5-2.秘密です




「桜子様と雪城様よ!」



 覚悟を決めて物陰から出ると、そんな誰かの言葉で掲示板の前の人だかりが割れた。

 それに合わせるように、わざと声高々に千夏ちゃんを嫌みを言っていた女子生徒達も口をつぐんで、ささっと千夏ちゃんから離れた。さすがに学園の王子様の前ではお淑やかに振る舞いたいらしい。

 一方私は威厳がある人間に見えるよう、できるだけゆったりと歩き、すっと息を吸った。



「なんだか賑やかだと思ったら、期末テストの成績が張り出されていたのね」


「せっかくだし見ていこうか。宝生寺さん、今回どうだった?自信ある?」


「出来る限りの事はやりましたから、どんな成績でも悔いはありませんよ」



 横を歩く雪城くんが、微笑みながら白々しく声をかけてくる。

 てっきり私一人で祟り神達の相手をさせるつもりなのかと思ったら、当たり前のように一緒に物陰から出てきた。拍子抜けだけど、女子生徒の鎮静剤の同行はちょっと心強い。

 これが秋人だったら、一度やらないと決めたら梃子でも動かないから、持つべきものは赤ん坊の頃からの俺様系幼馴染みよりも十年来の王子様系幼馴染みだ。

 ぽっかりと開いた掲示板の前に立ち止まり、改めて順位表を見るとやっぱり二位に私の名前があって、一点差で千夏ちゃんが一位。

 私は人工知能にヤマを張ってもらって死ぬ気でテスト勉強しての二位なのに、自分の力のみで一位になった千夏ちゃんはやっぱりすごい。そしてそれを中傷の材料にするのは間違っているし、腹立たしい。



「あれ、宝生寺さん二位だね」



 私が何かを言うよりも早く言った雪城くんのそれに、場の空気が凍り付いた。

 ここで私がどんな反応をするかで、祟り神達を鎮め、千夏ちゃんへの誹謗中傷をやめさせられるかが決まる。

 焦るな、私。臆するな、私。私は宝生寺桜子なんだから、背筋を伸ばして悠然と微笑んでいればいいんだ。



「あら本当だわ。実は私、今回のテストでヤマを張っていた所が全部出て、ちょっとだけ自信があったんです」


「さっきと言ってること違うね?」


「だって、自信があるなんて言って前よりも順位が落ちていたら、恥ずかしいじゃないですか」



 私がふふふと笑えば、雪城くんもにっこりと微笑む。

 今の私、まさに良家のご令嬢、学校の特権階級である宝生寺桜子って感じ。アカデミー賞かカンヌ映画祭あたりで金ぴかのトロフィーをもらってもいいぐらいの女優っぷりだ。

 さて、これで二位でも十分喜んでいると表現できたと思うけど、祟り神化した女子生徒達は納得してくれただろうか。並び立つ雪城くんを見るふりをして彼女達の様子を見てみると…………揃いも揃って白い眉間にくっきりと縦ジワが刻まれていた。


 あ~はいはい、まあそうだよね。なんとなく予想できてきたけれど、どう見ても納得なんかしていない顔してる。

 なにが「宝生寺さんが出ていくのが一番効果あると思うよ」だ。私のできる事なんかこんなもんなんだよ。

 今は私達がいるから黙っているけど、いなくなった途端に千夏ちゃんの誹謗中傷を再開するのが簡単に想像できる。でも首を突っ込んでしまった以上、どうにかして、彼女達の関心を千夏ちゃんから逸らさないと。でも、どんな話題で逸らせばいいんだろう……。そう思った、その時だった。



「あー!さくら、こんなところにいたー!」



 空気を読まない大きな声が聞こえてそちらを見ると、私達を囲う人だかりを掻き分けて、見慣れたツインテールがひょっこり現れた。



「教室に迎えに行ったらいないしさぁ、璃美とまこちゃん、席取りに先にカフェ行っちゃったよ」



 そう言いながら瑠美は、躊躇いなく私と雪城くんの間に入って、いつものように私の右腕に抱きつく。

 なんだか不機嫌そうに見えるけど、そんなに長い時間待たせちゃったのかな?



「ごめんなさい、瑠美。ちょっとテスト結果の話をしていたの」


「テスト?さくら、何位だったの?」


「宝生寺さんなら二位だよ。ほら」


「えっ、さくら二位なの?!すっごーい!」



 おっ、この反応は、内部生女子の興味を逸らす一発逆転のチャンスなのでは?

 瑠美――と言うより諸星姉妹は、自分の興味のないことにはとことん無関心で、反対に好きなものには全身で好意を表して、嫌いなものには不快感を隠さない。そして紫瑛会だの内部生だの外部生だのは、諸星姉妹にとって無関心に属する部分だ。

 今ここで興味があるのは、私が二位になったという事実だけで、一位が誰なのかは興味がない。つまり瑠美が、一位になった千夏ちゃんを貶す様なことをいう可能性はかなり低い。



「ああっ!しかも雪城くん三位じゃん!さくらの勝ちだね!」



 案の定、瑠美は千夏ちゃんのことはスルー。このまま周りの話題を千夏ちゃんから、雪城くんか秋人に移していけばミッションコンプリートになるはずだ。



「私もそこは少し驚いたわ。雪城くんより成績がよかったのって、いつ以来かしら」


「中等部の頃以来だよ」


「まさか覚えているの?」


「まあね」



 雪城くんからさらりと返ってきた答えに、少し驚いた。

 中等部のテスト結果なんて私はまったく覚えていないのに、よく覚えているなぁ。私なんて近頃、昨日の朝食がなんだったかも思い出せない時があるというのに。そういうところが生まれ持った頭脳の違いなのかもしれない。



「宝生寺さんには最後まで勝ちたかったけど、よりによって学年末でこの点数取るって本当に宝生寺さんらしいよね」


「今回は頑張りましたからね。報われて良かったです」


「へえ、急にどうしたの?なにか理由が?」


「瑠美知ってるよ!さくら、お父さんにお願いきいてもらうために頑張ったんだよねー?」


「お願い?」



 なにその面白そうな話という目で、雪城くんはじっと見てくる。



「ちょっとした取引ですよ。私が今までで一番いい成績だったら私の勝ち。今までと変わらないか下がるかしたら父の勝ち。負けた方は勝った方の頼みをなんでも一つ聞くっていう」



 こういう言い方をすると、なにか高額な品を買ってほしいように聞こえる。

 両親からもそう思われていて、テスト前に私がこの話をお父様に持ちかけた時、横にいたお母様が「桜子ちゃんがおねだりなんて珍しいわねぇ」と微笑んでいたし、お父様も「わざわざそんなことをしなくても、欲しい物があるなら買ってやるから言いなさい」と不思議そうな顔をしていた。

 私は一人娘だから、両親は私の欲しい物はどんな物でも買い与えてやりたいらしい。実際に我が家の場合それを実現する財力と権力があるのだけれど、あいにく私が欲しいのは物ではない。


 この取引は、保険。万が一の時に、お父様を黙らせる材料が欲しかっただけだ。


 期末テストの結果が出る頃には、少女漫画『ひまわりを君に』の第一部が完結すると分かっていた。そして二年に進級してから第二部が始まり、周りが秋人と千夏ちゃんを別れさせようと躍起になることも分かっていた。

 私はそこに加勢するつもりはないけれど、お母様の脳内お花畑っぷりや壱之宮家……というか泉おば様の選民思想を考えると、どうしても私と秋人の婚約話をほじくり返される未来が見えてしまうのだ。そうなった時に「前にこういう取引をして、どんな頼みでもきくと決めましたよね?」とお父様に言って、秋人との婚約を成立させないことを頼もうと考えたわけだ。

 お父様さえ味方につけてしまえば、どれだけお母様が脳内お花畑を炸裂させようと効果はない。

 宝生寺家が婚約を拒否をすれば、どれだけ泉おば様が歯噛みしようと私という婚約者を切り札に、秋人と千夏ちゃんを破局させることはできなくなる。

 そして秋人と千夏ちゃんに破局のピンチが迫らなければ、私の知る少女漫画第二部のストーリーが根本から崩壊し、ラスボスである私こと宝生寺桜子がトラックにはねられなくとも物語はハッピーエンドとなるだろう。


 私が勝てば、第二部の展開を変える武器の一つになる。仮に負けても、お父様が要求してくることは「次はこれよりいい成績を取りなさい」といった実害のないものだろう。

 この取引は最初から不平等で、私にだけ都合よくできているのだ。

 ちなみに後から「そんな約束知らん」としらを切られないように、取引の契約書を作ってお父様の署名と拇印をもらい、さらにラミネート加工して丁重に保管してある。


 そもそも、トラックにはねられる件は私が道路に飛び出さなければ回避できるわけで、それと秋人との婚約の件は無関係だ。だからこの賭けは、未来を変えるための保険材料の一つでもあるけれど、秋人と千夏ちゃんに穏やかに愛を育んで欲しいという、私のファン心理から思い付いた部分が大きかった。

 私の将来の夢は、五体満足で高校を卒業して、いつか開かれるであろう秋人と千夏ちゃんの結婚式の余興で、てんとう虫のサンバを披露すること。お節介なてんとう虫となって口づけせよとはやし立てたいのだ。



「宝生寺さん、なんだか楽しそうだね。結果的に今までで一番いい成績だけど、お父さんに何を要求するの?」


「秘密です」


「瑠美にもぉ?」


「瑠美にも秘密」


「え~さくらのケチ~」



 私は今後一年間に起きる出来事を知っていて、その未来を変える下準備が順調で嬉しいのよ。なんて言えるわけもないので、ただ微笑んで誤魔化した。



「でもさあ、どうせだったら一位が良かったねぇ。一点差なんて一番イヤなパターンじゃん」



 ホギャーッ!瑠美さん、私はその発言が一番イヤなパターンなのよ!

 千夏ちゃんとはまるで関係のない話をしていた効果で、内部生女子達がちらほらと毒気を抜かれた顔になり始めていた。それなのに突然投下された爆弾に、内部生女子達は思い出したように千夏ちゃんを睨み付ける。

 千夏ちゃんも千夏ちゃんで、さっさとこの場から離れてくれればいいのに、私と雪城くんが来たことで秋人も来ると期待しているらしく、キョロキョロと周りを見るだけで離れる気配はない。残念ながらあの阿呆は今頃ひとり寂しく高級料理を食べていますよ。

 ああ、そんなことよりも、もう一度鎮火作業だ。



「そうね、私も一位を狙って勉強したけど詰めが甘かったわね。残念だわ」


「でも全然悔しそうじゃないね?瑠美だったらすっごい悔しいのに」


「もちろん悔しいわよ。でもホラ、名前の載ってる三十人で、内部生は四人しかいないのよ。あとの二十六人は外部生。それだけ優秀な人が、高等部から入ってきてくれている証拠だわ。それが嬉しいの」


「嬉しい?なんで?外部生なんだから、勉強できてトーゼンなんじゃないのぉ?」


「順番が逆よ、瑠美。勉強ができるから、外部から成瑛の高等部に入学できるのよ」



 瑠美は違いが分からないと言いたげに首を傾げた。



「前に聞いたんだけどね、成瑛の高等部で三十位以内に入る人は、他の偏差値の高い高校に入ってたらほぼ間違いなく三年間首席でいられる成績の人だそうよ。偏差値の高い高校で三年間首席と、努力して成瑛に入っても一度も首席にはなれない。どっちがいいと思う?」


「ん~、三年間首席かなぁ。ずっと一位ってかっこよくない?」


「そうでしょう。でもここに名前がある外部生の人は、三年間首席の地位を捨ててまで成瑛を選んでくれた。初等部からここに通う私からしたら、それってとても嬉しいことなの。雪城くんもそうでしょう?」



 貴様この私を生け贄にしておいて何を黙っていやがる。そういう意味を込めた笑みで見上げると、雪城くんはほんの一瞬だけばつの悪そうに視線を泳がせてから微笑んだ。

 私には感情の読めないアルカイックスマイルも、はたから見れば違って見えるようだ。周囲の女子生徒がほうっと吐息をもらすのはいつもの事なので気にしない。



「それだけ成瑛がいい学校だと思われてるってことだからね。それに勉強とかスポーツとか、優秀な人が外部から入ってきてくれるおかげで、成瑛は名門って呼ばれ続けてるわけだから、僕ら内部生も見習わないとね」



 私が持っていきたい話の展開を察してくれたらしい。

 控えめだが外部生を褒め称えるような言葉が学園の王子様の口から飛び出したことで、さっきまで千夏ちゃんを取り囲んでネチネチ言っていた内部生女子達は気まずそうに顔を見合わせたり、俯いて口をきつく閉じたりしている。なかには人混みに紛れてそそくさと去っていく人もいるから、この期末テストの結果絡みで千夏ちゃんが嫌みや嫌がらせを受けることはないだろう。

 さらに私達は、一位が誰になったのか、それが外部生で特待生の千夏ちゃんであることは触れていないから、「お二人に庇われるなんて」と八つ当たりじみた嫉妬を向けられることもないだろう。

 女子生徒の頂点と学園の王子様がこう言って、それとは反対の行動をとるような生徒はいない。それだけ紫瑛会に所属する生徒の言動は、学園内で大きな影響力があるのだ。



「さて、結果は分かったわけですし、お昼ごはん食べに行きましょう。これ以上、真琴と璃美を待たせては悪いわ」


「あっ!そうだった!早く行かないと食べる時間なくなっちゃう!」



 私がくるりと体を反転させれば、また人だかりが割れて道が出来上がった。そこを瑠美は私の腕から離れ、軽やかに通っては振り向いて「さくら!早く早く!」と急かしてくる。



「今日は諸星さん達と食べるの?」


「ええ。三年生が卒業してカフェも空席が多くなりますから、私が下で食べても大丈夫だろうと真琴が提案してくれたんです」


「そっか。良かったね」



 久しぶりに四人で食べられるのが嬉しくて、つい笑顔で頷きそうになった。しかし見上げた雪城くんは私を見ておらず、さらにその目は穏やかな口調に反していっさい笑っていなかったせいで、言葉は詰まり頷くこともできなかった。



「……あの、雪城くん?」


「ん?どうかした?」


「……いえ、なんでもありません……」



 それは私の台詞なんですけど、という言葉の代わりにそう言って、機嫌良さげに先を行く瑠美を追って歩き始めた。すると当然のように雪城くんは私の横を歩く。

 どうせ行き先は同じなのだからわざわざ何かを言いはしないけれど、ちらりと盗み見た表情はいつも通りの学園の王子様の顔をしていた。しかし、さっきのを見間違いとか錯覚とかで片付けられるほど私は彼を信用していないし、なぜあんな冷めた表情をしていたのか理解できるほど彼に詳しくもなかった。



「そういえば、秋人が七位になったこと何も言わなかったけど、宝生寺さんはその理由知ってるの?」


「いいえ、その場にいない人の成績を言うのはどうかと思っただけで、理由は知りません。そもそも何か理由があってのことなんですか?」



 あのプライドの高い秋人が七位になるなんて、よほどの理由があるんだろうなとぼんやり思っていただけだ。――――というか、私が影で必死に勉強してかじりついている十位以内に、何かしらの理由があって本領を発揮できなかったくせにさらっと名前を残していることは本当に憎たらしい。

 まあ、チート野郎に嫉妬したって意味はないので、そんな秋人の成績が落ちた理由を知っているであろう雪城くんの答えを待った。すると彼は周囲に人がいるのを確認すると、器用に歩きながら体を私の方へ傾け、耳打ちされる私にもぎりぎり聞こえるほどの小さな声で言った。



「バレンタインデーに朝倉さんからチョコ貰えたのが嬉しくて、勉強も手がつかなかったみたいだよ」


「ああ、なるほどチョコを貰えたから…………えっ?は?バレン?えっ?二月からずっと?」


「二月からずっと」


「えっ?テストは先週だったから……」


「一ヶ月間ずっと浮かれてたってことになるね」


「……」


「……」


「…………バカなの?」


純粋ピュアって言ってあげなよ」



 先月の十四日。日本中がチョコレート色に染まるその日、秋人は千夏ちゃんからバレンタインチョコを貰えた。そこには『私と雪城くんの暗躍と誘導のおかげで』と『それ以前に秋人が千夏ちゃんに恩を売るような行動を取っていたから、そのお礼の義理チョコ』という注意書きが付くのだが、その頃に二人はお互いに片想い状態だったから実質本命チョコだ。

 私は十四日の夜に、秋人から約二時間という長電話でどういうシチュエーションで貰ったのか、貰ったチョコはどんな物なのか、事細かに聞かされたから奴がどれだけ浮かれていたか知っている。

 でもまさか、一ヶ月経ってもその喜びを引きずるなんて……。しかもその結果、成績を落とし、千夏ちゃんが内部生女子から睨まれる状況を作るなんて、バカと言わずしてなんと言う。

 もうため息しか出てこない。



「あのさ、もうひとつ確認しておきたいことがあるんだけど、いいかな?」


「どうぞ」


「……秋人が貰ったチョコを食べたかどうか、聞いた?」



 神妙な声に、思わず足が止まる。



「ま、まさか、いくら秋人でも、そんな……!」


「僕だって信じたいさ。でも秋人の奴、小さい冷蔵庫を自分の部屋に置いたってこの前言ってたんだ……」


「ヒエッ」



 もうそれが全ての答えで、私達は知ってはいけない世界の扉の前に立っていることに気が付いた。

 そしてしばらく無言で顔を見合わせた後、忘れましょう、そうしよう、とこれまた無言で頷きあった。



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