3

俺たちは公園に戻ってきていた。


途中までは姿を見せていた夕日も、今は山の向こうに消えてしまっていた。いつも鬱陶しいくらいに話しかけてくる綾小路も、なぜか今だけは口を閉ざして涼しげな顔でだんまりを決め込んでいる。


きっと、俺の覚えた違和感をなんとなしに察したのだろう。



「なあ、昔話をしていいか?」



――だったら俺も、少しくらいそれに甘えさせてもらってもいいだろう。



「もちろんだとも」



綾小路はまるで待っていたかのように肯定の言葉を口にした。



「……話したかもしんないけど……俺と栞里ってマンガやアニメによくある生まれた時から一緒のベタベタな幼なじみじゃないんだよな」


「たしか栞里さんが引っ越してきたと聞いた覚えはあるね。あと、そんな彼女を引っ張り出したのが君だと」


「そうそう。……俺は根っからのアウトドアでさ、栞里はその時はインドアで。まるっきり正反対なんだよ。でもさ、ばーちゃん言ってたろ?」


「なるほど。つまり、栞里さんと出会う前の君はよくあそこに通っていたと」


「たぶん、な」



人生は手に入れて、捨てての繰り返しだ。何かを守るためには何かを差し出さなきゃいけないのが世の摂理だと理解できる程度には、その頃の俺は大きかった。


――だからこそ、俺は栞里を選んだんだ。



「みんなで遊ぶという選択肢はなかったのかい?」



それは鋭い指摘だった。


大人の付き合いなら決して綺麗事だけじゃ済まない。人と人のつながりの裏にはお金や権力が絡むことも少なくない。打算の関係。利益の追求。


だったら、子供は純真で清らかかというとそうでもない。いいや――綺麗すぎるんだ。誰よりもまっすぐで正直者なのは子供だから。人を突き放すときに遠慮がないとどうなるか。そんなことは言うまでもないのだ。



「きっと色々あったんだろうな……だからこそ、俺は小さいときにつるんでた奴らのことを憶えてないし、思い出そうともしないんだろうさ」


「色々……か。きっとその中には、栞里さんとの記憶もあるんだろうね」



あるさ。けど、そいつは別に思い出すほどのことでもない。誰もが経験したことのあるような、幼い頃の些細なエピソードだけ。



「で、君はどうするつもりだい?」


「……何がだ?」


「人生は長くて険しい道さ。筋肉トレーニングひとつ取ってさえ奥が深い。だから途中で転んでしまうこともあれば、座り込んでしまうことだってあると思うんだ」


「………」


「あれから一週間が経った。――君は、いつ起き上がるんだい?」



息が詰まった。べつに責められたわけじゃない。ただ問いかけられただけなのに心臓の鐘はうるさいくらいに騒ぎだす。



「……起き上がるも何も、俺はあいつを待つだけだ」




【いつかわたしがこの場所にもどってきて、匠の前に現れたら。……その時は、もう一度……わたしの手を取ってくれる――?】




栞里からの最後の言葉が頭の中で何度も木霊する。そうだ。俺たちは間違ってなんていない。俺はあいつの帰ってくる場所になってやらなきゃいけないんだ。



「本当に、それでいいのかい?」


「……仕方ないだろっ! 他に選択肢なんて、ないんだからっ!」



どうにもできないことを掘り返されるのは腹が立つ。それゆえに、俺は我慢できずに綾小路に噛みついてしまう。だってしかたないだろ……引っ越してしまったんだから。時間は巻き戻せない。俺には待ってやることしかできない。



「あるじゃないか」


「……えっ?」


「いちばん頭の悪くて、直情的で、君らしい選択が」



綾小路の言わんとしてることが理解できなかった。俺の選択は栞里が笑顔で帰ってくるのを待って、温かく迎え入れてやることだけ。それ以外に何があるんだよ。



「──彼女を追いかけるという選択さ」


「ばっ……!」



バカじゃないのかと言いかけて、そのあとゆっくりと唇は静止する。


そのありえない理想が魅力的だと心のどこかで思ってしまったからだ。それができたらどれほどいいか。


もし追いかけることが許されるなら、やり直すことができるというのなら。俺は何度だってあいつに言ってやろう。



──何よりも、お前が好きだって。お前とずっと一緒にいたいって。



けれど、時間は取り戻せない。いつかの選択だって取り戻せない。


そんなことは、痛いくらいわかってるんだ……っ。



「どうして諦める必要がある? 好きなのだろう? 一緒にいたいのだろう? 追いかける理由なんてそれで十分じゃないか」



言うのは簡単だ。気づいて、考えついて、それを相手にそそのかすことは誰にだってできる。


けど、当事者はそうじゃない。



「学校のことを気にしているのなら問題ない。僕に任せておけ」


「……いか、ない」


「それで、いいのかい?」


「俺の決断だ」


「いいかい、親友。――変わらないものなんて、ないんだ」


「……ああ、そうだ」



街は変わっていく。古いものは淘汰され、新しいものが享受されていく。それは人が人として生きていく限り逃れられない定めだ。そんなことはわかりきっている。


でも──変わらないものだってある。人の温かさは変わらない。いつだって甘ったるいくらいに優しい街がここにはある。あいつの帰ってくる場所を温かいものにするのは俺の使命だ。


思い出だって変わらない。同じ時間を過ごした場所は形を変えるかもしれないけれど、心に刻み込んだ記憶は姿を変えない。今も胸の中に刻み込まれてる。


だったら、だ。


何もかもが変わってしまうのだとしても。



「それなら俺が……変わらないものをつくればいい――」



俺はあいつを待ちつづけなきゃならない。だって、それがあいつの求める俺だから。そして、俺が望む俺だからだ。そこだけは“変えちゃ”いけない。


もし変わらない関係性がないというのなら、つくればいい。誰がどう干渉してきても変わらない関係性を。


俺と栞里の距離は確かに近かった。春には一緒に遅刻をして、夏には一緒に花火を見て、秋にはもっと近づいた。そんな俺たちだけの関係性を守るために、俺はここで栞里のことを待っていてやらなきゃいけない。



「それは違う」



けれど、綾小路はやさしくそれを否定をした。



「……どこが?」


「それじゃあ君は一人ぼっちだ」


「……っ」


「そんなことは彼女が望まない。僕でもわかるんだ、君にわからないはずがないだろう」



綾小路にしては珍しく荒げた言葉で返された。いつものクールにきめたすまし顔が見当たらない。俺は何をまちがえた?



「そのやり方では、変わりゆく世界の中で君だけが取り残されてしまう。そんなことはこの僕が許さない」


「じゃあ……栞里にこっちに来てくれって。幼なじみっていう変わらない関係を続けるためにこっちに来てくれって、それを言うためだけに会いに行けっていうのか?」


「それは君が決めることだ」


「おまっ……」



ふざけるなと言いたかった。関係もないのに話に割り込んできて、頭の中をぐちゃぐちゃにしてきて手を差し出してきたと思えば俺の手は払いのけて。綾小路のしたいことがまるで見えてこない。



「変わることは、そんなにいけないことかい?」


「そうだよ」


「君は後悔しているんだ。あの日、彼らではなく栞里さんを選んだことを」


「なっ……!」


「離れることになって。手だけじゃない、声だって届かない場所に彼女が行ってしまって。こんなつらい思いをするくらいだったら――彼女と仲良くなるべきではなかったと」



――何も言い返せなかった。言いたいことが山のようにあって。反論したいことが海のようにあるのに。


俺の唇は重く閉ざされたまま、動き出す素振りはまだない。

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