秋編〈fall〉-下-

1

「……ねぇ匠。わたし……ずっと匠に言えなかったことがあるの」



いつもとは違う声色とただならぬ雰囲気を感じ取って、俺の心臓は限界まで引ききったメトロノームのようにリズムを刻みだした。


ドクン、ドクン、ドクン、ドクンッ……。



「し、栞里……」


「匠……」



二人して、互いの名前を呼び合う。


あと少しで鼻と鼻が触れ合いそうな距離。狭い室内とほこりっぽさ、そして廊下側から漂う静寂さに、つい背徳的な気持ちにさせられてしまう。


……そこから先に進めば、俺たちはもう元の関係には戻れないのかもしれない。


しかしそこで、場に流されてはいけない――と頭をふったのがどうやら功をなしたようで。


その瞬間。今この状況に至るまでの課程が、まるで切り替えたばかりの電球のような光量をもって、俺の頭の中でフラッシュバックした。


――文化祭。体育祭に続く秋の大型イベントその2にして、全校生徒が待ち焦がれた学生の青春絵巻……それが満を持してはじまった、つい今朝方の事だった――。







「……ものすごい人口密度だ……」



いつもとは趣が違う喧騒に当てられながら、俺はひとり、廊下を歩いていた。


その違う、というのは主にそこを歩く人の千差万別さにある。


この学校の生徒はもちろん、その家族。はてはどこぞの大学生やずる休みの学生にいたるまで、まさに種類を問わない数の人間が、こうして学校中を練り歩いている。



「ていうか、地域の歴史とか展示しても人なんか来るのか?」



違うクラスの出し物に疑問を呈しつつ、とりあえず廊下の端まで歩いてみる。


校舎棟二階の一番端にある自分のクラスから一番端の別のクラスまで、休憩とは名ばかりの偵察に向かうのが俺に課された指令だった。


ちなみに、俺たちのクラスは女装喫茶とかいうゲテモノ系出し物だが、他のクラスはさっきみたいな地域系や創作劇などの真面目系ばかりである。


どうしてこうなったのかは俺の知るところじゃない。でも疲れるといった点で考えると、劇とかの方がいい疲労感を感じられそうだと俺は思う。


少なくとも、文化祭二日とも女装喫茶をやるよりかは。



「ん? あれは……」



廊下の端までいって方向転換したところで、見知った顔を見つけた。


栞里だ。階段付近で立ち止まってなにやらそわそわしている。



「栞里? なにやってんだこんなところで?」


「はわっ!? も、もーおどかさないでよ。臓器という臓器が思わず口から出ちゃうところだったじゃない」


「こわい例え方すんな。で、こんなところで一体なにしてんだ? 休憩だから、屋台に昼飯食べにいったんじゃなかったのか?」



えっと、それはー……なんて言いながら、栞里は俺から少しだけ目をそらした。


なんだ? もしかして言いにくい事なのか?



「……お父さんとお母さんが」


「へ? お袋さんと親父さん、今日ここに来てるのか?」


「ううん、まだ来てない……けど」


「まだってことは……あとで来るかもしれないってことか?」



頷く。


なるほど、それなら落ち着きのない様子だったのも納得できる。



「でもどうしてこんなところにいたんだ? 来るってんなら、自分のクラスにいたほうがお互い見つけやすいだろうに」


「うーん、たしかにそうなんだけどね……」



すると栞里は、少しだけ困ったような笑顔を浮かべながら、歯切れを悪くしていた言葉を続ける。



「ほら、わたし少しがんばりすぎてたでしょ?」



がんばりすぎてた?

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