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と、俺たちらしく物語を落としたところで、お話を一区切りさせるのも吝かではなかったのだが――ここからは、少し長めの後日譚を語らせてほしい。


俺たちの高校デビューは、二人そろって堂々かつ大胆に遅刻するという最高のスタートで幕を切った。これが悪い習慣になってしまわないよう、次からは気をつけましょう、ちゃんちゃん……と話がそれで終わればよかったのだが、どうにも運命さんはイタズラが大好きらしい。


俺と栞里が遅刻の理由を持ち出しても説教を受けたことや、入学式を切り上げたその日の午後から急きょ実力テストが展開されたことにはあえて触れない。それも俺たちの日常ではあるが、あまり重要ではないからだ。


それよりも重要なのは……その運命さんとやらが、俺たちに“ヤツ”との再会の場を設けてくれた事。そんなありがたくもない、必然と予想外が入り混じった余計な気遣いだった。







抜き打ちの実力テストに沈み切った教室に、その男は颯爽と登場した。



「ふっ、ヒーローとは遅れてやってくるものだよ」



そして、肩口まで長く伸びた髪の毛をふぁさっと掻きあげて、うっとりした表情でその端整な顔を綻ばせる。



「僕の名前は綾小路命。そこにいる彼の親友だよ」



ビシッと前方に突きつけられた人差し指は、寄り道することなく俺の元へと伸びていた。



「えっ?」



──それが、例の露出狂、綾小路命との再会だった。







「下校時に遭遇するだなんてとんだ奇遇もあったものだな、わが親友よ」


「…………」



すたすた。



「ふっ、聞こえていながら無視をするとはつれないじゃないかわが親友よ」


「…………」



すたすたすたすた。



「君は何を生き急いでいるんだ。すこし待ちたまえ」



あくまで徹底的に無視を敢行する俺の態度が腑に落ちなかったのか、長ったらしい髪をした男が背後からがしっと肩を掴んでくる。その手は汗でびっしょりだ。マジでやめてくれないかなあ?



「え、べつに俺ってお前の親友じゃないし」



というか、俺に対してよくそのような口が聞けるな。お前のせいで入学式には遅刻するわ、親友宣言するから周りからは敬遠されるわ、学園で味わった憂き目の原因は大抵お前なんだからな!?


俺たちの関係だなんて公園でほんの数分の会話をした、に過ぎない。それ以上でもそれ以下でもないし、もっと言えば、通報したされたの仲なのだ。恨まれる覚えはあっても好かれる覚えは欠片もないのだ。


だというのに……あの入学式の日から今日まで、教師陣からは同類だと思い込まれ、服を着るように説得してくれとお願いされる。


クラスメイトには憐みの眼差しで射抜かれ、ついでに風紀委員にまで注意の言葉を受けて。意地でもお前なんか親友じゃない!



「ふっ、袖振り合うも多生の縁ということわざもある。共に帰ろうではないか」


「微妙に意味まちがってるからなそれ……」







――イヤだ。この構図で帰るのがひたすらイヤだ。


校門前には少しの人だかりが形成されていた。先日の入学式を通して、無事に学園生となることができたピカピカの一年生たちだ。それもそのはず、放課後の時間は上級生たちは揃って部活動に汗を流すので、多くがグラウンドや体育館に校舎の中と指定の場所に集まるのだ。


対して、新入生は来週の部活動のオリエンテーションまで部活動禁止の態勢が敷かれている。ゆえに校舎に残っているのは、『特別な生徒』だけだろう。



「どうかしたのかい? 帰るのだろう?」



隣に並び立って疑問の声をあげたのは綾小路だった。素肌にワイシャツを羽織るだけの出で立ちは、教師や風紀委員からの指摘に譲歩した結果なのかもしれない。



「はぁっ……」



俺の口から漏れるのは溜め息のみ。この昇降口に辿り着くまでにどれだけの人の目に俺たちは晒されてきたのだろう。校門前で固まる同級生の姿を目にすると、まるで石に変えられてしまったかのように足が動かなくなってしまった。


いつもすぐ近くにいるはずの幼なじみにSOSを飛ばしても今日は空振りだ。定ポジションである左隣はすっからかん。俺が頑張るしかないんだよな。



「そういえば、今日はいつも一緒のあの子はどうしたんだい、わが親友よ」



ぐるりと周囲に投げた視線で栞を探す綾小路。だが、あいつは誉まれある『特別な生徒』に選ばれたからここにはいない。



「……なぁ、ひとつ気になってることがあるんだけど」


「なんだい藪から棒に? なるほど、僕のこの類まれな筋肉を以てして君のその疑問をぜひとも解消してほしいのだね、言ってくれなくても僕にはわかるよ」


「まぁ、そんなとこ」



否定はしなかった。人とは勉強する生き物だ。この数日で、綾小路との付き合い方にコツのようなものを見出した。


突っ込まない。受け入れる。さすれば話が膨らまない。対・綾小路戦のときには、これは地味にというか、有効以外の何物でもなかったりする。



「ふっ、なんでもこの僕が答えて進ぜよう」



俺の心の声など知る由もない綾小路は、気分が良いのかお得意の髪掻きあげを披露しつつ返してくる。



「じゃあ、遠慮なく。俺の名前はなんでしょうか?」


「へっ……?」



今の今まで有り余った威勢を振りまいていた綾小路の声が途端にか細く弱々しいものとなって、最後には口元からひゅーひゅー息が吹き抜けていくだけになった。



「親友と称する男の名前を知らないだなんてことは、ないよな?」



ここが攻め時と言わんばかりの攻勢で綾小路城を守る城壁を次々と切り崩していく。



「ぐ、ぐぬぬ」



――ずっと気になっていた。


こいつは、『わが親友』という呼称で俺を呼ぶことが多い。


それは入学式に遅刻して、自己紹介にも遅刻し、初めて入った教室で声をかけてきたときからそうだったし、その呼び方は数週間過ごした今だって変わらない。綾小路なりのジョークかとも思っていたのだが、どうやら今の反応ですべて察した。



「おまえ、俺の名前、憶えてないだろ」


「……ッ!」



綾小路は瞳を大きく見開いて、そのまま動かなくなってしまう。これでいい。これで俺の安息の下校路は約束された。


……ように見えた。



「栞里さんのことになると君はいつもそうだ」


「……栞里の名前は憶えてるっ!?」


「ふっ、ワンテンポ遅れたね」



その予想だにしない切り返しに、俺は思わずたじろいでしまう。綾小路はニヤリと唇の端っこを持ちあげる。



「まぁ、そこは君たち二人の問題だから僕が口を出すのはお門違いなんだけれど、行かなくていいのかい?」


「……幼なじみにだって色々あるんだよ」



嘘。単純に恥ずかしいだけ。


もう俺たちも立派な高校生だ。なら、多少はその距離感を調整することも必要じゃないかって……なんとなくそう思っただけだ。


他に理由なんてものはない。多分。




「筋トレは良い」


「!?」



唐突に何言ってんだろこの人……。



「筋トレとはさながら己の精神と肉体の限界への挑戦さ。辛くても痛くても、その壁を乗り越えて初めてどちらも強くたくましくなるものさ」



腕を組んでしたり顔で頷く綾小路は一度区切ってから、



「それを人はコミュニケーションと呼ぶ」


「!!?」



根も葉もない謎の理論を展開してくれる。


そ、そうだったかな……コミュニケーションってそんな汗臭い行為のことなんだっけ……?



「いいかい、親友。言わないことで伝わる何かがあるとしたら、それは虚飾だ」


「……」



──虚飾。その言葉は、どうしてか俺の胸の奥に突き刺さった。



「僕からすれば、それは贅肉ということさ。形だけの不要な肉は肉体美において美しくない!」



変わらない調子で紡がれる冗談。まるで俺の気を紛らわせるような、このときの綾小路の言葉は何よりも有り難かった。

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