3.お久しぶりです
あの後すぐに迎えの車が到着し、私は雪城くんと別れて家路についた。
その車中、スマートフォンで「結局、美人姫苺ってなんだろう」と調べてみたら、鶏の卵ぐらいの大きさで桐箱に入って売られている一粒五万円もする超高級苺だった。恐るべし超お金持ち学校の学食。
「おかえりなさい、桜子ちゃん」
玄関で靴を脱ぐ私に声をかけてきたのは、いつも出迎えてくれる家政婦さん方ではなく、ずいぶんと機嫌が良さそうな母だった。
普段から拗ねることはあっても怒ることはない、のほほんとしている天然気味な人だけど、今日は普段以上にご機嫌らしい。クリーム色のスリッパをぱたぱた鳴らして駆け寄ってくると、私の顔を見てにっこりと微笑んだ。
「遅かったわねぇ。お友達とおしゃべりでもしてたの?」
「ただいま、お母様。学校のカフェでちょっとお茶をしていたの」
「まあ、そうなの。良かったわね。お相手は秋人くんかしら?」
ああ、今日も始まってしまった。
お母様の『桜子ちゃんと秋人くんの仲良し度チェック』は、三日に一度は行われる非常にやっかいで面倒な時間である。
「……途中までは秋人も一緒だったけど、彼は用事があるそうで先に帰りましたよ」
「あらぁ~、だったらどうして一緒に帰らなかったの?」
「……あのねお母様。秋人には秋人の都合が、私には私の都合があるの。何を期待しているのか分からないけど、私、学校では女の子のお友達といることの方が多いの」
嫌な話題はさっさと切り上げるに越したことはない。靴から愛用のピンク色のスリッパに履き替え、足早に廊下を進む。
しかし、お母様もめげずにぱたぱたと私のあとをついてきた。
「女の子のお友達も、もちろん大事だわ。でも秋人くんとは仲良くしないとダメよ!」
お母様は、秋人が壱之宮家の御曹司だから仲良くしろと言っているわけではない。私と秋人が、赤ん坊の頃からの幼馴染みだから仲良くしろと言っているのだ。
なぜそんなことを言うのかと説明するのも正直かなり面倒なのだが、端的に言えば、お母様は恋に恋する少女なのだ。
良家に生まれ、蝶よ花よと愛でられ育ち、小学校から大学まで女子校だった。そして今の夫――お父様との出会いもお見合いだったせいか、ほとんど異性と接する機会がなく大人になった。だからお母様は『恋』とはキラキラと輝く宝石のように素晴らしいものを思っていて、特に運命の人や白馬の王子様、赤い糸といったものが実在すると信じきっている。
恋愛ドラマやロマンス小説のような劇的な恋愛が現実だと思っている、頭の中がお花畑な大きな女の子。それが私、宝生寺桜子の母親だ。
そしてそんなお母様が、娘の運命の人だと決めつけているのが壱之宮秋人なのである。
お母様のゆるふわな頭のなかでは、お嬢様と御曹司、幼馴染みとの恋というシチュエーションは王道で、私と秋人は将来そうなると信じきっているのだ。
「秋人とは仲良くしているわ。とてもいい友人ですからね」
「友人?何を言っているの桜子ちゃん。秋人くんは幼馴染みよ!」
「……そうね」
どうしてうちの家ってこんなに広いんだろう。玄関から競歩で廊下を進んでも、私の部屋にはまだたどり着かない。部屋にさえ入ってしまえば、お母様も諦めるというのに……。
「そうだわ!春休みになったら、壱之宮家の方々を誘ってお食事にいきましょう。桜子ちゃんも、秋人くんとお食事したいでしょう?」
「壱之宮家だって急に誘われては迷惑よ」
「じゃあ桜子ちゃんのお誕生日に……」
「私、誕生日は家族でゆっくり過ごしたいと毎年言っていますよね?」
『幼馴染みの恋愛』というロマンス小説の王道シチュエーションに憧れるお母様には悪いけど、あいにくこの世界は『身分差のある恋愛』という少女漫画の王道シチュエーションの世界。そして私は、主人公達を引き裂こうとする悪役。少女漫画では、幼馴染みキャラはフラれるのがほぼお約束なのだ。
一応その役割は放棄して、御曹司の恋をサポートする心の広い幼馴染みポジションを確立させているけど、どっちみち私と秋人が恋愛に発展することはあり得ないのである。
私は、このお母様の花と宝石と砂糖菓子で作られた恋愛思考が、本来の宝生寺桜子の性格を作り上げた元凶だと読んでいる。
『幼馴染みの恋愛』の素晴らしさを聞かされ、「秋人くんは桜子ちゃんの運命の人」という空気を吸い続けること十六年。来月には十七年になる。幼馴染みである秋人と結婚するのが当然のことで、秋人が自分以外を選ぶことは許さないという愛の重い子になっても仕方がないと思う。
同じ宝生寺桜子として少し同情する。でもそれはそれ、これはこれ。私は、宝生寺桜子とは違う人生を歩むのだ。
「お母様。秋人とは仲良くしているけど、今は勉強と女の子の友達との付き合いを大切にしたいの」
さらに少女漫画の第一部が完結した今、秋人と主人公を別れさせ、代わりに秋人と私をくっ付けようとする全て存在を全力で叩き潰す覚悟ができている。それが実の母親の脳内お花畑を焼け野原にすることであろうとも。
全ては、トラックにひかれて強制退場という末路を回避するためだ。
「ええ、桜子ちゃんの気持ちはよぉ~く分かるわ。でも私は、桜子ちゃんに幸せになってほしいの。だから……」
「いい加減にしなさい、
急に割り込んできた声に、お母様はぱっと振り返った。
「
「桜子は帰ってきたばかりなんだ、休む時間ぐらい与えてやらないか。それに桜子は年頃だ、友人関係に口を挟むなといつも言っているだろう」
お母様の騒々しい足音と声を聞き付けたんだろう。お父様は私達を追うようにゆっくりと歩いてくるなり、そう言った。
普段は私よりも遅く帰ってくるお父様が、今日は先に帰ってきていて、さらに仕事用のスーツから着替えてリビングで過ごしていたらしい。
なんだか今日は普段と違うことが多くて、嫌な予感がする。
「あなたまで友人だなんて!桜子ちゃんと秋人くんは幼馴染みよ」
「秋人くんに限らず、子どもの頃から親しくし続けていれば幼馴染みと呼べる関係だ」
「でもぉ……」
「そもそも桜子を出迎えたのは、食事のことを伝えるためだろう。伝えたのか?」
「ああっ!そうだったわ!桜子ちゃん、今日はお父様がイタリアンレストランの予約をしてくれたの。久しぶりに三人でお食事に行きましょう」
なるほどね、お母様が普段以上にご機嫌で、お父様が普段より帰宅が早いと思ったらそういうわけだったのか。
大企業の社長として忙しいお父様の家族サービススイッチが、今日も唐突に押されたようだ。秘書に何か言われて思い立ったのだろう。
「はい。家族水入らずの食事ならよろこんで」
家族サービスの話題のおかげで、お母様の『桜子ちゃんと秋人くんの仲良し度チェック』が強制的に終わった。
実の母親の頭の中がお花畑なのは嘆かわしいけれど、その分、少々忘れっぽい性格でもあるので扱い易い。
特に夫であるお父様は、お母様の扱いのプロだ。私に用件を伝え終え、仲睦まじく連れ立ってリビングへと向かう両親の背中を見ながらつくづくそう思う。
二人は出会いこそはお見合いでも、その後四年間付き合い、結婚後も私が生まれるまで二人きりで長い新婚生活を楽しんだ。その結果、独身時代はクールなインテリ男子だったらしいお父様もすっかりお母様のロマンチック思考に毒され、結婚して二十年経った今でも娘の目のない所で毎日のようにイチャついている。
たぶん廊下の角を曲がった瞬間、お母様がお父様の手にそっと触れ、お父様も拒絶するどころか恋人繋ぎをしていることだろう。まったくお熱いことで。
思わずため息が出たところで、廊下に一人残された私は歩みを再開して自室に引っ込んだ。足を踏み入れれば、部屋の電気は勝手に点く。
「ただいま、ミーティス」
『おかえりなさい。桜子さん』
私以外の人間がいない部屋に、機械質な返事が響く。
その声の正体は、ベッドサイドテーブルにちょこんと置かれたクマのぬいぐるみ……の中に埋め込まれたAIスピーカー。人工知能だ。
この人工知能内蔵ぬいぐるみ・ミーティスの説明をするためには、まずは宝生寺家について説明する必要があるだろう。
宝生寺家は、その系譜を辿れば平安時代のやんごとない血筋にたどり着くと言われ、明治時代に起業し大成功をした素封家一族だ。でも血筋に関してはあくまでも“言われている”程度だ。明治時代以前の家系図は、戦時中ゴタゴタでほとんどが消失してしまっているらしいので物証はなく、その直系の娘である私は信じていない。
そんな宝生寺家が経営しているのは、『宝生寺グループ』という総合商社。時代が違えば財閥と呼ばれていた大企業だ。
ミーティスは、宝生寺グループの子会社の一つであるIT企業の品。AIスピーカーその物はすでに一般販売しているが、まだまだ成長の余地があるその既存の物を改良し、それのモニターとして親会社の社長令嬢である私に贈られた物だ。
一般販売している黒い無機質なスピーカーではなく愛らしいクマのぬいぐるみなのは、ペットのような親しみをもってほしいという魂胆だそうだ。
そして成功すればこのミーティスを販売する予定らしいので、私の感想次第で億単位の開発費用と開発者の努力が水の泡になってしまう。なかなかのプレッシャーだ。
「ミーティス、今日十九時の東京の天気は?」
『本日十九時の天気は晴れ。気温は十七度です』
「十七……微妙だなぁ……。風は吹く?」
『北東から風速三メートル程度の風が予測されます』
コートと制服を脱ぎながら、扉続きになっている隣の衣裳部屋に入る。クローゼットを眺めながらミーティスに聞けば、インターネットで詳しい情報を調べて教えてくれる。呼び掛けるだけで答えをくれるのは、かなり便利だ。
ミーティスの言葉を信用して、食事に着ていく服を吟味する。三月なので春らしい物を着たいけど、風が吹くなら少し厚着をした方がいいのかもしれない。
『桜子さん』
「はぁい?」
『三月の気温十七度、降水確率零パーセント、北東からの三メートルの風は、桜子さんはどう感じますか?』
ミーティスは、時々こうやって私に質問してくる。
初めて質問された時は驚いたけれど、こうやって問うことで持ち主の情報や好みを学習し、成長していくらしい。
「北風が吹くなら、私は少し寒く思うわ」
『記録しておきます』
ミーティスが情報整理モードになるのを見届けて、私はシンプルなパウダーブルーのワンピースを選んだ。これに淡いグレーのコートを着れば、季節感とTPOを守りつつ寒さ対策もできるだろう。
その後家政婦さんに呼ばれるまで部屋でゆっくりと過ごし、イタリアンレストランへは我が家専属の運転手が運転する車で向かった。到着したのは、お母様が気に入っているティラミスがあるレストランだった。
コース料理のブルスケッタやフレッシュパスタを食べながら、私の先週あった期末試験の手応えや春休み中の予定を話して久しぶりの家族の時間を満喫。そして私とお母様がデザートのティラミスを食べ終えた頃、私達のテーブルの横を一組の夫婦が通り抜けた。
「あら、宝生寺さん?」
聞き覚えのある艶っぽい声に、私は食後のコーヒーを吹き出しそうになった。
「まあっ!壱之宮さん、泉さん、お久しぶりですわ」
真っ先に反応したのはお母様。現れた夫婦――壱之宮夫妻に、無邪気に微笑みかけた。
壱之宮、そう、壱之宮秋人の両親。つまりは『ひまわりを君に』の第二部で、宝生寺桜子と共に主人公と秋人を別れさせようとあれこれ妨害する二人だ。
まずいぞ。私の強制退場エンドを回避するためには、この夫婦と関わらないようにすることが大事だった。
『ひまわりを君に』で主人公と秋人が付き合っていると夫婦に報告し、後回しになっていた婚約話を蒸し返したのは宝生寺桜子だ。宝生寺桜子の言動が、この夫婦が秋人達の邪魔をするきっかけとなる。
だから出来ることなら今日から第二部が完結する時間軸になるまでの期間は、この夫婦とは会わないようにしたかったのに。まさか第一部が完結したその日に遭遇してしまうなんて、完全に想定外だ。
「お久しぶりね、桜子ちゃん。冬休みにロンドンで会って以来かしら」
「お久しぶりです、泉おば様」
壱之宮夫人こと泉おば様の色っぽい笑みに、私は平静を装って微笑むことしかできない。
本来の『ひまわりを君に』のシナリオでのラスボスは宝生寺桜子だけど、私がその役割を放棄した以上、秋人達の前に立ちはだかる最大の壁はこの泉おば様になるだろう。
吊りがちの目に、真っ赤なルージュのひかれた唇。美しく気位の高い大企業の社長夫人。うちのお母様が天然ゆるふわ系な分、泉おば様の威圧感というか貴族オーラが尋常じゃない。
今までならともかく、今日から私の人生のラスボスとなる人とのんきに世間話をする余裕はなかった。
「ご家族揃っての食事なんて羨ましいわ。秋人なんて、年々態度と図体が大きくなって可愛げなんて全くないの。いったい誰に似たのかしら」
秋人は間違いなく母親似だと思う。父親である壱之宮社長は、どちらかと言えばうちのお母様と系統が近いのだから。
「どうせなら私も、桜子ちゃんのような娘が欲しかったわ」
「……っ」
出たー!泉おば様の娘発言!でもこれはセーフ!
本来なら「桜子ちゃんのような娘が欲しかったの」とすでに娘を獲た風の発言だったけれど、今のは願望。泉おば様のなかで、私は未来の嫁ではなく他家のお嬢さんだ。
「桜子ちゃん、秋人は学校でどんな様子かしら。あの子ったら、そういう事まったく話さなくて困っているの」
泉おば様は頬に手を当て、真っ赤な唇から憂いの吐息を漏らした。
言えない。「お宅の息子さん、今日から一般家庭のお嬢さんとお付き合いしてますよ」なんて、口が裂けても言えない。
「どうでしょう。私はクラスが違いますから、校内で彼と会うことはあまりなくって……」
「あら、そうなの?」
「でも相変わらず、雪城くんと親しくしているようですよ」
泉おば様は、息子の友人にはそれなりに高い地位の人間しか許さない選民思想なので、大企業の御曹司な雪城くんのことは初等部の頃から認めている。
だからこういう時、雪城透也という存在は便利だ。
「桜子ちゃんも透也くんも、昔から息子と親しくしてくれて嬉しいよ。あれは気難しい性格だが、これからもよろしく頼むよ。さあ泉、家族水入らずの時間を邪魔してはいけないよ。私達は帰ろう」
「ええ、そうね」
お父様と話していた壱之宮社長はふいに私達の会話に割り込んでくると、美しい奥様にエスコートの腕を差し出した。
さすがは世界に名を轟かす『壱之宮コンツェルン』の社長。動きがとてもスマートだった。
「それじゃあ柊平、また今度ゆっくり話をしよう」
「ああ。近い内に」
「またお会いしましょう頼子さん、桜子ちゃん。もうじき春休みになるから、秋人含めてぜひ食事でも」
「ええ、ぜひ。楽しみね、桜子ちゃん」
「……」
春休みは隙間なく予定を詰め込もうと胸に誓いつつ、腕を絡めて去っていく壱之宮夫妻を見送り、私達一家もレストランを後にした。
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