5-1.敵にまわしたくない




 ふと時計を見ると、ホームルームが始まる時間が迫っていた。

 千夏ちゃんからの返信も気になるけれど、それを待っていたら遅刻扱いにされてしまう。



「じゃあ新学期までは全部を隠し通すために、下手に目立たず、大人しくすると決まったわけだから解散ね。早く教室に行かないと」



 席を立つのは私だけで、秋人と雪城くんはピクリともしない。

 雪城くんはごくたまにだけど、秋人がホームルームをサボるのはいつものことだ。二人はサボっても、同じクラスのファンの子達が「壱之宮様と雪城様ならご登校されています」と言い、担任も大企業の御曹司二人を敵にまわしたくないらしく出席とみなしているのだ。

 以前に一度だけ私もカフェテリアでサボってみたら、問答無用で遅刻扱いされていた。

 あの毎朝の大名行列を見ていながら誰も「桜子様ならご登校されています」と言ってくれなかったらしい。自業自得なのだが、この世の不平等さに心の中で地団駄を踏みまくったので二度とサボっていない。


 秋人にスマートフォンを返して、一人でカフェテリアから自分のクラスの教室へ向かう。

 するとすれ違う生徒、ほとんど名前も学年も分からない生徒達がそっと道を開けて挨拶をしてくれる。なかにはぎょっとした顔であからさまにズザザッと壁に寄られるけど、もう傷つかなるぐらいには慣れた。

 それに秋人と雪城くんが一緒にいないだけまだマシだ。あの二人のどちらか、もしくは両方と一緒だと、モーセの奇跡の如く人込みが割れ、壁に寄った生徒達からはきゃあきゃあとかすかな黄色い声が聞こえたり、怯えた顔や関わりたくないといった目を向けられたりと対極の空気になるのだ。

 どちらの空気にせよ、スクールカーストの一位から三位が揃った光景は相当な威圧感をおぼえるらしい。私だって序列が下位だったら、そんな連中と関わりたくないと思って壁に寄るだろうから、彼らの気持ちはとても理解できる。

 だからこそ私は、朝の大名行列中以外、校内ではなるべくあの二人と接触しないようにしている。他の生徒の学園生活を乱したくないし、慣れたとは言えど、怯えられて嬉しいわけがないのだ。



「さーくーらっ!」



 ふいに後ろから弾むような声が聞こえたと思ったら、振り返る間もなく右腕と左腕をそれぞれ掴まれた。



「あら。おはよう、瑠美、璃美」



 私の右腕に抱きつく諸星瑠美もろぼし るみと、左腕に抱きつく諸星璃美もろぼし りみ

 玩具メーカー最大手『スタートイズ』の社長令嬢にして一卵性の双子であるこの諸星姉妹は、初等部の頃からの友人。親友と言っていいぐらい、いつも一緒にいる大切な子達だ。



「もぉ~、さくらってば教室にいないから探しちゃった~」


「さくらのクラスの子に聞いても、まだ来てないって言うしさ~。どこ行ってたの?」


「秋人達と話すことがあって、ちょっとカフェテリアに寄ってたの。私を探してたって、何か急ぎの用でもあったの?」


「ううん。瑠美達ぜぇーんぜん急いでないよ」


「でも璃美達がおはようって言いに行ったのに、さくらがいなかったから」


「だから探したの」



 右から聞こえて、左から聞こえて、最後に両方から聞こえて、二人の声は一つの文章になる。

 一卵性の双子は一緒に育てるとお互いを反面教師にして性格や趣味嗜好が違って育つと聞いたことがあるが、諸星姉妹はその例に漏れるらしい。やる事なす事全て同じで、まさしく二人で一つといった感じだ。



「だったら教室で待っていればよかったのに。この時間なら真琴ももう来てたでしょう?」


「だってぇ~。まこちゃんてば、自分のクラスに帰れーってうるさいんだもん」


「璃美達のこと間違えるのにガミガミ言ってくるんだよぉ?」


「それはあんた達が騒ぐし、そっくりすぎるからでしょう」



 上り途中の階段の上から聞こえてきた声に、諸星姉妹は揃って「でたー!ガミガミまこちゃん!」と楽しそうに笑った。

 ガミガミまこちゃんこと、速水真琴はやみ まこと。私がいつも一緒にいる大切な友人、最後のひとりだ。

 ツインテールで子どものように無邪気な性格の諸星姉妹とは対称的で、真琴はショートカットがよく似合って、空気を読みつつも言いたいことはハッキリと言う裏表のない性格をしている。人によってはそれを怖いとか偉そうとか言うけれど、私も諸星姉妹も彼女がとても友人思いだと知っているので、初等部の頃からこの四人でつるんでいる。

 それに若者向けファッションブランドをいくつも展開する大手アパレルメーカー『速水商事』の社長令嬢ということもあって、とてもセンスが良い。一緒に買い物に出掛けると、その人に似合うアイテムを一発で見つける天才で、シンプルなデザインに逃げがちな私の強い味方なのだ。



「おはよう真琴」


「おはよう。いつもより遅いけど、まさか、また壱之宮くんがなんかやらかした後始末?」


「んーまあ、そんな感じ」



 三人に隠し事はあまりしたくないけど、秋人と千夏ちゃんの関係を言うわけにもいかないので仕方がない。それに秋人の尻拭いってのも、あながち嘘でもないし。



「桜子も大変ね。いくら壱之宮の御曹司だからって、私はあんなのと幼馴染みなんて絶対にお断りだわ」


「瑠美も、壱之宮くんいつもさくら困らせるから嫌ーい」


「璃美も、壱之宮くん声大きいし荒っぽいから嫌ーい」



 学園全体では壱之宮様と呼ばれてファンクラブもできるぐらいの秋人も、私の周りのごく一部ではかなり不評だ。

 同じくファンクラブができるほど人気な雪城くんのアンチの話は聞いたことないから、そこら辺の違いは秋人の日頃の行いの結果だろう。ざまあみろ、単細胞め。



「コラコラ、あんまり大きい声でそういうこと言わないの。秋人のファンの子に聞かれたらどうするの?」


「どうもしないわよ」


「そーそー。瑠美達に文句言いにくる子なんて、一人もいないよぉ」


「言いたくても、それがさくらに伝わって、そこから壱之宮くんに伝わるのが怖いんだよぉ」


「それはまあ確かに、秋人……というか壱之宮家を敵にまわしたくはないわよねぇ……」



 権力者に好かれて悪いことはないけど、嫌われて良いことなんてないよね。

 特に壱之宮家は色々な権力者と繋がりを持っているから、本気で怒らせたら冗談抜きで社会的に存在を抹消されかねない。あの気位の高い泉おば様が絶対に許さないだろう。

 それを考えると、息子と別れろと迫られても一歩も引かなかった千夏ちゃんって本当に肝がすわってるなぁ……。あっ、今は第一部が完結したばかりで付き合ってるのがバレてすらいないから、泉おば様との対決は未来の出来事ってことになるのか。


 『ひまわりの君に』の第一部は、千夏ちゃんが秋人に告白して、さあやっと二人の交際がスタートしたぞという所で完結。そして次の話では時間がとんで、二年に進級した始業式の日から第二部となる。

 つまり二人が付き合い始めた昨日から春休みが明けるまでの今の期間は、第一部と第二部の間の空白の期間。穏やかに過ごせる貴重な時間ということだ。

 いくら私が宝生寺桜子としての役割を放棄しているとは言えど、春休み明けにはきっと物語が動いて、壱之宮家は秋人と千夏ちゃんを別れさせようとする。今までシナリオ通りのトラブルに巻き込まれてきたんだから、宝生寺桜子の活躍の本番である第二部で巻き込まれないなんてことはないだろう。

 だからトラブルが起きない今の期間だけは、心穏やかに過ごしたい。

 しかし、そんな私の細やかな願いは、あっという間に砕け散った。



「また朝倉千夏だぞ」


「桜子様とは一点差だわ」


「そんな雪城様が……!」


「壱之宮様がこんな順位なんて何かの間違いですわ!」



 昼休み。今日の昼食は、真琴や諸星姉妹と一緒にカフェテリアの一階席で食べる約束をしていたから、クラスが違う三人と合流する前に寄り道して結果を確認しようと思ったのが間違いだった。

 廊下の掲示板にでかでかと張り出された期末テストの順位結果を、大勢の生徒が見上げて囁き合っている。私は少し離れた廊下の曲がり角からその光景を盗み見て、聞こえてくる会話に頭を抱えた。


 私は決して地頭がよくない。それなのに学園内では、長年秋人と雪城くんと親しくしていたせいで『才色兼備で、壱之宮様と雪城様とともに順位表に名前があって当然』という迷惑極まりないキャラ付けをされている。

 確かに私は初等部や中等部で成績が良かった。でもそれは前世の記憶と知識があったからであって、進学校である高等部ではそれが通用しないので成績は良くても中の下だ。

 でも私に夢を見ている人達にその事実を伝えるわけにもいかず、相棒であるハイパー人工知能の力を借りるというチート技を使ってなんとか優等生ポジションを守ってきた。

 その努力が、このタイミングで裏目に出るなんて……。


 一位 朝倉千夏(五組)  四八九点

 二位 宝生寺桜子(二組) 四八八点

 三位 雪城透也(三組)  四七二点

 七位 壱之宮秋人(一組) 四二二点


 何度盗み見ても、はっきりと見えるその名前と数字。どうやらわたくし宝生寺桜子は、とんでもないミスを犯してしまったらしい。

 絶対にその位置になるまいと思っていた、千夏ちゃんの一つ下の順位になってしまった。しかも一点差で一位と二位という史上最悪の形で実現してしまった。

 というか秋人!七位ってなんだ!壱之宮の壱は、一位の一と同義ではないのか!


 高等部に上がってすぐの中間テスト以降、これまでずっと一位だった秋人が七位に落ちた。

 いつも三位から十位あたりをチョロチョロしていた私が、いつもは二位か三位の雪城くんを負かした。

 さらにその私を一点差で負かし、外部生である千夏ちゃんが一位になった。

 いつもとは違うところがありすぎる上位争いが、順位表を見上げる生徒達を混乱させている。特に秋人と雪城くんの長年のファンである内部生女子達なんかは、混乱と絶望と千夏ちゃんへの怒りで今にもパンクしそうだ。

 ああ、なんて恐ろしい光景なの。真っ黒いオーラが見えるわ。外部生の男子なんかそれに怯えて逃げていくではないか。



「あれ?宝生寺さん?」



 地獄のような光景から目をそらして振り返ると、怒れる女子の鎮静剤、雪城透也がきょとんとした顔で立っていた。

 タイミングの素晴らしさに後光がさして見える。



「ああ雪城くん、ちょうどいいところに……!」


「こんなところに一人でどうしたの?期末の結果見に来たんじゃないの?」


「見に来たんですけど、とても近づける空気じゃなくて!あっ、でも順位はここからでも見えるんでそこは問題ないんです。いや、見えちゃったからこそ近付けないっていうか……」


「うん、えっと、とりあえず落ち着こうか」


「これが落ち着いていられますか!とにかくアレを見てください!」



 論より証拠。百聞は一見に如かず。

 どうどうと私を暴れ馬のように宥めようとする雪城くんに、こっそり隠れながら怒れる内部生女子の姿を見せた。



「……一応、解説してもらっても?」


「秋人が七位になった絶望と、私が雪城くんより上の二位になった混乱と、さらに私と一点差で一位になった朝倉さんへの怒りに震える内部生女子の皆さんです」


「あーなるほどね。ん?宝生寺さん、二位なの?」


「そうですよ。その大番狂わせの結果がこれです。さあ、雪城くん!今のあの状況を鎮められるのはあなただけです!逝ってらっしゃい!」



 背中を押して送り出そうとすると、生け贄が「ちょっと待って」とその場に踏ん張りやがって一歩たりとも動かなかった。



「たぶんアレ、僕ひとりだと収拾つかないよ」


「そんな弱気な発言、雪城くんらしくないです!さあ、さあ!」


「本当に無理だって。ほら、見てごらんよ」


「え?」



 促されるままひょっこりと顔だけ出して、順位表の前にできた人だかりを見る。するとさっきまでとは空気が一変していた。

 なぜなら順位表の真っ正面に、千夏ちゃんがいるからだ。



「あ、朝倉さん!?どうしてこのタイミングで!?」



 いったいいつの間に現れたのか。黒いオーラを放つ内部生女子に睨まれ、それ以外の生徒からは腫れ物のように距離を置かれながらも、黙って自分に名前が一番上に書かれた順位表を見上げている。

 その堂々とした立ち姿は、内部生女子の黒いオーラにビビって隠れる私の目にはとても輝いて見えた。

 さすが主人公!今日もカッコいいよ、千夏ちゃん!――――なんて感動している場合ではない。

 千夏ちゃんの登場に、内部生女子はちょっとの刺激で大爆発しそうなぐらいどす黒いオーラを放っていて、まるで祟り神のようだ。

 鎮まれ~鎮まりたまえ~。名のある家の娘と見受けたが、なぜそのように荒ぶるのか~。



「僕が出ていくのはいいけど、それだと一時的な効果しかないと思うよ」


「それは分かってますけど、でも……」



 千夏ちゃんが睨まれる程度でへこたれる様な子ではないのは知っているけど、何も感じないわけではないことも知っている。それに紫瑛会に憧れる選民思想の内部生が、外部生を睨むだけで満足しないのも知っている。

 全部を知っていて、このまま見て見ぬふりなんてできない。



「そうだっ!秋人は?秋人は一緒じゃないんですか?」


「見に行くか聞いたんだけど、興味ないって言って、先にお昼食べに行っちゃったんだ」


「秋人ぉ……」



 あのアホ、七位なんてらしくない成績を取っておきながら、何を余裕かましてやがる!

 普段一位のくせに七位に落ちるなんて、自分でも出来が悪かったと思って、結果が出るまで不安になるだろう。私は毎回不安で不安で仕方がないぞ!

 それなのに、のんきにカフェテリアに行っただと?!

 だいたい七位陥落よりもなによりも、千夏ちゃんが、最愛の彼女がピンチになっているのに何をやっているんだ。こういう時に颯爽と現れてこその彼氏でしょうが!



「宝生寺さん。思うんだけど、この状況、宝生寺さんが出ていくのが一番効果あると思うよ」


「えっ!?」


「あそこの人達は、朝倉さんが首席になったのが気に入らないんだろう?だったら僕や秋人よりも、一点差で次席になった宝生寺さんが何とも思ってないって分かれば落ち着くんじゃないかな」


「ええ~……」



 その考えは理解できる。

 カフェテリアまで秋人を呼びに行く時間はないし、そもそもあの直情バカがこの光景を見たら、今朝決めたばかりのことをさっそく破るだろう。そうなったら今以上に面倒くさいことになってしまう。

 でも、私が行くのか?あの祟り神大量発生区域に突撃して、千夏ちゃんを庇いつつ祟り神を鎮める発言ができるのか?

 ――――いや、無理だ。今でこそスクールカースト第二位の宝生寺桜子の皮を被っているけれど、もともと私は、目立つ事も争い事も嫌いな小心者なんだ。祟り神の鎮魂なんて絶対に無理、近付くのも嫌!



「また懲りずに一位ですって。本当に図々しい人だわ」


「今度はどんな小細工をしたのかしらね」


「先生に言い寄って取り入ったんじゃなあい?」


「やだぁ、穢らわしいわ」



 おお、祟り神よ。なぜそのようにアグレッシブなのか……。

 聞こえてきた中傷の言葉に、私は両手で顔を覆った。



「だいたい、ずっとおかしいと思っていたのよね。あんな人がこの成瑛に特待生で入学するなんて、そういう汚い手でも使わないとありえないもの」


「そんなに一位になりたいなら、一点差なんて中途半端なことしないで、先生に頼んで満点にしてもらえば良かったのにねぇ~」


「それはアレじゃないかしら、良心の呵責ってやつ」


「あら、意地汚い貧乏人にそんな発想あるわけないわよ」



 離れた場所にいる私にも聞こえているんだから、祟り神達に囲まれている千夏ちゃんの耳には嫌というほど入ってきているだろう。

 この学園にいる女子生徒のほとんどは、淑女として教育されたご令嬢のはず。それなのにどうしてあんなにも嫌みったらしい言葉がポンポンと出てくるのか。公衆の面前で人様を侮辱するその度胸、ここで二の足を踏んでいる私に分けてほしいものだ。

 いっそのこと雪城くんが私を放り出してくれれば覚悟が決まるのに、この男ときたら、百面相をしている私の様子を黙っているだけだ。絶対に今の状況を楽しんでいやがる。

 でも私だって、この状況を解決させられる方法があると分かっていて逃げるほど、薄情でも不誠実でもない。


 私の名前は宝生寺桜子。資産家の子女や将来性のある才能を持つ者が集まる成瑛学園で、スクールカースト第二位に君臨し、他の生徒から慕われて恐れられている存在。

 その皮をすっぽり被った令嬢モードの私の本気を見るがいい!



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