7-2.不可抗力です
この春無事に幼稚舎を開校できましたのも、宝生寺さんのご支援あってのこと。お嬢さんも成績優秀で多くの学生から慕われていて、そのような学生が在籍してくれて嬉しいばかりです。うんぬんかんぬん。
成瑛学園理事長は長いスピーチを終えるとステージから降りて、挨拶回りにやって来た。スピーチが始まった時点で私は事前に言われていた通り、料理コーナーを離れて両親と合流していたけれど、出来ることならあのまま料理コーナーにいたかった。まだ豚の角煮だって食べてないのに!
早く終われと念じながら、両親の横で黙って愛想よく微笑んでおく。ああ、顔がひきつる。
すると理事長の後ろにいた学園関係者らしき人が、そっと理事長になにか耳打ちした。
「ああ、そうだな。まだ話足りませんが、他も回らねばなりませんので、私はこれで。どうぞ楽しんでいってください」
理事長はそう言うと、にこやかに他の出席者へと声をかけに行った。
相変わらず話の長い人だ。
「じゃあ私も戻りますね」
「待って桜子ちゃん。壱之宮家の方にご挨拶をしないと」
「大丈夫。さっき偶然会えたから、済ませておきました」
理事長のスピーチが始まり、秋人と別れて両親を探している時に、壱之宮夫妻から声をかけられて挨拶は済ませてあるのだ。
あれが秋人と一緒にいるタイミングだったら、泉おば様から「本当に仲が良いわねぇ」と言われかねないし、両親と合流してからだったらお母様が何を言い出すか恐ろしくてたまらなかっただろう。あれはまさに最高のタイミングだった。
挨拶は済ませたとなればお母様も満足したらしく、にっこりと微笑んで「楽しんでいらっしゃい」と解放してくれた。
何はともあれ、挨拶しておかなければならない人とは会えたから、あとは両親から帰るぞと伝えられるまで自由にしていよう。といっても食べることしか楽しみがないので、料理コーナーに戻るしかないのだけれど。
豚の角煮が残っていることを願いながら歩いていると、その料理コーナーに会いたくない人を見つけてしまった。
稲村穂高と、卒業式の日に秋人に告白してフラれた霧島静香の卒業生コンビだ。
やっば。どっちに見つかっても厄介だ。いったんどこかに逃げよう。
キョロキョロと逃げ場を探して、会場の出入り口付近にパウダールームへの案内看板を見つけた。私は迷わず乙女の聖域に駆け込んだ。
「はあ~、帰りたい……」
鏡台の前に座った途端、本音が口からぽろり。でも広いパウダールームには私しかいないので気にしない。
それにしても、まさかあの二人が一緒にいるとは……。稲村のしつこさも厄介だけど、霧島静香からはなにかと目の敵にされているので会いたくない。
なにせ彼女は、紫瑛会のメンバーは初等部から成瑛に通う純血の成瑛生のみと親しくしておくべき、という選民派の中でも群を抜いた選民思想で、女子生徒のなかでは私の次ぐらいに影響力がある人だった。
でも私は紫瑛会メンバーで親しくしているのはごく数名で、機会さえあれば外部生と会話だってしちゃう。そんな私より学内の序列が下なのが、ずっと不愉快に思われていたようなのだ。
おまけに私が秋人と幼馴染みで、秋人に惚れていた彼女は私が邪魔で邪魔で仕方がなかったらしい。
面と向かって文句を言われたことはないけれど、隙を見つけてはものすごく恐ろしい目で睨まれていたのだ。向こうは気づかれていないと思っているらしいけど、私は気づいていましたからね……。
とにかく、少しここで時間を潰して、それから会場に戻ろう。料理だってまだ数種類しか食べていないし、デザートなんて一つも食べていない。こんなことで満足してたまるか。
メイクやヘアセットが崩れていないか確認したり、バックにしまっていたスマートフォンに真琴からメッセージが届いていたから返信したりして十分ぐらい過ごしてパウダールームを出た。いざ再び戦場へ行かん!
「探したよ、桜子様」
アーッ!エマージェンシー!エマージェンシー!
即時撤退を要請します!
「……まあ、稲村先輩。卒業式以来ですね」
パウダールームを出てすぐのところで、稲村と出くわしてしまった。
――――いや、違うな。たぶんこの男、私が会場を出ていくのを見ていて戻ってくるのを待っていたのだ。そうでないと、他に人がいないこんな場所に一人でいるわけがない。
「大学が始まったら、めったに会えなくなってしまいますからね。せっかくの機会だから挨拶しておきたくて、探してしまいました」
「そうだったんですか。わざわざありがとうございます」
「髪、今日は巻いてるんだ。いつもより大人っぽくていいですね」
「ありがとうございます。先輩もそのスーツよくお似合いですよ」
まずいなぁ……。よりによってホテルのスタッフすらいない場所で捕まってしまうなんて、料理のことで頭がいっぱいで油断した。
盾役の秋人が気付いて来てくれればいいけれど、ここは会場から離れているから望みはかなり薄い。自力でどうにかして会話を切り上げて、人の溢れる会場へ戻らなければ……と、いかにしてこの場を切り抜けるか会場の方を見て考えていた、その時だった。
「このホテル、庭園に大きなサクラの木があって、ちょうど今ライトアップしてるそうです。二人で抜けて見に行きませんか?」
いつの間にか距離を詰められ、時計機能はオマケみたいな派手な腕時計のついた手に腕を掴まれる。気持ちの悪さに全身が粟立った。
しまった!敷き詰められたフカフカの絨毯のせいで、歩み寄られた足音に気づかなかった。
「も、申し訳ありません。私、まだご挨拶を済ませていない方がいるので、せっかくのお誘いですが……」
「挨拶?そんなの後でも大丈夫でしょう。さあ行きましょう」
「いや、ちょ、本当に困ります……!」
行かないって言ってるでしょ!気安く触んな!離せ!
足を踏ん張って拒絶したくても、華奢なピンヒールなんかを履いてきてしまったせいで力が入らない。いっそよろけたフリして、その爪先の尖った革靴おもいっきり踏んでやろうか。ピンヒールの殺傷能力なめるなよ!
「宝生寺さん」
ひやっとする様なよく通る声に、稲村の動きが止まり、腕を引っ張る手の力もわずかに緩んだ。――チャンス!
煩わしい手を振り払って三歩離れれば、稲村の背中の向こうに、これまたパーティー仕様の見慣れた人物の姿が見えた。
「雪城くん……!」
「具合大丈夫?ホテルの人に言って、あっちのソファの方に温かい飲み物用意してもらったけど……」
雪城くんは穏やかに微笑みながら歩み寄ってくると、稲村を一瞥してから、私に「大丈夫?」ともう一度聞いてきた。
具合って……いや、そもそもあんたいつの間に来てたの……。いくつか疑問が浮かぶけれど、彼も私が稲村に迷惑している事を知っているので、この大丈夫は「絡まれてるけど大丈夫?」という意味なのは分かった。
全然大丈夫じゃないです。あと少し長く腕を掴まれていたら、ピンヒールで足を踏んでから左アッパーのコンボ技をきめそうでした。
「すみません、稲村先輩。彼女、少し気分が悪いようなので、休ませてあげてほしいんですが」
有無も言わせぬアルカイックスマイル。
稲村も高等部でそこそこ人気があったらしいけれど、日本とフランスの良いところ取りな顔の造形には勝てまい。傷が浅いうちにさっさと敗けを認めて失せるがよい。
「……ああ、そうですか。申し訳ありません、気づかなくて」
「いえ、せっかく誘ってくださったのにすみません」
「お気になさらず。では、お大事に」
私の社交辞令の謝罪に、稲村は早口でそう言うとさっさとパーティー会場に入っていった。去り際、舌打ちしたのも聞き逃さなかった。
「ありがとうございます。助かりました」
春休み早々に暴力沙汰を起こさなくて済んで、ほっとため息をつきつつ、掴まれた感覚が残って気持ちが悪い腕をさする。
すると雪城くんの顔から微笑みが消え、呆れたような、疲れたような目で見下ろされた。あら、彼にしては珍しい。
「どうして秋人と一緒にいなかったんだ」
「パウダールームに男が入れるわけないでしょう?」
「そういう意味じゃなくて、不用心すぎるってことだよ。自分にちょっかい出してくる奴が近くにいるって分かってて、どうして一人になったんだ。しかもこんな人気の少ない場所で」
「だからパウダールームに……」
「宝生寺さん。僕、わりと本気で言ってるんだけど」
あらやだ。この人、面倒なスイッチ入っているわ。
しかも秋人がなにかやらかした時と同じ顔をしているわ。
「あの人が会場にいると気付いた時は、秋人と一緒にいましたよ。でもまさか、こんな待ち伏せみたいな事をされるなんて思うわけないじゃないですか。不可抗力です」
「それは不用心って言うんだよ。秋人じゃなくてもいいから、とにかく一人になるべきじゃなかった」
「それは……まあ、ちょっと後悔していますけど……」
まさか待ち伏せなんて、ともう一度言いたいけれど、どちらかが折れなければ会話は堂々巡りなので言わないでおく。
「でも雪城くんが気付いて来てくれたから、結局大丈夫だった。これが全てですよ。ありがとうございました」
「僕が気付かなかったらどうするつもりだったの?気付いたとしても、僕が助ける保証なんてないよね?」
ねぇちょっと、今の感じ完全に会話を締める言い方だったよね?
いつもの察しの良さはどこにいったの?
もういいじゃん。終わろうよ。私まだ豚の角煮を諦めてないんだけど。
「保証……は、ないけど……。でもさっき雪城くんの顔を見た時、ああ雪城くんなら気づけば助け舟を出してくれるかと、ちょっと納得できたんです。だからきっと私のなかで、あなたはそういう人なんですよ」
今でこそこうやって普通に会話をする仲……彼曰く十年来の幼馴染みだけど、本来の少女漫画だったら絶対零度の視線で敵対する関係だ。
秋人と千夏ちゃん。親友とその恋人のために迷いなく行動できる人だということと、敵と判断した相手への冷たさは、元読者にして現悪役である私が一番よく知っている。
だから雪城くんが、一応は十年の付き合いがある私を、気づいていながら見捨てるわけがない。それが分かっていたから、さっき彼が声をかけて助け舟を出してくれたことに驚きはしなかった。保証はないけれど、信頼に似た何かはあったのだ。
「……答えになってないよ」
「でしょうね」
前世の記憶っていう予備知識があるからとは言えるわけがない。
フィーリングなのでうまく言語化できませんと言って誤魔化せば、軽くため息をつかれ、さらに苦笑いを向けられた。
「こんなこと、次はないようにしてね。見つけたこっちの心臓に悪いから」
心臓に毛が生えていそうな性格のくせに、よく言うよ。
あっ、そういえば料理コーナーに北海道産毛ガニのクリームコロッケがあったな。戻ったら食べよう。
「そうですね、次はないよう気を付けます。さっ、早く会場に戻りましょう」
「掴まれた腕は大丈夫?」
「はい。少し感覚が残ってますけど、痛みはまったくないです」
会場へと歩きながら、もう一度腕をさする。
私は潔癖症ではないから、この違和感は、きっと稲村のことが生理的に受け付けないからだろう。何せあの男は私の好みの正反対だ。親に地位に甘んじて好き放題。軽薄で、独善的で、無責任。
つい一昨日に前世からの最推し春原くんと偶然にも会話をしたこともあって、余計に稲村のようなタイプが嫌に感じる。
そんなイライラともやもやは、美味しい料理を食べて解消しよう。豚の角煮やカニクリームコロッケ、それ以外にも世界五か国の料理が私を待っている。
意気揚々と会場の出入り口に近づくいていくと、ふと、開きっぱなしの扉に天使の様に愛らしい小さな女の子が寄りかかっているのが見えた。
少し癖のある柔らかそうなハニーブラウンの髪に、ピンク色のドレスが似合う白い肌。そして今私の横を歩く男とよく似た、少し日本人離れした整った顔立ち。
「雪城くん、あの子もしかして……」
「え?あっ、澪!?」
ああ、やっぱり。雪城家の末っ子、
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