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「はぁっ、はぁ、はぁっ、はぁ……」
そんなわけだから、もちろん自分の競技である100メートル走にも集中できるわけがなかった。
余裕のドべでゴールインして肩で息継ぎ。まるで心ここにあらずのような自分の走りに、思わず笑ってしまいそうになって。
「ははっ、ちょっと頭冷やすか……」
グラウンドから出てすぐの水道場で頭から水を被る。
ぽたぽたと頭から垂れ落ちる水滴も気にせずに、グラウンドで繰り広げられる競技の様子を見てる。
「君のその黄昏顔はとっても良い画になるな。今すぐ油絵としてキャンバスに形を残したいくらいだ」
「悪い、今はお前の相手をしている余裕は……って、ええええええええっ!?」
水場から顔を上げ、声がした方を向くと、そこにはよく知る変態クラスメイトの姿が――あるにはあったのだが。
「ばっ、なんでお前ブリーフ一枚しか着てないんだよッ!!」
絶句。綾小路のその姿は、もはや事案以外の何物でもなかった。
「僕のこの鍛え上げられた肉体美を最大限生かせるファッションはこれしかないのだとつい数分前に気づいてしまったのさ」
「数分前に何があったし……」
不思議とこんな奴の相手をしているだけでも重くのしかかった心の重荷はほんの少しだけ軽くなりそうな気がした。
いや、マジでほんの少しだけだけど。
「それで、いつも一緒の栞里さんの姿が見られないが? またあの日のようにはぐれてしまったということかい?」
――あの日。それは夏祭りの日のことを言ってるのだろうか。
「ふふっ、君たちの間に何があったのかまでは訊かないけれど、まるで今の君たちは色彩が乖離した絵画のようだ。はたまた釉薬と焼成の不釣り合いな陶芸品だ。いつもは混ざり合っているはずの要素が途端に喧嘩を始めたように見えるね」
「ケンカ、か……。だったら、その……乖離した? 色彩がまた綺麗に交わるためには、何をすればいいんだよ?」
「ふむ、少し考えれば簡単な話さ。――お互いが歩み寄ればいいのさ。片方が一方的に迫るのではなく、双方が同意のもとで、譲歩し合えば色は拒絶しない。いつか艶やかに混ざり合うだろう」
……いつものキザったらしい臭いセリフが今このときだけは、有り難かった。
髪をふぁさっと掻きあげて、決め顔で言ってくるもんだから、俺も最後に感謝の言葉を忘れない。
「裸で言われてもなぁ」
「なにをぉぅ!?」
▽
「さあ、今年もやってきました! 王子とお姫様! あの輝かしいトロフィーと、麗しいお姫様からのキッスを授かるのはどの王子様だあッ!?」
誰よりも興奮した声色で参加者を煽る放送部とは裏腹に、グラウンドの真ん中で特設されたステージで何とも曖昧な表情を浮かべたお姫様が一人。
「ばーか、お姫様がそんな顔してたら国のみんなが付いてこないだろ?」
ぽかりと栞里の頭に拳を落とす。
「たくみ……」
でも、幼なじみは俺の名をつぶやくだけでそれ以上は口を開こうとしない。
まあ、そうだろうな。だって栞里は知ってるから。
誰かさんは助けてと縋りつけば、文句を零しながらも助けてくれる男だってこと。
誰かさんは優勝してと頼み込めば、バカみたいに頑張る男だってこと。
それから──あいつが本当に肝心なことに関しては言葉に出さない女だってことも。俺は知ってるはずだった。
「さあ、レースに出場する選手の皆様はスタートラインにお並びください! 位置取りも勝利の第一歩です! 早い者勝ちですよ!」
散々悩み抜いた末に、今ここに立っている自分自身に嘘をつかないためにも、びくりと肩を揺らした栞里に囁くように言葉を残した。
「えっ、匠……?」
何を残したかは内緒だ。
遠い昔に言った気がする言葉。そして、これからも使い続けるであろう──“魔法の言葉”。
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