2.これでよかったの?




 さて、何はともあれ秋人は主人公と付き合うこととなり、さらに伝え損なった「好き」を言いに走っていくのを見届けたわけだから、一人寂しくカフェテリアに残る必要はなくなった。

 私専属の運転手にメールで迎えを頼んで、到着するまでは残りの紅茶を飲んで時間を潰すとしよう。いっそのことお茶請けに甘い物でももらって、愛する『ひまわりを君に』第一部完結の祝杯をあげていようか。


 このお金持ちの家の子どもが集まる成瑛学園には、中等部と高等部にのみカフェテリア……普通の高校でいうところの学食があるのだが、普通でないのはその質だ。料理界の大御所や高級料亭の現役料理長が監修したメニューを、一流の料理人が作り上げている。スイーツもそうなので、学食とは思えないレベルの物を気軽に味わえるのだ。

 さらに私のいるカフェテリアの二階席は、ごく一部の特権階級、選ばれた生徒しか利用することを許されず、一階よりも上質な食事が専任のコンシェルジュによって出される。なのでこの二階席は聖域として成瑛生の憧れであり、利用できるのは勝ち組の証だ。


 前世ではド庶民だった私から言わせれば、この二階席は選民思想育成空間だ。一階席の生徒を、地を這う下等生物のように見下しながら優雅に食事なんて虫酸が走る。

 しかし中等部の時点で二階席利用者に選ばれてしまった私は、逆に一階席にいるととんでもなく浮いた存在になるのだ。おまけにゴリゴリの選民思想な二階席利用者達からは「選ばれたの者であるくせに!」と非難されるのである。――まあ、学園の王様の幼馴染みで、財と地位と権力の集合体である宝生寺家の一人娘である私に、面と向かってそんな事を言ってくる怖いもの知らずは一人もいないのだが。


 でも陰口ってかなり傷付く。小心者な私はそんなの耐えられない。

 だから私は渋々二階席を利用していて、一階席を利用するのは誰かに昼食を誘われた時だけである。金持ち女子高生も楽じゃない。

 心のなかで愚痴りながらテーブルに置かれた本日のデザートメニュー表を眺めていると、ふと、二階席に繋がる階段を上がってくる足音が聞こえてきた。

 まさか秋人の奴、怖じ気づいて戻ってきたのか?

 しかし私の視界に入ってきたのは、幼馴染みの硬質的な黒髪ではなく、それとは対照的の柔らかそうなハニーベージュだった。



「ああ、よかった。まだ居てくれたんだね、宝生寺さん」



 ゲェッ、よりによってコイツが来たか。



「あら雪城くん、私に何かご用ですか?」



 雪城透也ゆきしろ とうや。暴君秋人の唯一無二の親友であり、海外セレブにも愛用される大手化粧品メーカー『SCC』の御曹司だ。

 母親が日本とフランスのハーフ、その美の女神の如き美しさの遺伝子を受け継いだ美形。おまけに温厚でいつも穏やかに微笑んでいるので、女子生徒からの人気は高い。

 秋人が近寄りがたい孤高の王様なら、彼は白馬の似合う王子様と言ったところだ。

 ちなみに学園内に、それぞれどちらか一方を愛でる単推し系ファンクラブと、両方を等しく愛でる箱推し系ファンクラブあって、さらにファンクラブには属さず同坦拒否を貫く猛者もいるとかいないとか。


 『ひまわりを君に』にも当然ながら登場して、俺様で感情的になりやすい秋人を親友として諌めたり、主人公との恋をサポートするかなり重要なポジションだ。

 しかも、かなり勘が鋭くて手厳しい一面もあって、物語第二部で最も早く宝生寺桜子の裏での行動に気付き、秋人と主人公にバレない場所で度々睨み合っていた。クライマックスで宝生寺桜子の悪事を主人公達に明かしたのも、この雪城透也だ。

 つまり宝生寺桜子の敵で、今の私にとっては敵に回したくない、できることなら関わりたくない男ということ。

 それがよりによって、この第一部完結のタイミングで現れるとは……。



「さっき廊下で秋人に会って、宝生寺さんがひとりでお茶してるって聞いたんだ。ここ、いいかな?」



 あの浮かれポンチ、余計なこと言いやがって。



「ええ、どうぞ」



 さっきまで秋人がふんぞり返っていた席に優雅に座る雪城透也――雪城くんを見つつ、私はひっそりとため息をついた。

 秋人の幼馴染みである私にとって、彼とは初等部の頃からの付き合いになる。入学してすぐに秋人が「隣のクラスに気に入らねぇヤローがいる!」とプリプリ怒っていた一週間後に友人として紹介された時には、順調な運命の歯車の動きに当時七歳の私は頭を抱えたものだ。

 でも私が『ひまわりを君に』の宝生寺桜子にような行動をしなければ、この運命から逃れることができるので、第二部が始まろうとこれまで通りに生きていけばいいだけだ。焦る必要はない。



「雪城くんがこんな時間まで残っているなんて、珍しいですね」


「秋人のことが心配だったんだ。宝生寺さんだってそうだろう?習い事までの時間調節、なんて嘘をついて残るぐらいに」



 今日、茶道の教室があったのは事実。ただ先生の都合でお休みになったので、それを利用して主人公カップル誕生という吉報をいち早く聞くために残っていただけ。

 それに気づかれていたなんて、相変わらず食えない男だ。というかコイツ、さては物陰で私と秋人の会話を聞いていたな。



「……秋人には内緒にしてくださいね」


「もちろん。でも秋人のやつ、ついに彼女とうまくいったんだね。さっきすごい嬉しそうな顔してたよ」


「私にもふんぞり返って報告してきましたよ」


「秋人、宝生寺さんのこと大好きだからね」



 やめろ!寒気がするし、縁起も悪い!



「誰かに自慢したかっただけでしょう。先に会ったのが雪城くんだったら、あなたにふんぞり返って自慢していたと思いますよ」


「それは……ちょっとめんどくさいかな」



 はははと雪城くんは笑う。

 宝生寺桜子と雪城透也が、壱之宮秋人の恋模様について話すなんて本来だったら絶対にありえないことだ。

 それもこれも、私のこれまでの行いあってこそ。この調子で恋と嫉妬に狂うことがなければ、少なくともトラックにひかれて強制退場エンドは回避できるだろう。



「なんだか宝生寺さんを見てたら、僕もなにか飲みたくなってきたな。なに飲んでるの?」


「紅茶です。今日はヌワラエリアみたいですよ」


「へえ、いいね。じゃあ僕も同じの貰おうかな。宝生寺さん、甘い物はどう?」



 コンシェルジュを呼びながら、デザートのメニュー表を差し出される。

 しまった、会話の最中にチラチラと見ていたのはバレていたのか。でも自分がお茶を頼むついでに頼ませるなんて、伊達に紳士の国フランスの血をひいていない。

 せっかくなので私は見栄を張らずに、気になっていた美人姫というなにやら高貴な名前の苺のシフォンケーキを頼む。すると運ばれてきたのは、苺ソースがかかった淡いピンク色のシフォンケーキ。添えられたクリームは滑らかで、一緒に食べるとこれまた絶品だった。

 美人姫とやらがどんな苺かは結局分からないけど、美味しいので文句はない。

 いつもは選民思想クソ食らえと思っているけど、ここで出される料理の事を考えると特権階級に生まれて良かったと思う。



「宝生寺さんは、本当にこれでよかったの?」



 脈略のない言葉に顔をあげると、一般的な日本人のものより明るい色の目がじっと私を見ていた。



「よかった、とは?」


「秋人のことさ。本当に彼女と付き合うようになっちゃったけど、これでよかったの?」



 探るような視線。試すような言葉。

 初めてこういったことを問われた時は内心とても動揺したけれど、今ではどうということはない。

 口に詰まったシフォンケーキを飲み込んで、紅茶で喉を潤す。



「その質問、二人の仲が進展する度に聞いてきますね。仮に二人の仲をよく思っていなかったのなら、私はあれこれ手助けなんてしてきませんでしたよ」


「でも、秋人に気を遣って本心を隠していた、なんてことがあるかも」



 宝生寺桜子として、それは否定しない。

 なにせ『ひまわりを君に』の宝生寺桜子も、第一部では壱之宮秋人から最も身近な異性として「なんなんだあの女!」と主人公の愚痴を聞かされてたことから始まり、彼が主人公を好きになってからは「なんなんだあの女……」と頭を抱える幼馴染みに乙女心のなんたるかを説明させられていた。

 つまり、今の私と同じ様に、壱之宮秋人の恋路のサポートをしていたのだ。


 第二部で嫉妬に狂うくせに何をしているんだと思うが、それは壱之宮秋人と宝生寺桜子の周りの空気が原因だ。

 お互い小さい頃から家族ぐるみの付き合いで、両家の親は二人の婚約を冗談混じりに言ってきたことから、桜子は将来秋人とそうなるのだと思って生きてきた。心から好きだったから、嬉しく思っていた。

 そして成瑛学園に入学してからも、「壱之宮様のお側に最もふさわしいのは宝生寺様」という空気が学園内に浸透していたから、いっそう桜子を安心させ、慢心させた。


 彼女の事が気になるのは特待生だから。今は気にしていても、生きる世界が違うんだからどうせすぐに飽きる。最後には私のところに戻ってきてくれる。

 秋人が主人公を好きになってからその相談にのってあげていたのは、そんな心からだ。だが結果として、その考えは的はずれで、秋人と主人公は付き合うこととなる。

 桜子はそれを裏切られたと、主人公に秋人を横取りされたと思って、第二部での豹変と暗躍、さらにクライマックスでの「先に裏切ったのはあなたの方じゃない!」発言に繋がるわけだ。


 同じ宝生寺桜子として、なんて愚かな子なのだと呆れを通り越して涙が出てくる。

 好きなら好きって、さっさと伝えればよかったのに。


 つまり何を言いたいのかと問われたら、私はこれまで『幼馴染みの恋路のサポート』という本来の宝生寺桜子と似た行動をとってきたから、第二部で対立する雪城透也から疑われてしまうのは当然のことだ。

 まったく、本当に厄介なポジションに生まれ変わってしまったなぁ。



「雪城くん。確かに私は秋人のことを大事に思っていますが、家族愛みたいなものであって恋愛感情ではありません。だから彼の幸せは願っていても、失恋を願ったことは一度もありません。何度も言ってますよね?」


「うん、何度も聞いてる。でもほら、万が一のことがあると困るから、念のための確認だよ」


「万が一ねぇ……」



 まさかこの男、本当に私がいつか秋人達の仲を引き裂こうとするかもって思っているのか?

 そうだとしたら怖すぎる。予知能力者か何かか。



「改めてそう聞けて安心したよ。僕も今まで秋人を手伝ってきたけど、実は裏でもうひとりの幼馴染みを悲しませていたなんて後味の悪いことは、絶対に嫌だからね」


「幼馴染み?」


「なに、その顔?だって僕ら三人は、初等部から付き合いで、休みの日にも頻繁に会っていたじゃないか。十年来の幼馴染みだよ」



 えっ、なにそれ初耳なんですけど。

 でもそう言われてみたら、私と秋人は赤ん坊の頃から一緒で、秋人と雪城くんは七歳の頃からの親友。なので秋人を介して、私と雪城くんも約十年ほぼ毎日顔をあわせている。しかも秋人が主人公に恋をしてからは、私達はサポート役としてコンビみたいなものを組んで連携してあれこれやってきた。

 あれ?確かにこれって、幼馴染みと言える関係なのでは?しかもとっても仲良しなのでは?

 宝生寺桜子と雪城透也は『ひまわりを君に』で会話しているシーンはほとんどなかったし、いずれ敵対すると知っていたから、できる事なら関わりたくないとずっと思っていたので盲点だ。



「確かに考えてみると、幼馴染みってことになりますかね?」


「まさか今まで気づいてなかったの?けっこう傷つくなぁ」


「だ、だって、今までずっと秋人を間に挟んでいたから……」


「でも去年の学園祭とかクリスマスとか……ああ、あと先月のバレンタインデーとか。二人だけで色々したよね?」


「あれだって結局、秋人絡みだったじゃないですか。秋人が関係なく私達が一緒に行動したことって、たぶん一度もありませんよ?」


「じゃあ今度、二人だけでどこかへ出掛けようか」



 はあ?なぜそうなる。



「秋人達も付き合いたてで二人で過ごしたいだろうし、僕らは邪魔にならないように少し離れた方がいいと思うんだ」


「ああ、それもそう……ん?そうですかね?」



 二人が付き合いようになった第二部で起きる学園内での事件の首謀者は、宝生寺桜子だ。

 だったら私がその役割を放棄している以上、少なくとも学園内では二人は落ち着いて甘酸っぱい青春を遅れるのだから、お邪魔虫はめいっぱい離れておいた方がいいに決まっている。

 でも距離を取るために、私と雪城くんが出掛ける必要ないのでは?普通に空気を読んで、秋人達が二人きりになった時にそれぞれ近づかないようにすればいいのでは?



「えっと、どうして秋人達をそっとしておく事と、私達が出掛ける事が繋がるんですか?」


「……それは……。じゃあ僕が宝生寺さんと親睦を深めたいっていうことで」


「じゃあってなんですか、じゃあって」


「いくつかある理由のひとつだよ。ほら、僕らって十年一緒にいたけど、お互いのことってあんまり知らないだろう?現に宝生寺さんは、僕のこと幼馴染みとすら思っていなかったし」



 ティーカップを傾けながらゆったりと話す姿は妙に似合っていて、こういうところがファンクラブができるほどにモテる理由なのかも。そんなまったく関係ないことを考えてから、今考えなければならないことに思考を戻した。


 親睦を深める、ねぇ……。理由はいくつかあるんでしょう?そのいくつかの内の一つに、本当に秋人達の邪魔をするつもりがないか腹を探りたいんじゃありません?

  たぶん、この誘い自体が探りなのだろう。私が了承するか断るか、あえて秋人達の名前を出してきたのはそういうことだろう。

 それを思うと恐ろしくて近づきたくないけれど、秋人達の邪魔をしないためという理由での提案を断るのは逆効果。ただでさえ疑われているんだから、邪魔をするつもりなので嫌でーす、と言っているようなものだ。

 となれば、私の答えはたった一つ。



「分かりました。そういうことなら都合がつく日にでも」



 私が頷いてみせると、雪城くんも満足げに頷き、おもむろに右の小指を差し出してきた。



「宝生寺さん、すぐ忘れそうだから指切りね」


「ちゃんと予定を決めれば忘れませんよ。指切りなんて、子どもじゃあるまいし……」


「人間の記憶って、聞いた言葉だけよりも体で経験したことの方が忘れないそうだよ。だからもしも宝生寺さんが今の会話を忘れても、指切りをして思い出せるように。ね?」



 エピソード記憶というやつか。

 確かに『ひまわりを君に』の第一部完結という佳き日に、できる事なら利用したくないカフェテリアの二階席で、必要最低限しか関わりたくないと思っていた雪城透也と指切りをした、なんて記憶、よっぽどの大事件でもないと忘れられそうにない。

 私が渋々促されるまま右の小指を差し出せば、ひょいと簡単に絡めとられた。私達の身分上、世が世なら指だけでなく首を落とすことになるので、全くもって洒落にならない。

 でも何よりも私を戸惑わせたのは、初めて触れた繊細そうな正統派王子様の手が、意外にもしっかりとした男の子の手だったことであった。

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