桜子さまは儚くない

三崎かづき

1.先が思いやられるわね





「聞け桜子!俺はついにやったぞ!」



 ――――ああ、やっとこうなったか。思っていたより時間がかかったな。

 もうすぐ春休みになるという少し落ち着かないその時期に、興奮しきった幼馴染みの赤い顔を見てそう思った。



「ええ、聞いてあげるわ。今度は何をやらかしたの、秋人」



 私の名前は宝生寺桜子ほうしょうじ さくらこ。齢十六。実業家や素封家、やんごとない血筋の子弟が集まる私立成瑛せいえい学園高等部に通う、お金持ちでやんごとない血筋の家の一人娘である。

 自分で言うのも嫌味なことだけど、私という人間を説明するには一番手っ取り早い表現なのでご容赦いただきたい。

 そして彼は壱之宮秋人いちのみや あきひとという名の、私と同じ成瑛学園高等部に通う、日本随一の総合商社『壱之宮コンツェルン』の御曹司。周囲で最も財があって最も影響力もある家はどこかと問われたら、ノータイムで「壱之宮家です」と答えるほどの家柄だ。



「聞いて驚け!俺は今日、ついに朝倉から好きだと言われた!それで付き合うことになった!」


「そう、良かったわね。おめでとう」


「ありがとう!でも驚けよ!」


「大きい声を出さないで。耳が痛いわ」



 驚きませんよ。だって私は、あなた達がこの高校一年の春休み直前に付き合うことになると十年前から知っていましたから。


 さて、ここでもうひとつ、私という人間を説明するためにはとても重要なことがある。

 私――宝生寺桜子には、前世の記憶がある。

 幼馴染みの恋愛話を聞かされておかしくなったわけでもなければ、評判のいい精神科医への紹介状も必要ない。私だって認めたくないけれど、これはどうしようもない事実なのだ。


 私が前世を思い出したのは、六歳の誕生日だった。

 これまた財と地位ある家の子どもが集まる幼稚園に通いながら、小学校お受験のために幼児教室へも通っていた私はある日、母親に一通のパンフレットを見せられた。



「七歳になったら、桜子ちゃんはこの学校へいくのよ」



 分厚いパンフレットの表紙に書かれた『私立成瑛学園』の文字に、私のなかで大きな何か弾け飛んだ。

 会ったことのない人、行ったことのない場所、見たことのない物。知らないはずのことが一気に頭のなかに流れ込んできたけれど、私は落ち着いて、それがかつての私の記憶なのだと理解できた。

 だって、その思い出した記憶のなかに『宝生寺桜子』という名前の人間がいたことの方が、私を混乱させたからだ。いつどこでどうやって死んだのかという疑問は、一瞬で吹っ飛んでいった。


 かつての私の愛読書の一つに、『ひまわりを君に』という少女漫画があった。

 超がつくほどお金持ちの家の子どもが集まる私立高校を舞台に、そこに主人公である一般中流家庭の女の子が成績優秀な特待生として入学してくることから物語は始まる。

 主人公は周りが価値観の違う人ばかり戸惑いつつも、高校生活にかかる費用を全額負担してもらえる特待生の座を維持するため持ち前の頭脳と根性で、波風立てずに高校生活を満喫していく。

 しかしお金持ち学校は、とある男子生徒を中心に回っていた。

 容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群。世界規模で事業を展開する大企業の御曹司であるその男子生徒は、主人公と同じ一年生でありながら、全生徒の上に君臨する姿はまさしく王様だった。

 明るくて正義感の強い庶民女子と、傲慢で喧嘩っ早い俺様坊っちゃんが出会い、最初こそはお互いを嫌っていくが、接していくうちに恋へと発展していく。王道学園ラブストーリーだ。


 アニメ化やドラマ化はなんかはされていなかったけれど、そういったジャンルが好きな人を中心に大ヒットした大人気少女漫画に、かつての私もドハマリした。


 ここまで説明して、生きる世界の違う二人がなんの障害もなく結ばれてハッピーエンドとなるわけがないのは、誰もが想像つくだろう。

 物語序盤のまだ二人が付き合い始める前には、俺様坊っちゃんに憧れる女子生徒達が「庶民の分際で!」と主人公を執拗に嫌がらせをしたり、主人公と同じ一般家庭出身でスポーツ推薦で入学している爽やかで誠実な男子生徒と三角関係になったりする。それを時に完膚なきまでに叩き潰し、時に涙を交えて理解しあい、晴れて二人は結ばれる。それが高校一年の春休みの直前の事である。

 しかし困難はまだまだ続く。物語の第二部、二人が二年に進級してからは俺様坊っちゃんの両親や幼馴染みが、二人を別れさせるためにありとあらゆる手を使って邪魔をしてくるのだ。

 特に物語で最大の障害となるのは、俺様坊っちゃんの幼馴染み。俺様坊っちゃんの家と肩を並べるほどの財と地位ある名家の令嬢で、物語前半から俺様坊っちゃんの一番身近な異性として登場していた彼女は、いつも清楚なお嬢様として穏やかに微笑んでいたが、第二部で長年俺様坊っちゃんに片想いをしていたことが明かされる。

 そしてその想い人が、よりによって庶民の女の子と付き合うようになり、嫉妬に狂った幼馴染みは取り巻きを操り主人公を襲わせたり、自分の両親や俺様坊っちゃんの両親をそそのかして長年先送りにされていた俺様坊っちゃんとの婚約を成立させたりする。――――が、クライマックスで影での悪事を暴かれ、婚約は解消、幼馴染みは俺様坊っちゃんに糾弾される。



「どうしてお前が……。俺を、裏切ったのか?」


「裏切ったのはあなたの方じゃない!」



 幼馴染みは泣きながら絶叫。これまで彼女を穏やかでお淑やかな人間だと思っていた俺様坊っちゃんは、長い黒髪を振り乱して、これまでの悪事の真相を叫ぶ豹変ぶりの呆然とする。

 しかしどれだけ自分を好いてくれようと、自分が愛しているのは主人公のみなので、俺様坊っちゃんは真っ向から幼馴染みの気持ちには答えられないと宣言するのだ。その真っ直ぐな目に主人公はトキメキ、幼馴染みはさらに絶望する。

 そして幼馴染みはこれ以上耐えられないとばかりに走って逃げ出すのだが、運の悪いことにそこは車道で、大型トラックにはねられ意識不明の重体となる。

 その後なんやかんやあり、障害物のなくなった二人はハッピーエンド、めでたしめでたしとなるのだ。



 これだけ説明していれば、もうお察しいただけただろう。

 そう。この嫉妬に狂い、トラックにはねられて物語から雑に強制退場させられる幼馴染みの令嬢の名前は『宝生寺桜子』。つまりが私だ。

 そして当然ながら、物語の最重要人物である俺様坊っちゃんの名前は『壱之宮秋人』。私の幼馴染みだ。

 全てを思い出し、自分の運命を知った時点で、宝生寺家と壱之宮家は家族ぐるみの付き合いで、私と秋人は一番の仲良しだった。会えば手を繋いで辺り歩き回り、楽しそうに笑い合うその光景に両家の父親は「将来結婚するかもな」などと冗談混じりに言っていたものだから、すでに運命の歯車は動き始めていた。


 だから私は自分が『宝生寺桜子』であることを受け入れる一方で、あることを胸に誓った。

 まず一つ目は、絶対に秋人に恋をしないこと。

 二つ目は、秋人が主人公に恋をしたら、物事がスムーズに進むようにサポートすること。

 そして三つ目は、どれだけ急いでいようと車道には飛び出さないこと。

 以上、三つの誓いを胸に秘め、私はこれまで生きてきた。


 その努力の甲斐あって、現時点で宝生寺家と壱之宮家の関係は良好でありながらも、秋人の母親から「私、ずっと桜子ちゃんのような娘が欲しかったの」という実質あんたはうちの嫁発言は頂いていないし、ついに今日秋人と主人公は結ばれた。車にひかれたことだって一度もない。

 私は良家の娘らしくゆったりと紅茶を飲みながら、心のなかで少女漫画第一部完結に万歳三唱した。

 でも『宝生寺桜子』の本当の出番は、秋人と主人公が付き合うようになってからなので、まだまだ油断はできない。少しでも運命を変えるために、今日も幼馴染みの恋を円滑に進めるサポートをしていこうではありませんか。



「ところで秋人、お付き合いできるようになったのは喜ばしいことだけど、あなたはきちんと自分の気持ちを伝えたの?」



 ここは成瑛学園高等部にあるカフェテリア。それもごく一部の特権階級の生徒のみが利用できる二階席だから、放課後となれば利用者はほとんどいないし、現に今は私と秋人しかいない。

 だからこそ秋人の恋バナに付き合ってあげることができていたわけだけど、下で誰が聞いているか分からないからなるべく小声で問う。



「俺の気持ち?そんなもん、好きだと言われてフッてねーんだから、それが答えだろ」



 高級ソファーにふんぞり返って自信たっぷりに言う幼馴染みの横っ面を、力いっぱい引っ叩きたくなった。

 しかしお淑やかなお嬢様である私がそんな事するわけにもいかないので、ぐっと我慢して、ビンタの代わりにため息をついた。



「秋人。悪いことは言わないわ。今すぐ彼女に会って、きちんと好きだと伝えてきなさい」


「な、なんでそんなことをこの俺が……!」


「そんなこと?あなたは、そのたった二文字が言えなくて、今日までずっと私にあれこれ相談してきたのよ。忘れたとは言わせないわ」


「相談なんてしてねぇよ!!」


「ああ、そうだったわね。色恋と縁のない私のために、先輩としてご教授いただいたんだったわね。訂正しましょう。でもね秋人、いつか自分の気持ちを伝えなかった事を後悔しないために、今すぐ伝えておいた方がいいと思うわ」



 前世から引き継いだ私の記憶が正しければ、『ひまわりを君に』の第二部での壱之宮秋人は、主人公から一度も好きだと言われたことがないと指摘されてかなり狼狽えていた。そしてそれが一時的に二人の間に溝をつくって、さらにそれをチャンスとばかりに宝生寺桜子が婚約を成立させるために暗躍する。

 秋人との婚約なんて、本来の宝生寺桜子とは違う今の私にはさらさら興味のないことだけど、運命を変えるためには、不安の種は一つでも少ない方がいい。

 そのためだったら、この恋愛偏差値ゼロの俺様坊っちゃんの背中を押して、二人の仲を取り持つぐらいいくらでもする。



「彼女はあなたの顔を見て、伝えてくれたんでしょう?だったあなたもそれに報いなさい」


「……」


「時間が開けば開くほどに、どんどん伝えにくくなってしまうわよ。それとも、かの有名な壱之宮家の秋人坊っちゃんは、この程度のことで立ち止まる男なの?あらあら、先が思いやられるわね」


「なんだとッ?!分かったよ、言いに行ってくりゃあいいんだろ!今すぐ走って行ってやるよ!」



 秋人は学園内では暴君として知られているけれど、その性格をきちんと把握していればとても扱いやすい。チョロい男だ。

 座ったばかりのソファーから立ち上がると、カバンを引っ付かんでドスドスと階段へと向かっていく。



「彼女がどこにいるか分かっているの?」


「この時間なら、駅に向かって歩いてるはずだ。俺なら走れば追い付く」


「だったら、そのまま駅まで送ってあげなさい。あと三十分もすれば暗くなってしまうから」


「……お前は?」


「え?」


「迎えの車はどうした?」



 突然なにかと思ったら、なんだ、そんなことか。



「もうすぐ来るわ。今日はお茶のお稽古があるから、時間の調節をしているだけ。ほら、早く行かないと、追い付けなくなってしまうわよ」



 いってらっしゃい。また明日ね、と手を振れば、秋人は「ああ」とぶっきらぼうに返して階段を下りてカフェテリアを出ていった。


 私は物語の舞台であるこの成瑛学園高等部に入学し、秋人と主人公が出会ってからというもの、二人の距離を縮めるため陰日向にサポートをしてきた。でも『宝生寺桜子』の運命を変えるために最も重要なのは、秋人と主人公が付き合うようになったこれからの行動にかかっている。

 例え物語第二部の邪魔者の一人である私がその役目を放棄しても、秋人の両親は『ひまわりを君に』通りの行動をとって二人を別れさせようとするはずだ。

 いくら現時点で未来の嫁発言は頂いていないとは言えど、宝生寺家と壱之宮家がかなり深い仲だという事を考えると、私の意思に関係なく婚約者の座にまつり上げられる可能性がある。宝生寺桜子としても、前世から秋人と主人公カップルの大ファンである私にとっても、それは何としてでも避けておきたい。



「はぁ~、やれやれ……」



 とどのつまり、私こと宝生寺桜子の横恋慕人生を回避する戦いは、これからが本番なのだ。

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