18

人の波が徐々に増えていくのが、見て取るようにわかった。


目当ての時刻が刻一刻と近づいているからだ。ちなみに綾小路から連絡はまだない。



「栞里、少しだけここで待っててくれ。すぐ戻ってくるから」


「? うんわかった、それじゃあこの辺にいるね」



俺の言葉に返事をして、休憩所近くの看板横に立つ栞里。


その手には抱え込むようにして、ベビーカステラの袋が鎮座している。


結局ガマンできなかったのか、なんて野暮なことは言わなかった。この寒さだ。甘酒一杯半とベビーカステラなんて、すぐにエネルギーとなって消費されるだろう。



「そういや、たこ焼きもあったな」



ちょうど俺の姿が見えないように栞里との距離を調節しつつ、ある程度離れてから電話をかける。



「出ない……ったく、いくらなんでも遅すぎだろ。さすがに栞里のやつも怪しむぞ」



なんて、いつまでたっても来ない今回の首謀者にむけて愚痴をこぼしていると、



「ん? あれ、栞里……?」



ちょうどこの位置からぎりぎり見えていた栞里の姿が、いつの間にかなくなっていた。



「くそっ、待ってろって言ったのに……」



人ごみをかきわけ、急いで栞里の元いた場所に向かう。


……看板横にちょこんと立っていた姿が、どこを探しても見当たらない。


この人の数だ。文字通り人波にのまれて、もしかしたら参拝場所まで流されていってしまったのかもしれない。



「電話は……やっぱ出ないか。くそっ、この人の多さで、一体どうやって見つければいいん……」



とその時。今までどこの誰にもつながることのなかった電話が、ポケットの中でいきなり勢いよく震えだした。


はやる気持ちを隠すことなく携帯を取り出し、あわてて通話ボタンをタップする。



『やぁ、首尾はどうだろうかわが親友よ』


「……」



首謀者による、まるっきりタイミングの悪すぎる言葉が、俺のはやる気持ちを一瞬にして無にさせた。







『なるほど、それは非常に間の悪いことをした。許してくれ我が親友よ』


「いや……別に怒ってるわけじゃないから謝ることないけど」



そもそも俺が電話をかけたのは、綾小路が先だったんだ。だからかけ直してくる順番としては、こっちの方が正しい。


なにもかもタイミングが悪かっただけだ。そう、悪すぎただけ。



「てかお前、今どこにいるんだ? いつまで経っても来ないし、いくらなんでも遅すぎだろ。栞里も不思議に思ってたぞ」


『すまない……実はやむにやまれぬ事情があってね。これから向かおうと思っていたところなのだが……』


「やむにやまれぬ事情?」


『……』



綾小路は電話越しに息をのむと、やがて重々しい口調で語り始めた。



『カタ抜きにね、没頭していたんだ』


「は? なんだって?」


『だからカタ抜きさ。……まさか年末の、こんな時間にカタ抜きを出しているところがあるとは思わなくてね。いささか子供心をくすぐられてしまった』


「……」


『待て。電話を切ろうとせず、あと少しだけ僕の話を聞いてくれわが親友よ』



ちっ、気づかれたか。


しかし綾小路は言いたいことがあるようで、なんとか俺が電話を切らないように必死に懇願してくる。



『カタ抜きの件に関しては、子供心とアート心を同時に揺り動かされた僕の不徳の致すところ。……だが僕がいなくても、結局のところ君たちは上手くやれているようだ。ここで変に僕が介入しては、その絶妙なバランスを崩してしまうに違いない』


「……まぁ、バランスうんぬんはともかくとして、上手くやれてるってのは否定しないが……」



それならそれで、もっと早くに連絡してくれれば、このタイミングで電話をかけることもなかったのに。


いや……むしろ俺が電話をかけたからこのタイミングになったのか。ほんと間が悪いよな、これじゃまるっきり急がば回れの真逆だ。



「そうだ、こんな話をしてる場合じゃなかった。とにかく、その件に関してはもうわかったから……お前のほうからも一度、栞里に電話をかけてみてくれないか? そろそろ回線も混雑する時間だろうし、なるべく早く頼む」



今の時点で若干、綾小路の声が聴き取りづらいっていうのに、これが年が明けてしまったら、もはや携帯はただの文鎮となり果ててしまうだろう。


年明けまで、あと数十分は猶予がある。綾小路との合流はもう考慮しなくていいとして、それまでに、なんとか栞里を見つけ出すことができればいいんだが……。



『む? わが親友よ、もしかして栞里さんになにかあったのか? ずいぶんとあわてている物言いだが』


「ああ、実は……」



栞里とはぐれてしまった事を説明しようと、俺が言葉を紡ぎかけたところで、



『おかしいな……ならば、つい今さっき見かけた栞里さんの姿は僕の見間違いだったのだろうか。いや、そんなはずはない。あの後姿は間違いなく栞里さんだった。一番の親友だと自負している僕が、君たちの姿を見間違えるはずがない』


「……え? お前、今なんて……」



なんて? と、綾小路はなぜか俺の言葉を反復する。



『カタ抜きをしていたら、目端に栞里さんの姿を捉えたのでね。方向的にもそうだったから、てっきりトイレにでもいったのかと思っていたんだ。しかしそうではなかったのか?』


「……」



……綾小路がいたのはカタ抜き屋。そして、俺たちはこの神社に来てすぐ、同じように出店が連なる場所でたこ焼きを買った。


そして、それらの出店は神社の入り口付近にしか展開していない。今俺がいるのは神社の中。もちろん、栞里はここにはいない。


なぜなら、目撃証言はここではなく、出店近くだから。



『どうした? まさか僕の考えてる以上に、事態は深刻だということだろうか? なんということだ……これでは君たちに顔向けができない。ただでさえ、ここ最近は電話ばかりで、自らの裸体を見せていないというのに……』


「……いや。夏祭りの時と違って、今度は十分顔向けできてる。だから裸体は見せなくていい。サンキュな、頑張るわ俺」


『ふむ……?』



よくわかってないように首をかしげる綾小路の姿が頭の中に浮かび、俺はもう一度礼を言ってから電話を切る。


駆けようと、一歩前に足を踏み出す。しかし数歩進んだところで、人の壁にはばまれてしまった。


規則正しく流れる人の川は、俺の進行方向とは逆に向かっている。だからこそ、俺は必死にもがかないといけない。


あと少しで訪れる、『年明け』という名の区切り。


その区切りの前に、俺は今年やり残したことを。


気づいてしまった、この好きっていう抑えようのない気持ちを――今年中に清算しなくちゃいけないから。

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