6

「んーっ……! ……はぁーあ……」



田舎の新鮮な空気を吸い込んで、私は目いっぱい伸びをする。


――あの町を去ってから二週間が経った。新しい環境にようやく慣れてきたこともあって、近頃ではあそこにいた時のことをよく思い出す。


思い出の詰まった公園。喧噪の絶えなかった学園。夏祭りに体育祭に学園祭。


直近のことが脳裏をよぎるのは、いつも傍にいる人がいないからなのかもしれない。


匠とは小さい頃からずっと一緒だった。あの日、匠に外の世界に連れ出されたその日から、いつも隣にはわたしより少しだけ大きな影がその形を落としていた。


晴れた日も、雨の日も。風の強い日だって。わたしたちはまるで互いが半身であるかのように、毎日飽きもせずに同じ足跡をつくりつづけてきた。


……思い出すだけで胸がほっこりする。年を重ねるごとに不器用になっていく匠の姿なんかを想像した日には、きっと一日中にまにま頬が緩むに違いない。


そんな匠の様子がおかしくなったのは……冬の香りが風に漂い始めたある日のことだった。


長い付き合いだ。接し方にぎこちなさを感じたことなんて、出会って間もなかった頃の幼い記憶の中にしかない。


だというのに、その時の匠の調子は明らかにおかしかった。どこかよそよそしい話し方をするなと思えば、なんだかわたしを避けるような態度を見せるし、次の瞬間には顔を真っ赤にして硬直したり、はっきり言って変だった。


でも、理由はなんとなくわかってる。きっと、匠はわたしのことを──



「やーっと見つけたぞ」



やだなぁ、匠の声が聞こえる。そんなはずがないのに。こんな場所で会えるわけもないのに。空耳だろうか。



「――栞里?」



なんて。他でもない匠の声を、二度も聞きまちがえるわけがない。



「……匠……?」







「……匠……?」



その声を聞いたのはたった二週間前だというのに、ひどく懐かしく感じた。



「よっ、ひさしぶり」



何年も付き合ってきたのに、たったの二週間離れただけでどんな風に声をかけていたかを忘れていることに気づいておかしくなった。



「どうして……」


「幼なじみを探すのは幼なじみの役目だからな」


「……バカだよ、たくみは本当にバカだ」



呆れたように嘆息する栞里を見て、俺は一度だけぎゅっと拳に力を込める。


辺りには俺たち以外、一面の田んぼしかなくて。だからこそ、俺はこの胸のうちを……自分の気持ちってやつを、今から遠慮なくさらけ出すことができる。



「……何も言わずに出ていくのはあんまりだと思うんだよな。よくよく考えたら、俺たち連絡先も交換してなかったし」


「仕方ないよ。だってずっと近くにいたんだから」



そう言って栞里は優しい笑顔を浮かべた。



「それより、どうしてここがわかったの?」


「栞里のご両親がさ、俺の母親に引っ越し先言っておいてくれたんだよ。だとしても結構な距離あったけどな……おまけに学校もサボっちまったし」



言ってから、俺は栞里と同じように笑った。栞里は見たことのない制服を着ている。きっと新しい学校の制服で、今はその帰りだったのだろう。



「こっちでの生活はどうなんだ?」


「えっとね。……って、匠はそんなことを聞くためにこんなところまできたの?」


「違うよ」



どもることなく、慌てることもなく返すことができたと思う。


胸の中にはいまだにいろんな気持ちが溢れている。どうして引っ越してしまったんだとか。いなくなってからの毎日の話をしたいとか、聞きたいとか。たくさんあるんだ。


それでも、俺が伝えておかないといけないことはたったひとつなんだってことに、もう気づいてしまったから。



「栞里に好きだって。これからもずっと一緒にいたいって、もう一度ちゃんと言葉に出して伝えにきた」


「うん」


「驚かないんだな」


「ずっと知ってたしね」



そうか、ずっと知ってたか。さて、次の言葉はと──



「って、うえええええええっ!?」



俺は動揺せずにはいられなかった。



「えっ、いつ? いつから? いつ気づいたわけ?」


「いつって言われても難しいけど……ずっと前、かな? 引っ越す直前にもなんか匠おかしくなってたし『あ、やっと気づいたんだ』って思ったりしたくらいかなぁ」


「ええぇ……」



思ったりしたくらいかなぁって何だかちょっと軽くないですかね……いや、俺が重く受け止めすぎてただけ? あの無駄にいじけてくすぶってた時間はなに?


待て、そういえば綾小路にも君が考えすぎなのさとか言われなかったっけ。



「……かえりたい」


「それで。匠は何しにきたの?」



ちょー笑顔だった。もう弾けんばかりのヒマワリ級の笑顔。


嫌みかよって思う反面、やっぱりかわいいなって思ってしまうのは惚れた弱みなんだろうな。



「……栞里に好きだって。これからもずっと一緒にいたいって……もう一度ちゃんと言葉に出して伝えにきた」



最初からやり直しだ。どれだけ泥臭くなっても、どこかの誰かが笑ったとしても。俺はこのうるさいくらいに鳴り止まない気持ちをこうやって何度も吐き出すだけだ。



「わーすごいたのしみだなぁー」



ノってくれるならその大根芝居やめろぉ!



「……俺と栞里って、幼なじみじゃん」


「そうだね」


「小っこい頃からずっと一緒にいて、一緒にいない時間の方が少ないくらいで、それで好きとか嫌いとかよくわかんねーよって思ってた」



俺たちの距離は近すぎたのだ。近くて、近くて。誰よりも近い存在だったのに、あと一歩絶対に縮まない隙間を残しておいたから俺たちは幼なじみでいれた。



「そんな俺たちの関係が動き出したのは、学祭の時のアレ……あとは体育祭のあとのアレなんかが原因だった」


「ちゅーだね」



ぼかしてるんだからストレートに言うのやめて! 思い出して恥ずかしくなっちゃうから!



「こほんっ。……あれで完全にリズムを崩された俺はそれはもうテンパったよ。動揺して、本来していたはずの接し方もすっかり忘れてさ」


「でも、そういう出来事も含めて、全部乗り越えて――最終的に、匠はこうしてわたしに会いに来てくれた」



栞里は俺の言葉を遮るようにして今の俺たちの距離を示した。


あのとき離れてしまった距離も今では元通りになった。それでも、これで終わりにする気はない。そのために俺はここまで来たんだから。

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