4-1.未来の可能性の話




 昨日の夜はえらい目にあった。

 夕方に秋人と主人公が無事にゴールインした喜びがあった分、壱之宮夫妻との遭遇は強制退場エンドのフラグな気がして背筋が寒くなった。


 少女漫画『ひまわりを君に』でトラックにはねられた後の宝生寺桜子については、最終話に一コマだけ、車イスに座って窓の外を眺める人物の後ろ姿が描かれている。その人物が宝生寺桜子のトレードマークである長い黒髪だったことから、読者だった私は宝生寺桜子が死んだわけではないと知っている。

 でもなにしろ大型トラックだ。車イスに座ることはできていても、無事ではないだろう。

 つまり私は運命を変えなければ、死にはしないものの、何らかの後遺症を抱えて生きていく可能性が高い。今の世の中で、しかも宝生寺家の財力があればそうなっても苦労はするが生きていくことは可能だ。でもやっぱり私は、五体満足で長生きしたい。


 ――――だからこそ、私はこれまで本来の宝生寺桜子とは違う生き方をしてきた。


 秋人を好きになるどころか、彼の初恋に全面協力してきた。

 主人公に嫌がらせなんか一度もしていないし、むしろこの一年間彼女を害そうと目論む生徒には、影でちくりと釘を刺した。めげずに実行した愚か者には、白昼堂々と五寸釘をぶち込んでやった。

 我ながら見事に、本来の宝生寺桜子とは真逆の人生を生きてきた。

 それなのになぜ、こんなことになっているのだろうか。



「ごきげんよう桜子様」


「宝生寺様、おはようごさいます」



 正門前で車を下りて高等部の校舎へと向かうと、後ろから私が歩いてくるのに気付いた女子生徒は立ち止まって、頭を下げてにこやかに挨拶をしてくる。ここまではいいさ、淑女として育てられた子が多いお金持ち学校だもの。

 でも彼女達は私が通りすぎるのを待ち、私の後に続くように歩みを再開するものだから、必然的に私の後ろに女子生徒の大群が形成されるのだ。それも毎朝のように。

 いつしか朝の名物扱いされ、付いた異名は『成瑛の大名行列』。

 これじゃあまるで、いつもたくさんの取り巻きを引き連れる本来の宝生寺桜子のようではないか。いや、むしろ本来の宝生寺桜子の取り巻きよりパワーアップしている。

 ツラい。ツラすぎる。いったい私が何をしたっていうんだ。

 いくらこの大名行列は私が生徒用玄関にたどり着いたら解散すると言っても、広い成瑛学園の敷地をこうやって歩くのは非常に恥ずかしい。



「おはよう、宝生寺さん」



 その声が聞こえた瞬間、大名行列が崩壊した。

 振り向いて確認すれば、女子生徒達はほんのりと頬を赤くして、てんでばらばらに散っていく。そうして現れたのは、学園の女子生徒の人気を二分する存在だった。



「おはようございます、雪城くん。秋人もおはよう」


「おう。つーかお前、今日もすげぇ群がられてんな」


「気にしているんだから言わないでちょうだい。でも、二人が来てくれて助かったわ」



 この毎朝の大名行列には、どうやらルールがあるらしい。私が秋人か雪城くん、もしくはその両方と合流したら即刻解散というものだ。

 理由はたぶん、二人のファンクラブにある『壱之宮様と雪城様を煩わすことなかれ。最低でも半径五メートルは離れて静かに鑑賞するべし』という鉄の掟が関係していると思う。

 この学園の女子生徒のほとんどが二人のファンなので、私の大名行列中でも掟を守って散っていくのだ。私も詳しくは知らないけど、掟を破ればそれはそれは厳しい罰則が課せられるらしい。

 そしてファンでなくとも二人の高貴なオーラに逃げていくので、私は普段は必要以上にこの二人に近づかないが、毎朝正門から生徒用玄関までの道中は二人に会えるのを切実に願っている。

 ちなみに男子生徒は私の大名行列の時点で逃げていく。とてもツラい。



「宝生寺さんは人気者だからね。特に学園祭の効果で、最近は前よりも集まる人数が増えたよね」


「学園祭なぁ。お前いろいろやらかしてたもんな」


「思い出したくもないわ……。でも学園祭って去年の十月じゃないですか、どうしてその影響が今になって……」


「三年生が卒業したからだろうね。今までは三年の目があったから、宝生寺さんに近づきたくても近づけなかった人が多いんだよ」


「なるほど……」



 成瑛学園のスクールカーストは、基本的に家格で決まる。家の財力や血統がものを言い、次に学業の成績や容姿、性格といった生徒そのものの力量で順位が決まっていく。力量が同列であれば高学年が上位になるけれど、基本的にあまり優先されないのだ。

 現在の頂点は、壱之宮秋人。世界にその名を轟かす大手総合商社『壱之宮コンツェルン』の御曹司でありながら、試験の成績は常に首席で、さらに整った容姿をしているので、例え暴君であろうと絶対的な地位を誇っている。

 そしてとても、とてもとても認めたくないのだが、カーストの次席はかつては財閥と呼ばれた『宝生寺グループ』の一人娘である私こと宝生寺桜子。さらに続くのは世界規模の化粧品メーカー『SCC』の御曹司である雪城透也だ。


 そう、現在のスクールカーストの上位三人が一年生。例え三年生であろうと、秋人はもちろん私と雪城くんには逆らわない。逆らえない。

 そんな普通の学校であれば絶対にあり得ない現象が、一年前から起こっている。


 この逆転現象は、一部の気位の高い選民思想の三年生から反感を買っていた。

 表向きは私達三人を敬っていたけれど、普通の学校なら先輩として無条件で敬われるはずが下位になることに腹わたが煮えくり返っていたらしい。だから自分達最上級生を敬わず、最下級生である私達を敬おうとする生徒に目を光らせていた。

 特に苦労していたのが二年生だ。年上としてのプライドはないのかと、三年生からのプレッシャーを常に浴び続けていた。

 私は問題の中心人物をして、いつも申し訳ない気持ちで二年生を労っていた。


 が、しかし。その三年生は今月の頭に卒業していった。

 今の序列に異を唱える人達はいなくなったので、堂々とカースト上位三人の一年生を敬うことができるのだ。だから三年生が自由登校になった二月頃から、じわりじわりと私の大名行列はパワーアップしていた。そして完全に三年生が消えた卒業式後から、あり得ない規模になってしまったらしい。

 恥ずかしくてツラくて涙が出そうだ。



「まさか三年生に帰ってきてほしいと思う日がくるなんて、想像もしていなかったわ」


「そんな嫌なら、やめろって言やあいいじゃねぇか」


「言ったわよ、高等部に入ってすぐ!だから一時は落ち着いていたんだけど、気がついたらこうなってて……」


「まあまあ。きっと春休みを挟んで新学期になったら熱も冷めるだろうから、それまでの我慢だよ」


「無理だろ。こいつの行列、中等部の奴も混ざってるぞ」


「えっ中等部?!」



 秋人の顔を見れば、小馬鹿にしたような目をしていた。



「中等部は女だけじゃねぇぞ。男も混ざってる」


「どうして?!」


「知らねぇよ。俺に聞くな」



 なぜだ。なぜ中等部の子達まで大名行列に参加しているんだ。これじゃあ私が卒業するまでに、大名行列が大規模化し続けてしまうではないか。

 確かに中等部と高等部は敷地が同じで、みんな正門から入るから出会うことはある。それに私は初等部から成瑛学園に通っているので、中等部にも顔見知りは何人かいる。

 でもこの大名行列は、外部生と呼ばれる高等部から入学した生徒が、絶対的権力者から不要な怒りを買わないように敬っている意思表示のためのパフォーマンスだと思っていた。だから中等部から成瑛学園に通える財力のある家の子が、そんなマネする心配はないと思っていたのに、どうしてそんなことになっているんだ。

 それに中等部男子、君達は本当にどうした? ちょっと先輩は理解ができないわ。



「私、そんなに怖そうに見えるかしら……?」


「さあ?」


「秋人が近寄りにくい分、優しそうな宝生寺さんに集まってくるんじゃないかな?誘蛾灯みたいな感じで」



 誘蛾灯って、近づいてきた蛾を殺すやつじゃん。近づいたらダメなやつじゃん。褒め言葉に使っちゃダメな例えじゃん。

 それに大名行列の参加者の半分はこの男のファンなのに、それを遠回しに蛾と言ったな?お願いだからファンの女の子達の前でそれ言わないでよ。聞かれたら最後、学園全体が阿鼻叫喚の地獄絵図になってしまう。



「あっ」



 不意に、秋人が進行方向を見て間抜けな声を上げた。

 その視線の先を私も見れば、力強く歩く一人の女子生徒がいた。



「背中から庶民のオーラが出てんな。一発でアイツだってわかるぜ」



 言葉こそは嘲笑っているけれど、秋人はニヤニヤとだらしない顔で女子生徒を見ている。

 本当だったら駆け寄って挨拶をして、教室まで二人で歩きたいだろうに。それをしないのは私と雪城くんの教育の賜物だろう。



「秋人。分かっているでしょうけど、人目のあるところで彼女に声をかけてはダメよ」


「……うっせぇな」


「宝生寺さんの言う通りにしろ、秋人。前に大勢の前で声をかけて、彼女がどんな目にあったか忘れたわけじゃないだろう」


「チッ。あんな胸クソ悪いこと忘れるわけねーだろ」


「そうよ。彼女を……朝倉さんを守りたいのなら、今は耐えなさい」



 私達の前を歩く女子生徒の名前は、朝倉千夏あさくら ちか

 一般中流家庭の生まれでありながら、その優秀さから特待生として成瑛に入学した同級生。

 明るくて正義感が強い、昨日から秋人の恋人になった女の子。

 私が前世からずっとその恋を応援してきた、『ひまわりを君に』の主人公。



「それがあいつのためだって事は俺だって分かってる。けど、いつまでこの俺がコソコソしなきゃいけねーんだ」



 苛立った低い声だ。普通だったら怖じけづいてしまうものだけど、今の私は幼馴染みの宝生寺桜子。この程度は慣れたものだ。

 それに今後秋人達がどんな困難に巻き込まれるか知っている立場としても、退くわけにはいかない。



「あなたが、ひとりでも朝倉さんを守れるだけの力をつけるまでよ」


「桜子てめぇ、俺が惚れた女も守れねぇ腑抜けだって言いてぇのか!」


「バカ、声が大きい。落ち着け」


「……歩きながらだと誰に聞かれているか分からないわ。続きは場所を変えてからにしましょう」



 単細胞直情馬鹿め。あんたが大声出したせいで、周りを歩く生徒からの視線が集中してしまったじゃないか。

 その視線から逃げるため、私達はさっさと高等部の校舎に入り、しかし教室ではなくカフェテリアに向かうことにした。

 すると途中で朝倉さん――心の中ではずっと千夏ちゃんと呼んでいる彼女と目が合い、私の横にいる秋人に何か言いたげに口を開きかけた。しかし千夏ちゃんは何も言わず、きゅっと口を閉じて私達に頭を下げる。

 悲しいけれど、これが特権階級の生徒とそうでない生徒のやり取り。成瑛学園高等部の暗黙のルールだ。破れば無礼者とされ、他の生徒からの嫌がらせを受けてしまう。


 せっかく昨日から秋人を付き合っているのに、「おはよう」の一言も言えないのはツラいだろう。

 でもごめんね、千夏ちゃん。あなたに安全に学生生活を送ってもらうためには、今はこうするしかないの。すべてを丸く収める解決策を見つけてみせるから、もう少しだけ我慢して。

 私達とは反対方向へ歩いていく千夏ちゃんに、私は心の中で何度も謝った。そして私と同じように千夏ちゃんの背中を名残惜しそうに見つめる秋人の腕を引っ張って、足早にカフェテリアへと向かった。

 するとまだ登校時間ということもあって、もともと利用者の限られている二階席どころか、一階席も無人だった。



「で?さっきの言いぐさ、どういうつもりだ。説明しやがれ」



 二階のソファーに座るなり、秋人はふんぞり返って私を見た。

 千夏ちゃんと話せなかったことに相当ご立腹らしい。



「言葉のままよ。今の秋人に、朝倉さんを守り抜く力はないわ」


「なんだと……!」


「ほら、すぐにそうやって感情的になる。今までにそれをやって、状況が良くなったことが一度でもあった?本当の意味で朝倉さんを守ることができた?ないわよね?」



 正面の席に座って睨み付ければ、秋人はぐっと押し黙り、悔しそうに舌打ちをする。

 すると静観していた雪城くんが小さく笑うものだから、秋人はいっそう悔しそうに顔をしかめた。



「口喧嘩で宝生寺さんに勝てたこと一度もないんだから、無駄に歯向かうのはやめときなよ」


「……そんじゃあ俺は、これからどうすりゃいいんだよ。まさか朝倉との事は一生隠せって言うのかよ」


「そんなこと言ってないわ。ただ、あなた達が付き合っていると公にするには今のタイミングは最悪だから、もうしばらくだけ我慢してと言っているのよ」


「はあ?どういう事だ?」


「それじゃあ秋人にも理解できるように、少し前の事を振り返りつつ説明しましょうか。これはあくまで仮説だけど、絶対にあり得ないとは言いきれない未来の可能性の話よ」

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