7-1.早く帰りたい
成瑛学園は、二週間の春休みとなった。課題も出されていないし、部活にも所属していない私は悠々自適なスプリングバケーションである。
だがしかし、一つだけ避けては通れないイベントがあった。
その名も『成瑛学園懇親パーティー』。毎年春に成瑛学園の理事長が主催し、学校評議員や支援者、理事長が選んだ初等部から大学までの在校生徒とその両親が招待されるパーティーに、私は初等部の頃から毎年招待されているのだ。
今は両親と共に、そのパーティー会場である一等地に建つホテルへと向かっている車中。ご丁寧に宝生寺家所有の運転手付きリムジンである。
昨日は修了式が終わるなりお母様に引きずられるようにエステとネイルサロンをはしごしたので、肌と爪は完璧に整えられている。ヘアセットとメイクも、ついさっきまで行きつけの美容室で二時間半かけて施された。髪なんて普段のストレートとは真逆でゆるふわに巻かれている。
そんな五割増しの自分の姿が、夕暮れの大通りを走る車の窓ガラスに映っていた。
ものすごく嫌そうな、疲れきった顔が映っていた。
このパーティー、ものすっごく行きたくないのだ。
懇親パーティーに招待される選ばれし生徒というのは、学園の特権階級集団『紫瑛会』のメンバーのこと。正確には、招待された中等部と高等部の生徒は来年度カフェテリアの二階席を利用する資格を得られる、ということだけれど、私にとっては卵が先か鶏が先かみたいな話なのでどうでもいい。
とにもかくにも、私はこの紫瑛会メンバーがあまり好きではないのだ。
メンバーの半分以上は選民派で、さらに自分は特別なんだと偉ぶって学内で好き勝手している。実際にかなり権力のある家柄の人なので、生徒は誰も反抗できないし、学校側も紫瑛会メンバーの家から多額の寄付金を貰っているので下手に注意できない。
そんな人たちとの交流は、宝生寺の娘としては円満におこなっていた方がいいのだろうけど、私個人としては願い下げである。ペラペラと聞いてもいない選民的持論を展開されたら、「ピーチクパーチクうるせぇんだよ七光りが!」と、過去に誘拐犯を撃退した黄金の右ストレートを顔面にお見舞いしてしまいそうだ。
それからもう一つ、紫瑛会メンバーの親も出席するということは、秋人の両親にも会うことになるというのが、行きたくない理由でもある。
今までは気にならなかったけれど、秋人が千夏ちゃんと付き合い始め少女漫画第二部が始まろうとしている今、壱之宮夫妻は私の人生のラスボスだ。それが脳みそお花畑のお母様と一緒にいる時に会うなんて、いつ婚約の話を蒸し返されるか分からなくて心臓に悪い。できる限り会いたくないのである。
「……はあ、帰りたい……」
ため息混じりに呟いたところで、私の存在を忘れていちゃつく両親の耳には入らない。ただバックミラー越しに運転手と目が合った。
ああ、このいい年した子持ち夫婦の甘ったるい空気を吸わされているのは私だけではなかったか。むしろ雇用主夫婦のこの空気はツラいか。
思わぬところに同士を見つけ、少しだけ気分が紛れた。そして私は運転手に静かに合掌した。
しばらくして、車は目的地のホテルに到着し、正面入り口で両親と共に車を降りた。そのまま足を止めることなくエレベーターで四階の大宴会場へと向かう。
するとふと、お父様と仲睦まじく腕を組んでいたお母様が呟いた。
「やっぱり、桜子ちゃんには春らしいピンクのドレスを着てほしかったわ」
「お母様、それについては結論が出たわよね?」
「でもね、年を取るとそういう色って着れなくなってしまうのよ。それに桜子ちゃん、ピンクがとっても似合うじゃない。だから桜子ちゃんにはたくさん着てほしいの」
お母様は、よっぽど私にピンク――桜色の乙女チックなドレスを着せたいらしい。今日の衣装を買うときも、お店でずいぶんとごり押しされた。
でも私が着ているのはピンクではなく、シルバーグレイ。上半身だけ総レースで、膝丈のフレアスカートは少し光沢のある生地だ。このシンプルだが高級感のあるAラインドレスを、私はお店で一目見て気に入った。
それに個人的な考えだけど、桜が咲く時期に桜色を着るなんて安直だし、桜子という名前の人間が桜色の服を着るなんて自己主張が強すぎると思う。桜模様の着物なんて以ての外だ。
「大丈夫ですよ、お母様。お母様は今でもピンクが似合うわ」
「そうじゃなくって……」
「お父様もそう思いますよね?」
「ああ、そうだな。頼子もよく似合う」
四階に到着してエレベーターを出ると同時に、ごねるお母様をお父様に丸投げする。すると背後でお母様が「やだもぉ柊平さんたら」と照れながらもお父様にじゃれつく声が聞こえたので、気づいていないフリですたこらさっさとパーティー会場へと向かった。
会場を覗くと、もうずいぶんと集まっているようだ。奥様方は色っぽく、ご令嬢方は華々しく、男性陣はネクタイのデザインで個性が出ている。会場の派手さと相まって目がチカチカする。そして案の定、ピンク系のドレスやアイテムを身に着ている人が多かった。
あー良かったぁ。こうなるのが分かっていたから、誰とも被らないグレーを選んだんだよね。
「ああ、宝生寺社長!お久しぶりです」
良家の令嬢として、公式の場で父親より前を歩くわけにいかないので、腕を組む両親の斜め後ろをキープして会場に入る。すると始まるのが挨拶タイム。かつて財閥と呼ばれた宝生寺グループの社長とお近づきになりたい人は大勢いるのだ。
真っ先に声をかけてきたのは、学園の評議員をしている大手食品会社の取締役だった。社交辞令とごますりの会話を顔色ひとつ変えずに受け流すお父様の後ろで、話題が振られる可能性が低い私は会場脇に用意された料理を眺めた。
ビュッフェ形式で、右から和食に中華、フレンチ、イタリアン。ああ、今年はトルコ料理もあるのか。しかも各種料理人付きで、作りたてが食べられるらしい。世界三大料理が揃っているとは、嫌で嫌で仕方がないパーティーも今年は少し楽しめそうだ。
料理コーナーにはすでに人がいて、美味しそうな料理を食べている。基本的には立食だけど、初等部の子もいるから椅子とテーブルも用意してあり座ってゆっくりと食べられる気遣いっぷり。
あ~私もあっち行きた~い。そして美味しいもの食べてさっさと帰りた~い。アレあるかなぁ、トルコアイスと……名前は忘れたけどくるみゆべしみたいな食感のお菓子。昔お土産にもらって、けっこう美味しかった記憶がある記憶があるんだよなぁ。
「桜子」
「ハイッ?!」
「挨拶をしたい人がいるなら、気にせず行ってきなさい。ただ理事長にご挨拶をしなければいけないから、あとで戻ってきなさい」
突然呼ばれて慌てて視線を戻すと、お父様にそう言われてしまった。
どうやら料理コーナーにいる人に挨拶をしたくて見ていると思われたらしい。私は料理を見ていたけれど、あっちに行けるなら理由はなんだっていい。
よそ見している間に代わる代わる挨拶に来る人の群れが一段落していたようなので、ありがたく両親のそばを離れた。すると顔見知り程度でしかない子が何人か声をかけてきたけれど、彼女たちも私個人ではなく「宝生寺家の令嬢と親しくしろ」と親から言われている様な雰囲気だったので、一言二言話してすぐに料理コーナーへ向かった。
さて、何から食べようか。本命はデザートだけど、まずは前菜メニューから攻めていくべきだろう。
和食だと焼きたけのこ、中華だと棒々鶏、フレンチだと鯛のカルパッチョが王道だけど、イタリアンのカプレーゼも捨てがたい。トルコ料理はあまり詳しくないから、新境地開拓を狙ってみるのもいいかもしれない。
歩き回るウェイターからもらったオレンジジュースを飲みながら、どの料理から攻めるか吟味する。それともいっそのこと、カロリーなんて忘れて気になったものは全部食べてしまおうか。
「そんな悩んでんなら全部食えばいいじゃねーか」
心を読まれたような言葉にぎょっとしてそちらを見ると、パーティー仕様の秋人がいた。こういう場でフォーマルな格好をしていると、普段の傍若無人な俺様オーラは鳴りをひそめて、きちんとした大企業の御曹司に見えるから不思議だ。スーツマジックというやつか。
「何をどれだけ食べるか考えて選ぶのがビュッフェの醍醐味じゃない」
「とか言って、どうせ毎回全種類制覇してるだろお前」
「それも楽しみ方の一つね」
「食い道楽が」
私は宝生寺家の娘として小さい頃からこういった社交場に参加させられているけれど、あいにく選民思想くそ食らえ、ごますり連中はごますり過ぎてお前が粉末になれと思っているので、楽しみは出される料理だけなのだ。
秋人だって長年の付き合いでそれを知っているんだから、わざわざ何かを言ってこなくたっていいのに。
空腹と相まっていつも以上にイラッとするので、一番近い和食コーナーの料理人に焼きたけのこと車えびの天ぷら、手まり寿司を少しずつもらって完食した。
「桜子」
「なに?あっ、こちらの菜の花と桜えびの和え物頂けます?あとだし巻き玉子とサヨリの塩焼きも」
「お前、透也に会ったか?」
「雪城くん?ああ、そういえばまだ見かけてないわね」
新しくもらった料理を食べながら改めて会場を見回せば、出席者の顔ぶれに驚きを通り越して呆れた。
政財界や法曹界、芸能関係に医療関係、そしてそれぞれの分野で成功を納めた実業家と、その子ども。毎年のことながら、これだけの人達が私立学校の懇親会に集まるなんて、週刊誌の記者に教えたら談合とか収賄とか有る事無い事書かれそうだ。――――まあ実際、会場中央でワイン片手に気分良さげに笑ってるオッサンは、現在汚職疑惑で世間を騒がせている現役国会議員なのだが。
そんななかで、うちの両親と秋人の両親が話しているのは見えたけれど、雪城くんとその家族の姿はどこにも見当たらなかった。が、しかし、その代わりに厄介な人を見つけてしまった。
「げっ」
「どうした?」
「い、稲村先輩がいる……!」
とっさに秋人の背中に隠れて、気配を消す。
私は空気!私は背景!私は有象無象のモブ!
「そりゃいるだろ。確かあいつ、成瑛大にエスカレーター式で進学したんだから」
「それは知ってるけど……。うわっ、あれ絶対に探してるよ。あー良かったぁ、ひとりでこっちに来ておいて」
壱之宮夫妻と話すうちの両親の近くをうろつく
私は数いる紫瑛会メンバーの中で、ダントツであの稲村が嫌いなのだ。
二つ違いだから初等部からの知り合いになるけれど、私が高等部に上がった途端、それまで見向きをしなかったくせに急に話しかけてくるようになった。廊下ですれ違う時や、お昼休みのカフェテリア、私が誰かと話していても会話に割り込んできて、聞いてもいない自慢話をペラペラペラペラピーチクパーチク。いったい何度殴り飛ばしたいと思ったことか。
父親が高級官僚だかなんだか知らないけれど、こっちは天下の宝生寺家令嬢だぞ。貴様の閉じない口を縫い付けることぐらい造作もないんだぞ!――と思いながらも波風を立てたくないので、この一年間愛想笑いで対応してきた。
するとあの男は次第に調子に乗りやがって、休みの日にどこそこへ行かないかと誘ってくるようになったものだから我慢の限界だ。
「あーもうホント嫌。早く帰りたい」
「まだ始まってもねぇぞ」
「あ、ちょっと秋人、動かないでよ!見つかるじゃない!」
「そこそこ離れてるし大丈夫だろ。俺も何か食いてぇんだよ」
幸い、あの稲村もスクールカースト第一位を怒らせたくないらしく、私が秋人と一緒にいる時には話しかけてこない。だから私はあの男から逃げる時は秋人を盾にしていたし、秋人も私の気持ちを察して盾になってくれていた。
今日も盾にするべく、行くぞと言う秋人の背中を追った。一緒にいれば、万が一見つかっても声をかけられないだろうから、必要以上に気にしないでおこう。
「私イタリアン食べたい」
「却下。中華」
却下されては仕方がない。棒々鶏……いや、やっぱり北京ダックをもらっておこう。
秋人が選んだ豚の角煮も美味しそうなので、あとで絶対に食べようと頭のメモ帳にしっかりと書き込んでおく。
「ああ、そうだ。ねぇ秋人、トルコのお菓子で、ナッツが入ってる柔らかいやつって何て名前だったかしら。くるみゆべしみたいな感じの」
「ハア?くるみゆべし?……あー、あれか?ターキッシュ・ディライト」
「ターキッシュ……そんなに長くなかったような……」
「トルコだとロクムって言うな」
「ああ、たぶんそれね。そのクロムあるかしら」
「ロクムな。こんだけ揃ってんならあるんじゃねーか?」
秋人とトルコ料理のコーナーを眺めると、そこにあるのは鶏肉や魚を使ったトルコの伝統的な料理。デザートは焼き菓子が数種類とトルコアイスの名で有名なドンドゥルマだけだった。
残念に思いながら、とりあえずトルコで定番らしいトマトとキュウリが角切りになっているサラダをもらう。横を見ると秋人もちゃっかりシシュケバブをもらって食べていた。また肉かよ。
そのあとも何種類かの料理を食べて過ごしていると、会場がゆっくりと薄暗くなり、代わりに正面のステージが煌々と照らされた。
時計を身に付けていないので秋人に時間を聞くと、黙って左手首を見せられた。そこに巻き付いた有名ブランドのシンプルな腕時計は、ちょうど七時を指している。
憂鬱な懇親パーティーが、始まったのだ。
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