当に可愛いな。顔の作りは兄とほぼ同じなのに、女の子というだけでこうも清らかで愛らしくなるものなのか。天使の羽根と輪っかはどこにしまってるの?



「今日ここに来てるということは、四月から成瑛の初等部に?」


「そうなんだけど、ちょっとね……」


「やだ!ちほちゃんといっしょに雅が丘にいくの!」


「最近ずっとこんな感じで困ってるんだよ」


「あらあら」



 雪城くんの話を聞くと、どうやら澪ちゃんは成瑛の初等部に入学したくないらしい。

 両親から「お兄ちゃんたちと同じ学校に行こうね」とだけ聞かされて成瑛の初等部を受験し、見事合格。しかし同じ幼稚園の仲のいい子はみんな、お嬢様学校で有名な雅が丘女学院に通うことになっているらしい。

 澪ちゃんは先日あった卒園式でその事実を知り、友だちが一人もいない所に行くなんて嫌だと駄々をこね続けているそうだ。

 でも駄々をこねた所で、今さら雅が丘に入学できるわけがない。成瑛の入学は辞退できても、そうなったら入学先は公立の小学校になるだけだ。幼い澪ちゃんに理解しろと言うのも無茶だけど、こればかりはどうしようもないことだ。



「おかげで今日も成瑛のパーティーになんか行かないって駄々こねて、遅れることになっちゃったしね……」


「ああ、そういうわけだったんですか」



 雪城くんの両親、特に母親はパーティーのような賑やかな場所が好きな人だったはずだから、遅れてくるなんて珍しいこともあるもんだと思っていたけれど……。まさか澪ちゃんが嫌がっていたからだとは想像もしていなかった。



「宝生寺さんからもなんとか言ってくれない?」


「えっ、私が?」



 私、赤の他人だけど。だいたいその澪ちゃんからめちゃめちゃ警戒されているんだけど。


 でも、よりによって雅が丘か。確かにこの辺りで一番有名で歴史ある女子校だけど、あそこに通っている知り合いは苦手な性格の子や、昔から妙にライバル視してくる子ばかりだから、私のなかであの学校のイメージはあまり良くない。

 できることなら、澪ちゃんには成瑛の初等部に来てもらいたい。それに初等部の制服はグレンチェックのスカートが可愛いと有名で、澪ちゃんにもよく似合いそうだ。



「澪ちゃん」



 怖がらせないよう両ひざを床につけ、視線を合わせて声をかける。



「私の名前は宝生寺桜子といいます。澪ちゃんのお兄ちゃんと同じ成瑛学園に通ってます。澪ちゃんは……えっと、お友だちのちほちゃんがいないから、成瑛には行きたくないの?」


「まりかちゃんも、ももちゃんも、ふーちゃんもだよ。みんないないの」


「そう、みんないないのねぇ。お友だちと離ればなれになっちゃうのは寂しいもんね。私も小学生になる時、女の子のお友だちがみんな違う学校に行っちゃって寂しかったわ」


「そうなの……?」


「ええ。でもこれは恥ずかしいから秘密にしてね?」



 多くの子会社を抱える総合商社のトップである父に教わったことがある。人心掌握の基礎は、相手に気持ちや考えを吐き出させ、同意、共感する。そしてこちらが心を開いていると相手に思わせるために、細やかな秘密を打ち明けることだと。

 ビジネスマンのやり口を純真無垢な美幼女に使うのは罪悪感があるけれど、この場を円滑に進めるためには仕方がない。

 微笑みながら小さな声で話しかければ、澪ちゃんは雪城くんから離れ、おずおずと私のそばに寄ってきた。

 おお、近くで見るとさらに可愛い。おめめぱっちり。ほっぺたなんて触ればもちもちだろう。これは一人で道を歩いたら誘拐待ったなしだろうな。



「ひとりなの、やじゃなかったの?」


「最初だけ嫌だったわ。でも違う学校にいっても、その子とお友だちじゃなくなっちゃうわけじゃないもの。ちほちゃんたちは、違う学校だからって澪ちゃんを仲間はずれにする子なの?」


「ううん。ちほちゃん、ちがう小学校にいっても遊ぼうねって言ってくれたよ」


「そうでしょう?だから大丈夫よ。それに小学校に入ったら、新しいお友だちもたくさんできるわ」


「新しいお友だち……できるかなぁ?」


「できるわ。さっき澪ちゃん、私にきちんとご挨拶してくれたでしょう?そういう子は、すぐにたくさんお友だちができるわ。ね、雪城くん?」



 澪ちゃんは雪城くんの元に戻り、不安半分、期待半分の目を兄へ見上げた。

 いけ、お兄ちゃん!あんたの答え次第で澪ちゃんの進学先が決まる!



「成瑛に入っても、澪ならすぐに友だちができるよ」



 にっこりと微笑み、年の離れた妹の頭を撫でる。すると澪ちゃんも安心したように笑った。見ているこっちまで笑顔になってしまう天使の笑みだ。

 だがしかし、実に微笑ましい光景の裏で、決め顔の兄のジャケットの裾がシワだらけになっているのが見えてしまった。たぶん澪ちゃんが私から隠れた時に、がっちり握りしめていたのだろう。場所が場所だけに、「満員電車で痴漢にでもあったんですか?」と言いたくなるようなシワのでき具合だ。

 耐えろ、私。この状況で吹き出したら、せっかくの解決ムードがぶち壊しになる。窓の向こうの夜景でも眺めてやり過ごそう。


 蚊帳の外で雪城兄妹の会話を聞き流していると、気付けば「なんで父さんと母さんのそばを離れたんだ」という最初の話しに戻っていた。

 私も澪ちゃんみたいなか弱くて可愛い幼女は、一人で歩き回るべきじゃないと思う。世の中には人の話を聞かないで腕を引っ張るようなクソ野郎もいるのだから。



「いいか、澪。世の中には昔誘拐犯を撃退したことがあるからって、油断して毎回面倒なことに巻き込まれる困った人もいるんだ。お前はそうなっちゃダメだよ?」


「それ私のこと言ってます?」


「自覚があるようで良かったよ」



 こ、この野郎ぉ……幼気な澪ちゃん相手に私を反面教師にするとは何事か。

 今日は助けてもらった恩があるからやらないけど、次にやったら澪ちゃんにあんたの過去を教えるからな。

 中等部の頃、体育の授業でバスケットボールの最中にクラスメイトから告白され、驚いて顔面にボール食らったこととか。そのクラスメイトが男だったこととか。他にもいろいろと知っているんだからな。

 この宝生寺桜子様の情報網が火を吹くぞ。



「でもね、お兄ちゃん。澪、ちゃんとパパにお兄ちゃんのところに行ってくるねって言ってきたよ。そしたらお兄ちゃんが走ってどっか行っちゃうのが見えたから、ここで待ってたの」



 それもダメだの、と澪ちゃんは不思議そうに首を傾げた。

 ――――走って……?



「澪ちゃん。お兄ちゃんが走っていくのを見たの?」


「うん、そうムグッ」


「澪?ちょっと黙ろうか?」



 澪ちゃんの小さなお口に手を押し当てる大人げない兄を見ると、あからさまに目をそらされた。

 走って会場から出た、ねぇ……。雪城一家がいつ会場に着いていたかは知らないけれど、私がパウダールームに避難してすぐと考えても、わずか十分。理事長や他の出席者に挨拶をする前に会場を出たことになる。

 ……ん?パウダールーム?そういえば、なんで雪城くんはあの人気のない廊下に来たんだ?

 ふとさっき歩いてきた廊下の方を見ると、天井から下がる案内看板が目に入った。パウダールームの文字に、緑の避難誘導のマーク、そして赤と青の人のマークが描かれている。



「あっ」



 人類の尊厳を守る砦、トイレがあるではないか。



「えっと、事情も知らずに戻ろうなんて言ってごめんなさい。澪ちゃんはお預かりしておきますから。どうぞ」


「どうぞって……え、待って、なにか勘違いしてるよね?」


「澪ちゃん、お夕飯は食べた?」


「ううん」


「じゃあお兄ちゃんは行くところがあるみたいだから、私と一緒になにか食べて待ってましょうか。あっちに可愛くて美味しい手まり寿司があるのよ」


「うん!」



 澪ちゃんは私に慣れてくれたらしい。おいでと呼べば無邪気に寄ってきて、私の手を握ってくれた。

 ヒャー可愛い!おててちっちゃい!でも可愛すぎてホイホイ誘拐されてしまいそう心配になる。私なんかよりよっぽど護身術を身に付けておいた方がよさそうだ。

 いっそ初等部の入学祝いに防犯ブザーと唐辛子スプレーでもプレゼントするか。



「待って。宝生寺さん、本当に待って。絶対にろくでもない勘違いしてる」


「私はなんにも気づいてませんよ」


「ああ、そうだね。本当になにも気づいてないうえに、すごい勘違いしてる」



 ええ、気づいてませんよ。学園で王子様扱いされてキャーキャー言われてる男がトイレに駆け込むなんて、ええ、気づいてませんとも。

 そもそも、ヒロインのピンチに颯爽と現れるヒーローなんていう展開は少女漫画ではベタだ。でもそれは千夏ちゃんと秋人の役割。悪役とヒーローの親友の組み合わせで発生するイベントではない。

 これぐらいの人間らしさが現実的で納得できる。



「宝生寺さん、お願いだから話聞いて。その勘違いの仕方は絶対によくない」


「え~、だったらどうしてあのタイミングであの場所に?」


「それは……」



 澪ちゃんの手を引きながら会場に戻れば、始まってからそれなりに時間がたっているからか出席者たちも気分が上がっていて、ずいぶんと賑やかになっていた。

 そんななか料理コーナーへ向かう途中、派手に着飾ったご令嬢たちに囲まれた秋人の姿が見えた。またかよ、と思いつつもスルーする。


 壱之宮の御曹司である以上、こういった場に出ると秋人は毎回のように超優良物件として肉食女子たちに囲まれるのだ。ぶちギレそうになったら助けに行ってあげてもいいけれど、顔色を見る限りまだまだ大丈夫だろう。

 ちなみに私と澪ちゃんについてくる男も、毎回肉食女子に取り囲まれる。彼の場合は自力でうまく逃げるので、助けたことは一度もない。

 ていうか、トイレ行ってきなよ。生理現象なんだから仕方がないって。



「……あーうん、もういいよ。たぶんこのタイミングだと何を言っても伝わらないだろうし、澪と一緒にいてくれるなら、今はそれでいいよ」



 ざわつく周囲の声に紛れて聞こえたその言葉は、珍しく投げやりに思えた。ちらりと後ろを見れば、いつも通りの考えの読めない微笑み。



「まだ理事長に挨拶してないから、ちょっと両親のところに行ってくるよ。澪のこと頼めるかな?」


「……ええ、もちろん」


「ありがとう。澪、宝生寺さんに迷惑かけないようにね」



 澪ちゃんが頷くのを見て、雪城くんは人込みの中へと消えていった。

 前に「十年来の幼馴染みだよ」なんて言われたけれど、雪城くんの言動を意味を理解できたことは一度もない。それにたぶん、理解されようとも思われていない。

 稲村を追っ払ってくれたり、妹を預けてくれたりと、仲がいいわけではないけれど悪いわけではないとは思う。でもなんていうか……同じ幼馴染みである秋人とは違って、踏み込ませない一線、半透明な薄い膜がある感じがする。



「ねえ桜子お姉ちゃん」


「あ、ごめんね。どうしたの?」


「あの白いのなあに?おもち?」



 澪ちゃんの指差す方を見ると、トルコ料理のコーナーで民族衣装を着た男性が餅のような白い塊を練っていた。



「あれはトルコのアイスで、ドンドゥルマっていうの。アイスなのに伸びて、温かい紅茶と一緒に食べるととっても美味しいのよ。気になるなら、あとでもらいに行きましょうか」


「うん!」


「でもまずは、きちんとご飯を食べましょうね」


「じゃあアレ食べたい!」



 ああ、なんて可愛いんだろう。このまま家に連れて帰りたいぐらいだ。

 それに桜子お姉ちゃんっていう呼び方。前世でも一人っ子だったから、お姉ちゃんなんて初めて呼ばれた。控えめに言っても最高。

 成瑛学園には入りたくないって言っていた顔とはまるで違う、パーティーの華やかな雰囲気に目を輝かせ、たくさんある料理のどれを食べるか真剣に悩む姿は心が浄化される。それを眺めながら食べる豚の角煮とカニクリームコロッケも最高だった。


 その後ひとしきり食事メニューを堪能し、予定通りドンドゥルマをもらいに行くと、ドンドゥルマ売り伝統芸のアイスを渡すとみせかけて渡さないパーフォーマンスを披露された。でも澪ちゃんは翻弄されながらも楽しそうで、可愛い子は何をしても可愛いものだと思った。

 ちなみに私ももらおうとしたら、澪ちゃん以上に激しいパフォーマンスの餌食にあい、はちゃめちゃに翻弄された。解せない。

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