冬編〈winter〉

1

――俺が栞里とはじめて会ったのは……栞里の家族がこの街に引っ越してきた時だった。


お隣さんということであいさつに来た栞里の親父さんとお袋さんは、あの頃から何も変わらない。雰囲気からやさしさが伝わるような、そういう人たちだったことをよく覚えている。


だが頻繁に外の遊びに出るようなやんちゃ坊主だった俺は、彼らとまともに目を合わすことができなかった。


子供の心理として、大人と話すのは緊張するというのも理由のひとつだろう。小学校低学年の時だったから、尚更その傾向は強かった。


――しかし。俺以外にももう一人、その場の空気に混じれず、自分の親の背後に隠れているやつがいた。


そいつは、背中に隠れられて困った顔をする父親の後ろから少しだけ顔を出して、伺うように俺の事を見ていた。


そして互いに目が合って、ふたり同時に目を背けた瞬間……俺は瞬間的にあることを思った。


……コイツとは気が合わない。多分、友達になれないタイプだ……と。


今になって考えても、俺と栞里の邂逅は失敗にもほどがあったと言わざるを得ない。


もしあの後、俺がリアクションを起こしていなければ、俺と栞里の関係は、特になんの接点もないただのお隣さんで終わっていたことだろう。


単純な感情。ただの思いつき。


家にこもりがちだった栞里を、俺がそういった子供特有の感覚で連れ出したというのなら。今の俺は、その当時の俺に、多大な感謝をしなければならない。


せっかくだし、あいつも遊びに誘ってみようという――それだけで、特に他になにも考えなかった、子供の頃の俺に。







「……」



目を開いて、部屋を見回す。


とりあえず、自分が布団を深くかぶっていることだけはわかった。理由は簡単、寒いからである。


枕元の携帯を見ると、時刻は朝の6時前。学校があるとはいえ、部活にも入っていない俺はまだ寝ててもいい時間だ。



「なんでこんな時間に目が覚めて……ん?」



ふと違和感を感じて体を動かすと、なにか物に触れる感覚があった。


固いと言えば固いし、その上、ほのかに柔らかさも感じる。それに心なしか、いい匂いと温かみも感じられて……。



「……すぅ……すぴー……」


「……」


「……むにゃむにゃ。たくみ……? だからそこはさわっちゃだめだって、何度もそう言って……」


「って、どこぞのハプニングシーンかっ!」



驚きよりも先につっこみが出た。常日頃の成果のおかげである。



「ん~……どしたのたくみ~? もう朝ごはんの時間~?」


「俺はまだ寝ててもいい時間だが、お前は俺の布団から出る時間だ!」



豪快に布団を引っ張り上げる。


が、びくともしない。



「もー……女の子の寝てるところを邪魔するなんて、匠にはデリカシーってものがないの?」


「他人の布団に潜り込むお前に、デリカシーを諭される謂れはない」


「またそんな難しい言い方をして……。たくみ? わたしはあなたを、そんなひねくれた子に育てた覚えはありませんよ?」


(こっ、こいつは……)



まだ起きてすぐなので、あいにくと言い返す元気はなかった。つっこみは別だが。



「ていうかさ、布団の外にいると寒くない? 遠慮しないで、匠もわたしと一緒に布団かぶればいいのに」


「……」


「ん? どうかしたの? 急に黙りこんじゃって」


「なんかもうつっこむのも疲れるから、とりあえず先にシャワー浴びてきますね」



俺は布団ではなく、温かいお湯を頭からかぶることで、この夢から覚めることにした。







夢じゃなかった。


まぁ、わかってた事だけど。



「いただきます……」


「いただきまーす」



──当たり前のように、栞里が我が家の食卓に溶け込んでいる。


その光景自体はいつものことなので疑問に思うこともないが、問題は栞里さえもいつも通りだということ。


今朝、あんな事があったにも関わらずだ。



「うわ~このシャケすごくおいしい~! おばさん、これってもしかして今朝獲れたばかりの新鮮なやつ? 市場で直接買いにいったものだったりするの?」



……いや。あれを大事だと思っているのは、おそらく俺の方だけだろう。


今は12月。季節が巡るのは――奇して早いものである。


ついこの前、高校生になったと思ったら、もうこんな時期なんだもんな。


その間にも学校行事や、その他のイベントもあるにはあったが、思い返せば基本的にはなにも変わっていない気さえする。


だが、それはあくまで気がするだけだ。季節がうつろうのと同じように、最近になって俺は、自分の中にある感情が急に色づき始めているのを、自ら感じ取っていた。


そう――つまりそれは、栞里に対する感情である。


それは文化祭から二ヶ月ほどが経過した今でも変わらない。あの体育祭や文化祭の一件からというもの、俺は栞里との距離感について過敏になっている。


朝起きたら栞里が隣にいるなんて、今までは当たり前のことだったのに……。



「って、それだとなんか違う意味合いになっちゃうじゃん! ただ起こしにきてくれてるだけだってーの!」


「うわっ、びっくりした!? いきなり叫んでどうしたのたくみ? シャケおいしいよ?」



箸でつかんだシャケの切り身を、俺の目の前に突き出してくる。


口を開けるかどうか一瞬悩んだが、答えを出す前に、栞里は問答無用で、俺の口めがけてシャケをつっこんだのだった。


……あ、おいしい。

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