春夏秋冬〈エピローグ〉

1

【──身についた習慣はいずれ生まれつきの性質にもなるらしい】




以前より少しだけ広くなったベッド。その代わりに少しだけ冷たくなった布団。ここのところ寝つきが悪くなった。




【──大事なことは相手が話を聞く気のあるときに言った方がいいらしい】




本当にそうだろうか。言わなかったことで、口にするのが遅かったせいで確定する未来を嘆くことになっても、まだそのようなことが言えるのだろうか。




【──祇園精舎の鐘の声には同じところに留まることはないという響きがあるらしい】




おかしい。俺たちが耳にしたのは除夜の鐘の音だけではなかったろうか。




【──後悔先に立たず】







そして。悔やんでからでは何もかもが遅いことを……俺は知った。







「わが親友よ、筋トレをしよう」


「……は?」



公園で黄昏ていると、目の前に立つ綾小路がいきなりそう提案してきた。


本当はスルーしたかったけど、わざわざ休日の朝にこいつと外に出ているのは他でもない事実なので、ひとまず俺は思考するのを諦め、続く綾小路の言葉を待つことにする。



「思い悩んだときは筋トレをするものだと相場が決まっていると聞いたことがある」


「どこの相場だよ」


「ふっ、ふっ」


「って勝手にはじめてるし!?」



綾小路は俺の話も聞かないうちから鉄棒で懸垂を始めて自慢の筋肉を披露しだした。はっきり言って同類だと思われたくはない。



「思い悩んだときっていうか、結局はお前がしたかっただけだろ……」


「ふっ、ふっ、はひっ、そうとも、言うっ!」



なんか顔色が怪しくなってきたように見えるけど気のせいだよね?



「……俺はどうすべきだったんだと思う?」



ベンチに座ったまま、俺は懸垂を続ける綾小路に向かって問いを投げかける。


――俺とあいつの間には幼なじみだという確かな関係性があった。それは他の人にはわからない当人たちだけの絆だ。


だからこそ、こんな結末だったのではなかろうか。目には見えなくて。あるのかもわからなくて。もしも、俺たちの間に『恋人』という目に見える関係性があったのなら……答えは変わっていたのだろうか。



「ふぅぁっ、へぇぁっ……ぅっ(ガクッ」



って、やっぱ気のせいじゃなかったァ!






「いやお前ほんと体力なさすぎだろ」


「ふっ、いつも迷惑をかける」



いや謝るくらいなら体力つけてくださいお願いします。



「やっぱりその筋肉は見かけ倒しなのか?」


「な、なにをぅ!?」



歩きなれた通学路は休日ということもあって人通りが少ない。


密集した住宅街を毎日のように歩いたもう一人の誰かの残り香は、あれから二週間が過ぎたくらいじゃ消えてなくなってはくれなかった。



「……ま、とうぜんだよな」


「栞里さんのことかい?」


「いや、お前の筋肉のこと」


「な、なにをぅ!?」



こいつの存在にはいつも助けられてる気がする。俺とあいつの関係をいちばん近くで見てきたのは他でもないこいつだから。



「いいかい、僕は今を精一杯生きているのさ。昨日のことは忘れ、明日のことも考えずただ今この瞬間にすべてを賭けているだけなんだ。周りは苦労するかもしれない。けれど、僕は不器用なんだから仕方がないと言えよう」


「それ不器用じゃなくて厚かましいの間違いだからな?」


「そうとも言う」


「いや、自覚あるんなら直せよ!?」


「それよりも今の方がよほど大事だからね」


「おまえという奴は……」



──今が大事。


けれど、その言葉は見習わなければいけないのかもしれない。俺はいつだって自分を守ってばかりいたから。


振られたら今の関係すら保てなくなるとか、栞里はどう思っているのだろうとか。浮かぶのは言い訳ばかりで、俺は自分の中に根を生やした感情から逃げてばかりだった。


別れ際のやり取りを思い出してもそうだ。あいつは──栞里は、俺からの言葉を待っていたのだろうか。


好きだって。ずっと一緒にいたいって。


幼稚で、不恰好で、稚拙な愛の言葉を待っていたのだろうか。



「わが親友よ。ひとつだけいいかい?」



指を立てて真剣なまなざしで綾小路は問いかけてくる。



「どうした?」



栞里へと行動を起こすときにアレコレと助言してくれたのは他でもないこの男だった。いまだに辛気臭く悩んでいる俺に対して何かしら言いたいことがあるのかもしれない。



「駄菓子屋に寄ってもいいかい?」


「めっちゃどうでもよかった!」

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