8
――冬の夕焼けは、四季の中でもとびきり綺麗だ。
空気が澄んでるからか、紅に染まる空は、まるで本当に燃えているみたいに目に映る。
小さい頃はあの空を見て若干の不安を覚えたりしたが、今じゃこうして趣を感じるくらいには俺も大人になったんだなと、ふとそんな背伸びしたことを考えてしまった。
「思わずいっぱい買っちゃったね。荷物重くない? わたしも持とうか?」
「いや……大丈夫。このくらい余裕だって余裕」
俺の両手には、デパートで買い込んだ大量の食材が入った袋が掛かっている。
結局、今日した買い物といえばこれくらいで、俺も栞里も、他に特に買った物はなかった。
別に金がないとかそういうのではなかったが、4時前にはデパートを出て、今は二人、こうして帰路についている。
「……なぁ栞里」
「なに?」
「……本当に今日、何も買わないで良かったのか? 俺の方は色々見て回っただけでよかったけど、本当は何かほしかったんじゃないか?」
栞里はううん、と返事をしながら、自分の両手のひらを顔の前で絡めて伸ばしてみせた。
「わたしも見て回るだけで満足だったから。言ったでしょ? 今日は匠と一緒ってことを大事にしたいって。――その目的は達成できたから、それでいいの」
「……そっか」
まぁ、なんだかんだで、俺の方も栞里とたくさん話すことができたし……今日の買い物に誘うという行為は、一応の成功を見たということでいいのだろうか。
最近の栞里とのちぐはぐな距離感をどうにかする、というのがこの買い物での俺の目的だったが、それに関しては正直、達成できたとは言いがたい。
だけど……今はそれでもいいんじゃないかと思えてきた。
結局のところ、俺の気持ちは俺自身でどうにかするしかないんだから。変に事を急いでしまえば、どうにかなるものもならなくなる。
「……栞里は」
「うん? どしたの匠?」
「いや、なんでもない。早く帰ろう。この時期はすぐ辺りが暗くなるからな」
栞里がここ最近の俺の事をどう思っているか……それが気にならないと言えば嘘になる。
でも、俺と一緒だということを大事にしたいと、栞里がそう言ってくれてるなら。とりあえず他に答えはいらないんじゃないか。
足踏みはしてるけど、決して後ろに下がってるわけじゃない。
なら、これから少しずつでもいいから、前に進んでいけばいい。
気づけば一緒になって、その小さな歩幅を自分の歩幅を合わせてくれている……そんな子が、俺の隣にいる限り。
「……あれ?」
と、そこでとある場所が視界に映り――歩みだそうとしていた俺の足が、まるで木々の根っこのように地面に固定された。
「? たくみ、急に立ち止まってどうかした?」
「いや……」
いつもの見慣れた場所。だが見慣れたはずなのに、どこか妙な懐かしさを覚えて、俺は先に見えるその場所を視界に収め続ける。
――坂ノ上公園。
そう書かれたプレートは、ところどころ塗装が剥げていて、その公園のいかにもな年季の入り具合をよく表していた。
「あ、いつのまにかこんなところに来てたんだ。通学路とは真逆だから、最近はこの辺を通ることもなかったんだけど……」
言いながら、栞里は俺を追い越して公園まで近づいていく。
それに続いて、俺も公園の入り口付近まで歩を進めた。
「ほら見て見てっ、たくみ」
栞里が指差した先を目で追うと、時代錯誤のやんちゃな子供たちが、何人かで鬼ごっこのようなものをしているのが見えた。
この寒さの中、よく公園なんかで走り回れるな……いや、あんだけ走っていれば、もう寒さなんかほとんど感じることもないんだろうけど。
「みんな元気だねぇ……さすがのわたしも、あんな元気はもう出ないよ。これが歳を取るってことなんだね、時の流れってなんて残酷なんだろ」
「まだろくに細胞分裂の数もこなしてないやつが一体何を言ってるんだ」
ひとまず買い物袋を地面に置いて、俺はあらためて公園全体を見渡す。
最後に来たのは……たしか夏祭りの時だったか。
普段は栞里の言うとおり、用事もないからここに来ることもなかったけど、今日は遠出をしたから、たまたま帰りにこの公園前の道を通ることになった。
さらに言えば、この時期は陽が落ちるのが早いという理由で、無意識にこの公園を近道として利用しようと思ったのも――あるいは、偶然という名の必然というやつなのかもしれない。
「……ここは昔と何も変わらないよな」
「なにもって?」
こちらに振り返り、栞里は俺の視線を追うようにして、公園を端から端まで観察した。
滑り台やジャングルジムといった、公園ではおなじみの遊具たち。
この位置からではよく見えないが、確かあそこらへんに隠れるようにしてブランコがあるんだよな。前来たときは夜だったからわからなかったけど、今も撤去されずにそこにあるんだろうか。
「……うん、なにも変わってない。ここは今でもあの頃のまま、変わる必要なんてないってくらいにそのままの場所なんだね」
ぽつりと、遠い過去に思いを馳せるように栞里は呟く。
変わる必要のない、そして時間に取り残された場所。
今もなお、変わらずそこにあり続ける思い出の場所は、ひとたび思い返せば、一瞬でその景色に色彩がかかる。
あの頃。俺がまだ栞里との距離感をはかっていた時に……はたして俺は、なにを考えて行動していたのだろうか。
「……いや、なにも考えてなかったなそういえば」
「なにも考えてなかったの?」
さも当然のように反応してくる栞里だが、俺がなんの話をしてるのかはおそらく理解していないだろう。
それでも俺は、独り言からはじまったその自己満足のような話を続けて、
「俺って、昔はすごいバカな子供だったからさ。同い年の女子との接し方ってやつを、多分、他の男子以上によくわかってなかったんだと思う。なんか別の生き物みたいに感じてたっていうか……まぁ、そういうのも子供特有の感覚ってやつなんだろうけど」
「……」
「それでも俺が栞里を遊びに誘おうと思ったのは、きっと何も考えてなかったからなんだ。例えると、そうだな……カブトムシをさわったことのなかったやつが、実際さわってみると案外どうってことなかったみたいな感じだ。最初の一歩さえ踏み出すことができれば、人ってのはあとは大抵どうにかできるものなんだよ」
失礼な例えだとも思ったが、そう思ったのは事実なのでそれを偽ることはできなかった。
「でもそれってさ、今になって考えるとすごい事だな……とも思う。大事なことを深く考えずになんとかしようとするのは――これから先、多分もうできないことだろうし」
――子供の頃はなにも書かれていないメモ用紙のように、ただ白紙が続くだけの自分が嫌だった。
だから、なにも考えずに書き殴った。学校の事、遊ぶ事、隣の住んでいる同い年の女の子を遊びに誘う事。
自分がしたいからそうしたのに……今となっては、その今まで書いてきたメモを経験として、自分自身に言い聞かせる事しかできないから。
「……匠は」
「え?」
「なにかが変わってしまうことが、こわいの?」
「……」
自己満足のような、ではなく。ただの自己満足に他ならない俺の語りを自分なりの解釈で受け止めた栞里は、俺にそんな問いを投げかける。
「……ああ、怖い。自分が今まで当たり前だと思っていたことが、変わってしまうのが怖い」
俺は寸分の間違いもないその解釈に答え合わせをして、地面に置いたままだった買い物袋を今一度持ち直す。
そしていつもみたいに、やさしく笑顔を浮かべる栞里の目を見て、
「でも、今こうして一緒にいるってことを、当たり前に感じれるのなら。もしいつか変わる時が来ても、この公園みたいに大事なものだけはずっと変わらずにいられればいいって……俺はそう思う。――そう思いたい」
「……うん、そうだね。わたしも、そうあればいいって思う」
自分でも何を言ってるのかよくわからなかった。
ただ、これだけは確実に言える。
俺は栞里とずっと一緒にいたい。たとえどんな関係だとしても、こんな風に全部わかってるみたいに笑うこいつの笑顔を……いつまでも見ていたいって、そう思うから。
だから、今はその笑顔だけで。――それだけで十分だった。
「あ、そういえば」
「どうした?」
話を終えて公園から去ろうとした時、いきなり栞里が気づいたように立ち止まる。
「あそこの公園の木の下に、昔タイムカプセル埋めたよね? でも次の日に大雨ふっちゃって、中に入れてた未来への自分の手紙が見るも無残な姿になってたっけ」
「……そんな地味に苦い思い出は変わらず憶えてなくていい」
俺と栞里は黒と深青が混ざりあった空の下、並んで家路を辿る。
とりとめもない、さして重要でもない。自分たちが話したいことを、ただ話しながら。
――――……なんだ。やっぱいつも通りできてんじゃん、俺。
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