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「それはどうして?」
「最初は、やっぱり変わりたくないって思った。……今がこのまま続けばいいなって。どちらにしろ、もう叶うはずもないのに、実現できないってわかってるのに……それでも思わずにはいられなくてさ」
「思うだけならタダだもんね」
「だから俺は待ってるつもりだった。何年後かわからない。俺がおっさんになってるかもしんないけど、それでも栞里が帰ってくるのをずっと、あの街で待ってるつもりだったんだ」
「うん」
「でもさ、お節介焼きが一人いたんだよな」
「ふふっ、一人だけ心当たりがあるね」
「……そいつに怒られた。追いかけたいなら追いかければいい。それが一番俺らしい行動だろって」
その行動が正解かなんて俺にはわからなかった。でも栞里のことを追いかけたい自分がいて。だというのに最後の一歩が踏み出せなくて。あいつの言葉はたしかに俺の背中を押してくれた。
「ふーん。じゃあ、匠は綾小路くんに行けって言われたから来たんだ?」
それはどこか意地の悪い音色を孕んでいて、のどの奥がきゅっと締まる感覚を覚えた。
「それも違う」
きっかけではあった。綾小路に叱咤激励されて、重くなった足腰は動き出した。
けれど、恋に臆病な俺はそれだけで栞里のもとに駆けつけるほど幼なじみの本音に自信が持てなかった。他の誰よりも近くにいたはずなのに。
「だったら、どうして?」
栞里からの問いかけを受けて、ようやく俺は肩から下げていたショルダーバッグを手に取った。中に入ってるのは年季の入った、すこし土臭いお菓子のアルミ缶。
「あっ……」
「掘り起こしてきた。10年後に掘り起こそうって約束だったけど、ちょっとだけフライングになったけど……俺の分はもうないから栞里の分だけ持ってきた」
「……わたしのが残ってるって、覚えてたんだ?」
ともすれば風にかき消されてしまうような声で栞里はつぶやいた。
「当たり前だろ。幼なじみなんだから」
思い出はいつも色褪せない。過去にすがりつくことで幼なじみとしての関係性を守ってきた俺たちはきっと、10年後も50年後だって今日のことを思い出して笑うのだ。
「匠は何が入ってるか知ってるの?」
「栞里に会いに来る前に確認したからな」
「えっち! すけべ!」
「なんでっ!?」
「女の子の大切なものを勝手に盗み見るなんてしちゃいけないと思います」
「……でも、これがないと……俺は多分、ここまで来れなかったと思う」
バカで、鈍感で。臆病な俺じゃあ、独りきりでは好きな子に好きって言葉すら贈れない。
でも、人のつながりってそういうものなんだと思う。当人だけじゃ成り立たなくて。それを支えてくれる人や事実があって初めて、確かなものになる。
「開けるぞ」
長年土の中で眠っていたタイムカプセルは錆びついていて開けるのも一苦労だ。キィキィ金切り音をあげながらゆっくりと何年も前の欠片が息を吹き返す。
「……ガラクタばっか、だよな」
「……そうだね」
「黄ばんだ文庫本、あやとり、トランプ。当時遊んでたんじゃないかって思えるものが詰まったおもちゃ箱。俺は開けて中身を見たとき、そう勘違いしたんだ」
「うん」
「でも違った。――この中にもう一枚、手紙が入ってたから」
そのたった一枚に答えが記されていた。
俺の忘れていたあの日。栞里の憶えていたあの日。当時の記憶がよみがえってくる。
「中に入ってるものは全部――栞里が切り捨ててきたものだったんだな」
手紙に書かれたことをひも解くと、そうであることが即座にわかった。
最初はお互いのないものを埋めるように、補うように、遊んでいたことも覚えている。けれど、いつからかそうではなくなった。栞里が中の世界に引きこもってしまうことがなくなったから。
栞里は俺の前でめっきり本を読まなくなったし、二人であやとりをすることもなければ、何をするでもなく公園で寝そべるようになった。
手紙に記されていた。
──ずっと一緒にいられますように。
タイムカプセルを埋めた翌日に大雨がふって、一度中身を確認しにいった時。俺が書いた手紙は、グシャグシャになって読めないからと回収したけれど……その際、再び埋め直したときに、それとは別の手紙がタイムカプセルの中に入っていたのだ。
女の子らしい筆跡で書かれた、その言葉がすべてだったんだと思う。
二人でいれば本もいらなかったし、他に何もいらなかった。それだけで十分すぎたから。
「……でもね、そのどれもが無理やり捨てたものじゃなかったよ。いつの間にか必要じゃなくなってしまっただけ。本を読むより、あやとりをするより、トランプをするより、もっと楽しいことを見つけちゃっただけだから」
「……」
「それに、本当に捨てたくないものは──ちゃんと文字にして入れておいたから」
にっこりと笑顔をうかべてそう言われると脈打つ速度が速くなる。いい気持ちに酔いしれてる暇はない。まだ言わないといけないことが残ってるから。
「……栞里さ、春先に英語の補習をうけることになったことがあったじゃん」
「――Too late」
長い付き合いをしてきた。俺の訊きたいことも全てお見通しなのだろう。先回りするように英語で答えてくれた。
「それ、そういう意味だって受け取っていいんだよな?」
「そういう意味って? ちゃんと言ってくんないとわかんないよ匠」
言葉に言葉を重ねなくても、それだけで自分の真意をくみ取る幼なじみ。そして、互いが互いの一番の理解者。
なんて綺麗な言葉なんだろうか。自分よりも自分を理解してくれる人がいて、何も言わなくてもわかってくれる。けれど、そんなものは幻だ。言わなかったことで伝わることがあるのならそれは自分の中で築き上げた理想にすぎない。
だから、
「俺が栞里のことを好きなのと同じように。――栞里も俺のことが好きなんだって、信じていいか?」
今日も人は顔を合わせて言葉を交わすのだろう。小っ恥ずかしいセリフも臆することなく伝えるのだろう。
「それこそ『Too late〈すごくおそいよ〉』、でしょ?」
【ねぇ、ここはこれで合ってる?】
【……ん、どこだ?】
【――『Why did you return here?〈どうして戻ってきたの?〉』】
【……まちがってる。これのどこに不定詞があるんだよ?】
【やっぱりー? わたしもそんな気がしてたんだよねー】
【サービスだ。俺が書き換えとくよ】
【あ、なんて書いたのか見せてよ!】
【だ、だめだ】
【イタズラ書きしたんでしょ! 先生に怒られるのわたしなんだから!】
――あの日。最後に俺が書き換えた英文は『I’d like to tell you』というもの。伝えたいことがあったから戻ってきた。あれは栞里の疑問に対する答えだった。
あのときのテスト用紙も、俺たちが埋めたタイムカプセルの中に入っていた。これが意味することは、栞里は町を離れる前に一度あのタイムカプセルを掘り返しているということだ。
それはどうしてか──いいや。それこそ、きっと理解できる者だけが理解すればいいことなんだろう。
今の同じやり取りは、補習を受ける栞里の様子を見にいったあの時とは違う。『ごめん』という一言とは別の……もっと大きな意味合いが含まれているのだから。
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