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「坂の尻公園、だね」



公園に差し掛かったところで、急に栞里が立ち止まって言った。



「朝っぱらから下ネタか、幼なじみよ」


「匠さんや、ここはそういう名前の公園だっぺ」



人差し指で指し示した看板には『坂ノ尻公園』と消えかけのロゴが書かれていた。


まさか本当にそんな名前の公園だったとは……考えたやつは本当に良かれと思ってこんな名前を付けたのだろか?


名前を口にしたのは栞のほうなのに、指摘したこっちが恥ずかしくなるとはこれ如何に。



「まぁ、誰だってミスはするものだよ。でもねぷっ、その失敗を反省しぷっ、どう次に生かすのかがぷっ、大事だとわたしは思いだだだだ!」



軽くほっぺをつねる。今ちょっと俺の事馬鹿にしてただろ。



「ソンナコトナイヨ」



棒読みだった。



「だってちょっとじゃなくて、思い切りバカにしてってやだやだごめんなさいごめんなさい!」



そうして俺は今一度、全身全霊の愛着をもって、素直すぎる幼なじみの頬を引っ張り上げた……と、お茶らける時間など今の俺には無い、と急に我に返った時だった。



「ねね、たくみ」


「ん?」



くいくいっ、と新調したばかりの制服を引っ張る感触を覚えて振り返る。



「ちょっと、あのブランコのところ見て」


「おう、学校ついたらな」


「それじゃあ見えないよ!」


「えっ……お前のブラは学校についたら見えなくなるのか……」


「ブラじゃなくてブランコ! ていうか、真剣な顔でセクハラ発言やめて?! そうじゃなくてほら、ブランコじゃなくて次はシーソーのところだよ!」


「お前のスカイブルー色をしたブラじゃなくシーソーがどうしたって?」


「だからそうじゃな……って、わ! わ! どうして匠がそのこと知ってるの!?」



栞里は途端に顔を真っ赤にさせて胸元をがばっと腕で覆い隠す。そういう仕草の方がエロく感じてしまうのは高校生だからなんだろうか。



「ただの幼なじみとしての勘だ。で、シーソーがどうし……」



――絶句。


この国には『開いた口が塞がらない』という慣用句が存在するが、その使いどころはまさに今しかないと思わせるほど衝撃的な非現実が目の前には広がっていた。



「わたしの目がおかしいんじゃないよね……?」


「……ちょっと待ってろ」







「お嬢さん、僕のこの引き締まった身体、どう思います?」


「何してんだこら」



長ったらしい頭髪のてっぺんにチョップを落としてやる。初めに言っておく。見ず知らずの男だ。


俺も大の男がシーソーの前で仁王立ちしてるのを見ただけならば、流石にチョップまではしない。せいぜい、見て見ぬ振りをするくらいだ。


ただ――今のこの目の前の現状には、それ以上の著しい問題があるわけで。



「誰だい、この僕──綾小路命〈あやのこうじみこと〉の麗しい頭部に手刀をかましてくれたのは?」



心地の良い太陽の光に照らされるのは筋骨隆々の上半身だった。鍛え上げられた大胸筋に引き締まった腰元。身体の厚みも然ることながら、身体の至る所に凹凸が確認できる圧倒的な肉体美は見ているだけでもちょっと怖い。


というより、問題はそこじゃない。罪のない小さな女の子を前にして、十分な衣類を纏わずに接触したところ。それがこの男の罪状だった。


──つまり、男は半裸だった。どう見ても事案だった。



「俺だよこの性犯罪者」



悪態でもつくように視線は交わさずに糾弾だけする。



「嫉妬かい? まったく、君は見苦しい男だね。美しいものを欲する独占欲に関しては僕も充分に見識があるけれど、触れることは全世界共通の禁則事項だよ。純潔だから惹かれることもある。憶えておくといい」


「別に俺もそこに混ざろうなんて1ミクロンほども考えてないけど、とりあえず今は通報される前にこの場から去った方がいいと思うぞ。端から見ると結構な変質者だからお前」



これ以上教育によろしくないものを幼女に見せるわけにはいかない。


俺が合図すると、女の子は少し動揺しながらも、素直に返事をして公園を去っていった。



「ぬあっ……!? きーさーまー、よくも大事なサンプルを! どこまで僕の美の追及の阻害をすれば気が済むというんだ! 名を名乗れ!」


「やだよ。名前も知られたくないし。てか近いって、汗飛んでる汗飛んでる」



ホントなんなのこの人……。俺はさっさとこの場を収めて早いとこ学校に向かいたいだけなんだが……。



「たくみー、そろそろ行かないと本気で遅刻しちゃうよー」



と、そこで背後から俺を呼ぶ栞里の声がした。


流石は頼れる幼なじみ。最高のタイミングで、助け舟を出すために歩み寄って来てくれたか。



「お嬢さん、僕のこの引き締まった身体、どう思います?」


「って、見境なしかい! 結構じゃなくて、やっぱりかなりの変質者だわお前!」



出会った女の子には誰彼かまわず訊かなきゃ満足できない性分なのだろうか。でもそういうの……こいつにはやめておいた方がいいと思うぞ?



「あ、警察さんですか。不審者さんがいますので通報の方を。はい、場所は公園の、はい。よろしくお願いします」


「えっ」



う~う~う~う~♪



「君かい? そんな恰好をしているただの変質者というのは。ちょっと署までご同行願おうか」


「え、ちょ、さすがは日本の警察官の方、通報を受けてから現場に到着するまでが早うおおおおおおおおお――っ!?」



そうして変質者は、青い服を着た警察官に連れていかれた。


一瞬のことに、思考が追いついてくれない……が、とりあえずわかったことは、この公園に平和が戻ったということだった。



「……結局なんだったんだ今のは……? まぁ、とにかく今は、これ以上被害が広がらなくて安心だったということにしておくか」



通報を受けてからあまりに迅速に職務を全うする警察の人に敬意を表しつつ、俺はなんともない顔をした栞のほうを向く。



「それにしても、相変わらず容赦ないなお前は」


「てへっ。早く学校に行かないとね!」



舌を出して、無邪気に笑ってみせる栞里。それを見て、俺はいつものように嘆息した。


悪いな、綾なんちゃらさん。この子、冗談が通じないんです。冗談が通じなくて、いつだってマイペースで――俺の幼なじみは、そんなちょーっとだけ変わった女の子なんだ。うん。



「……まあいいや、もう確実に遅刻だし」


「あきらめちゃだめだよたくみ。人間、限界に追い込まれた時のほうが本来の力を発揮できるっていうでしょ? 火事場の馬鹿力だよ!」


「でもな……このまま学校まで全力疾走したとしても、もう間に合わないのは目に見えてるというか……」


「それに、遅刻の理由はもう作ったから大丈夫だよ」


「えっ」


「ね?」



栞里は、不審者が去っていった公園の入り口のほうを見つめる。


その視線だけで、俺は今の言葉の意図が手に取るようにわかってしまった。



「そうだな。ちょっとやそっとの遅刻なら……あの露出狂のことを話せば何とかなるか」



納得して、再び学校に向けて歩き出す。


遅刻の理由はともかくとして……こういうなんてことないやり取りが言葉もなしにできるのが、まさに幼なじみってことなんだろうな。


栞里が張ってくれた予防線で少しばかし余裕を持ちながら、俺たちは一直線に続くなだらかな坂道を並んで進むのだった。







「あれぇ、たくみー、行き止まりだよぉ~?」


「…………」



せっかくの幼なじみの予防線を台無しにする。


そういうこともある。

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