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校門までの屋台道を歩いていると、不意に背後から声をかけられた。


隣を見ると、栞里はそこにいる。なんだと思い若干のデジャヴを感じながら振り向くと、そこには女装姿のまま生気のない顔をしたクラスメイトがいた。


一瞬、もの凄く逃げたい衝動に駆られたが、とりあえず話を聞いてみることに。


先に校門にいくよう、栞里にはアイコンタクトで伝えたが、動かないのを見ると、どうやらここで俺と一緒に話を聞くみたいだ。



「……じ、実は……今朝から続いて、二度目のピークがさっきやってきたんだ。おかげで店はてんやわんやの地獄絵図。頼む! 店に戻ってきてはくれないだろうか!」



栞里を見て言う。俺のほうは一切見ようともせずに。


……なんだか釈然としないが、それも今朝がたの栞里の働きぶりを見れば仕方のない事だろう。


しかし……綾小路はさっきメールでなんとかやれているぞと言っていたのに、これだと話が全然違……。



「……まさか」



なんとなく嫌な予感がして、俺はついさっき届いたまま開いていないメールを見る。



件名『マイブラザー』


『やはりダメだったよ』



いや、やはりってなんだやはりって!



「本当にすまないと思っている……だが俺たちだけではもう限界なんだ! 肉体的にも! メンタル的にも!」



あまりの懇願ぶりに、栞里の方もどう答えようか悩んでいる様子だ。女装姿で頭を下げる彼のその姿は、さながら神社で必死に神頼みをする参拝者のようだった。


……時間的に考えて、そろそろ親メンバーは校門に着いている頃だろう。


ここで栞里をクラスに戻してしまえば、親子三人の対面は引き延ばされる。


それに俺一人が親たちと合流したとして、栞里がいないことと、その後クラスに向かうことは直結した意味合いを持つ。


そうなると、当初の心配の種である『自分の働いている姿を親に見られたくない』という栞里の考えは、真正面から破れてしまう事になる。


と、なると──やはり、ここで俺の取るべき行動は一つしかなかった。



「──いくぞっ、栞里」


「ふえ?」



咄嗟に栞里の手を取り、俺は全力疾走でその場を離脱した。


……やはりこうなってしまったか……という半ば諦めにも似た感情。


そして、なんでこうなっちゃうんだよというついさっき感じたデジャヴ感が、俺の頭の中をなおもぐるぐると回っていたのだった。







何故か途中で数人に増えた追跡を振り切り、栞里を連れて、俺は離れにある空き部屋の中に入った。


この離れは文科系クラブの部活棟として使われているのだが、何故か今はほとんど人がいなかった。


理由はおそらく、昼すぎに体育館でおこなわれる、有名アーティストのライブの影響だろう。


はなから客が来ないと踏んで文化祭を楽しみに行ったのか、もしくは他のやつらと同じように、文科部のやつらもライブを観に行ったのか……。


理由はどうあれ、とにかく今は、この格好の隠れ場所をありがたく使わせてもらうとしよう。



「……ここでしばらく様子を見るか。いくら探し回っても俺たちがいないとわかれば、追手のやつらも諦めて戻っていくだろ」


「……ねぇ匠」


「うん? ああそうだな……とりあえず先に親にメール送っとかないと。外の屋台のところで待っててって言えば、中に入ることもないだろうし。でもある程度のタイミングで出ていかないと、心配して校舎の中に入っていく可能性も無いとは言い切れな……」


「ううん、そうじゃなくて。……匠はいつだってわたしのことになると真剣になるんだなって、ふとそんな事を思っちゃって」


「…?」



栞里は自分の左手を顔の前に上げて、俺に見せつける。


もちろん、そこには栞里の手……だけじゃなく、俺の右手が栞里のそれと重なるようにして、確かにそこにあった。



「あ、その……わるい、またいきなり手握っちゃって」


「なに言ってるの? わたしは全然そんなこと気にしないよ。それに昔は、いつも手つないでたじゃない。匠がわたしを引くようにして」



手をつないだまま座って、二人して壁にもたれかかる。


陽があまり当たらないこの場所は、秋特有の涼しい気温以上に寒くなっていた。俺たちは示し合わせることもなく、手から伝わる互いの温かさを、そのまま互いに分け与え続ける。



「……そういえば、栞里のお袋さんは俺が栞里を連れ出すことに、いつもなにも言わなかったな。まぁ、信頼されてるっていえばそれで終わりなんだけどさ」


「お母さんはわたしが外に出て嬉しいって思ってたみたいだからね。お父さんは最初、心配で仕方なかったみたいだけど、一月ぐらいでそれもなくなったみたい」



俺への信頼、ずいぶんと溜まるの早いな。



「わたしが嫌々付き合わされてるんじゃなくて、自分の意思で外に出てるんだって、多分二人ともわかってたんだと思う。……いつも家にいた私が、外に出る時にはあんな顔ができる。そして、それがわかったからこそ――お父さんとお母さんは、わたしのことをもっと大切してくれたんだって、そう思ったりもするの」



天井を仰ぎながら語る栞里の横顔を俺は見つめる。


栞里の両親は、昔も今も仕事に忙しい人たちだった。家に帰るのは夜遅くか早朝、最近は忙しさに拍車がかかって帰ってこれないこともあるらしい。


同じ勤務先に勤めていることは知っているが、それ以上のことは俺もよくは知らない。ただ仕事はきっちり、子育ては適当に済ます人たちではないのもよく知っている。


しかし、そんな環境で子供が寂しい思いをするのもまた事実であり。そうした結果、その子供から笑顔が奪われることだって、場合によっては多々あったりする。


けど――強がりはともかく、栞理が嘘の作り笑顔を浮かべないことは、昔から一緒にいる俺が一番よくわかっている。それこそ、栞里のお袋さんと親父さん以上にだ。


だから、栞里の笑顔は本当の笑顔だ。それが本当だと二人はわかっていたからこそ、そこにもう一重の笑顔を付け加えようとした。


ひどくかすれてしまい、かろうじて一重に見える線ではなく。はっきりと、目に見てわかるような二重の線にするために。


本当の意味での……二重の笑顔にするために。



(……ん? 今のは携帯が震えた音か?)



ここに隠れた時にマナーモードにした携帯が、一瞬震えたような気がした。


扉から外の音を聞こうとしている栞里を横目に、俺はそっとスマホのパスを解く。


メールだ。とりあえず開いてみる。



件名『再三すまないマイブラザー』


『二人には迷惑をかけた。これも僕の力不足が原因だ……というか、昼食をとらずに仕事に戻ったのがそもそも間違いだったのだろう。今度からは気をつけることにするよ』


『今はご飯を食べたことでだいぶ回復した。お客のほとんどが体育館に向かっているからか、二度めのピークも過ぎ去っている。それでは、安心して文化祭を楽しみたまえ』


『PS.ちなみに、君たちを追っていたのはほとんどが栞里くんのファンになった一般客だ。今は沈静化しているから安心するといい』



「……」



まぁ、ツッコミたい部分はいくつかあるが……これでひとまずは安心して構わないってことか。


てかここに隠れられた時点で、もう逃げる必要はなかったってことだよな?


……なんだろう。今さらだけど、今のこの状況がすごく恥ずかしく思えてきた。

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