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「ねぇ匠? そろそろ外に出ても大丈夫なんじゃない? さっき匠も言ってたみたいに、あまり時間をかけるとお母さんたちも心配すると思うし」
いや、もう隠れる必要もなくなったからそろそろも何もないんだけどな。
なんて、説明するのはひとまずこの部屋を出てからにしよう。こんな埃っぽくて寒い場所からは、早いとこ退散するにかぎる。
俺は手早く母親にメールを送ると、片手でつながったままの栞里の体を起こすように、その場から立ち上がる。
「あっ、あれっ――」
しかし、立ち上がりのタイミングがずれた栞里は、咄嗟に体のバランスを崩し――
「えっ? ……うわっ!?」
俺の足元に覆い被るようにして、そのまま将棋倒しのように、俺たち二人は床の上に投げ出された。
「「…………」」
背中が汚れるだとか、床がひんやりしてるだとか――そんなことはどうでもよかった。
ただ、見上げるようにして俺のすぐ目の前にある栞里の顔だけが。同学年の女子の中でも間違いなく可愛い部類に入る幼なじみが、今は俺のことしか見ていない。
呼吸が止まる。しかし途端、その次には呼吸は荒っぽさを見せ始める。
それは俺だけじゃない。転んだ拍子に手は離れていたが、今は自分の体の全てが、栞里の動きを過敏に感じ取っていた。
「……ねぇ匠。わたし……ずっと匠に言えなかったことがあるの」
いつもとは違う声色とただならぬ雰囲気を感じ取って、俺の心臓は限界まで引ききったメトロノームのようにリズムを刻みだした。
ドクン、ドクン、ドクン、ドクンッ……。
「し、栞里……」
「匠……」
二人して、互いの名前を呼び合う。
あと少しで鼻と鼻が触れ合いそうな距離。狭い室内とほこりっぽさ、そして廊下側から漂う静寂さに、つい背徳的な気持ちにさせられてしまう。
……そこから先に進めば、俺たちはもう元の関係には戻れないのかもしれない。
しかしそこで、場に流されてはいけない――と頭をふったその時。ふと栞里の視線が、俺の目から下腹部へと向けられた。
「……もしかして携帯震えてる?」
「へ……?」
言われて、ポケットに意識を集中させる。
ぶーぶーと、マナーモードのまま携帯が振動する感覚が確かにあった。
「この振動の感じからすると、多分、匠のお母さんからの電話かな? 匠の携帯はメールだとぶっぶっ、だもんね。いよいよ本当に心配してかけてきたのかな」
「……なんで俺の携帯の震え方を把握してるんだお前は……」
密着しすぎると、動きだけじゃなくて携帯の振動まで過敏に感じ取るのか。まあ、とにかく助かった。
……助かった? いや、どうなんだろう。
電話は予想通り俺の母親からで、内容も栞里の予想していた通りだった。
ていうか、今さっきメール送ったのになんですぐ電話してくるんだ。タイミングが悪いにもほどがあるだろ。
……いや、本当にどうなんだ? 俺。
空き部屋を出て誰もいない廊下を歩いていると、先を歩いていた栞里が、急にこちらを振り返った。
何か言いたそうな顔で目線をそらすと、やがて意を決したように、俺の目をまっすぐに見据えてから栞里は語りはじめる。
「実はね……わたし、お父さんとお母さんに会うのが本当は怖かったの」
今まで内に溜まっていたものをさらけ出すように栞里は続けた。
「お父さんとお母さん、最近は今まで以上に仕事が忙しくて……ほとんど顔を合わせることがなかったんだ。もちろん、電話は毎日してたけどね」
そうなのか。栞里が俺の家に来ることはありしも、逆はほとんどないから全然知らなかった……。
「だから、文化祭だって来れるかどうか……こんな事思っちゃだめだってわかってるけど、本当は半信半疑だった。今朝、こっちに着いたって電話があるまでは、ずっとそう思っていた。けど、こうして来てくれて……安心もしたし、同時に怖くもなったの」
「怖くなった?」
「わたしが学校行事を頑張ってるって知ったら……もしかしたらそれに安心して、二人はまたわたしから離れていっちゃうのかな、って」
……笑いながらそんな事を言う栞里に、俺はひどく胸を締め付けられる。
そもそもよく考えれば、自分が表立って働いてる姿を見られたくないだなんて、そんなのはいくらでも解決のしようがあることだった。
たとえば、栞里の両親が来てる時だけ裏方にまわるだとか。
それに事情を話せば、部の手伝いに散ったやつらだって、きっと何人かは店を手伝ってくれたはずだ。
まぁ、後者に関しては、どちらにしろ栞里が呼ばれた気がしないでもないが……とにかく、やろうと思えばいくらでもやり方はあったはずなんだ。
――けど、そうしなかった。栞里は、二人をクラスに近づけないようにするやり方を取った。
それは、その場所に栞里がいなくても同じことだ。クラスの装飾や展示物を見て、間接的に栞里の学校での姿を感じ取ってしまうのだから。
そこに今朝の働きぶりを噂としてプラスすれば、ますますその感じ取り方は大きくなる。これに関しては、変に頑張りすぎた栞里が悪いのだが……。
「……だから、そもそも二人をクラスに近づけないさせないようにしたと。まぁ、そう思うのもわかる気がしないでもない……けどなっ」
「ふ、ふえ?」
俺は、栞里の頭をくしゃくしゃとかきまわすようになでる。やわらかい髪が手に触れて、とても心地がよかった。
「今ある事実は、あの人たちが栞里の、他でもない栞里のためだけに、この文化祭に来たってことだ。ならそれだけで十分、信じていい理由にはなるんじゃないか?」
「……」
実際に家族じゃない俺にはわからない。
でも、小さいときから栞里や栞里の両親と、家族のように接してきた俺にもわかることはある。
あの人たちが栞里のことを、何よりも大事にしているということ。栞里が見せるのは、いつだって本当の笑顔だということ。
「――うんっ。そうだね、たくみっ」
だから、この笑顔だってきっと本当なのだから。
たとえこの先、どんな場面が俺の目の前に現れようとも……この笑顔を栞里が見せる時は、きっとそういうことなのだろう。
なんてことを思いながら、俺は栞里の隣に並んで、喧騒の響く祭りの渦中へと再びその足を進めた。
――会うは別れの始め。
その言葉は俺たちには到底、関係のないものだと思っていたが、関係のないものなんてこの世のどこにもない。
人は必ず、どこかしらで関係を経て生きている。ただし、それが永遠に続くかどうかは、誰にもわからない。
そう。きっとそれは――俺たちだって例外じゃない。
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