秋編〈fall〉-上-

1

──祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。


これは有名な軍記物語の冒頭部の一節だ。


『栄華は続かない。栄えているものもいつかは落ち行く定めにある』と、物語の中でも触れられるように、変わらないものなんて世の中のどこを探してもない。そういう意味である。


出会いがあれば、同時に別れがある。昔は好きだったモノが、今はそうでなくなっていることだってある。


それに──誰かと築いてきた関係だって、いつかは消えてしまうかもしれない。


果たして、それでも不変を望むことは間違っているのだろうか。


人は誰しも天邪鬼だ。自分のことは素知らぬ顔で棚に上げて、他人が自分に持っていないものを持っているときだけ指をくわえて羨む。


あの人は足が速くていいなあ、とか。この人は頭が良くていいなあ、とか。


ろくに努力もしないで、結果だけを求めるのは如何なものか。尽くす手があるうちは、もがくべきなんじゃないかと俺は思う。


隣の芝生だけが青いのではない。人は、己の芝生だって青いことを知らないのだ。


そう、今だって──



「匠はずるいよ! ずるい! ずるいー! ずるいすと! だよっ!」


「ここはひとまず、どうして比較級にしたのかという点には触れないでおこう。で、どういうこと?」


「わ、そうやって、しらばっくれるんだね! 今日のホームルームのことだよ!」


「あー……それが?」


「それがって言った! わたしの一大事なのにそれが、って言った!」


「……えーっと……」



心当たりは確かにあった。あれは今日のホームルームの出来事だった。







「はーい、もうすぐ体育祭がやってきますね。今日はみんなの種目を決めたいと思いまーす。さ、クジの出番よ! 窓際の席の子から取りにきてもらおっかー」



先生ののほほんと間延びした掛け声を聞くと、クラスメイトたちは順番通りにクジを引いていった。



「よっしゃー、俺200メートル! 足だけには自信あるんだよなあ、これが」


「げっ、私は綱引き……っ!? ちょっと、これマジでやばいんですけどー」


「ふむ、僕が借り物競争とはクジも上手く空気を読めているではないか。いいや、それともこの右大胸筋がこの因果を引き寄せてしまったのかもしれないね。借り物と本物……その違いというヤツを、僕のこのホンモノの肉体で証明してみせようッ!」



クラスの至る所から喜びの声であったり、悲痛の叫びであったり、耳触りの良くない、けれど聞き覚えのある声とか、いろいろが綯い交ぜになって祭り前の騒がしい教室の空気を作り上げていた。


ちなみに俺は100メートル走を引き当てた。うん、まぁ変に凝った種目じゃないからとりあえずは当たりかな、別に走るのは苦手じゃないし。



「さて、そんな中、栞里は……!?」


「…………」



燃え尽きていた。


イスに腰を下ろし、机に両肘を置いて、まるで何もかもが終わったかのように白い顔をしてうつむいていた。



「……しおりさーん? おーい?」



控えめに幼なじみの名を読んでみるものの、まるで返事がない。ただの屍のようだ。


……と思ったら、きりきりと錆びれたロボットのようにカクカクと機械的に首を動かして、なんとか俺を視界に入れることに成功したようで。



「あ。綾小路くんだ、おはよう!」


「!!!?」



いや、これ完全に壊れきってるわ。



「今誰か僕のことを──」


「呼んでねぇ!」


「あははー」



生気のない目で、幼なじみはいつまでも乾いた笑いを繰り返していた。







そうして、時は過ぎ去り。



「今日は体育祭だなあ!」


「今日ほど休みたいと思った日はないよ……」



栞里は、賑やかで晴れやかな学園内の雰囲気とはまるで正反対の負のオーラを撒き散らしながら、とぼとぼ歩を進める。


――今日は体育祭。体操服姿の生徒もいれば、ジャージ姿の生徒もいて、応援団のつもりなのか学ランを羽織った生徒までいる。皆それぞれが一様に、今日という日を楽しみに待っていたのだろう。


学園で唯一、はっちゃけることが許される日。


学園で唯一、勉強から開放される日。


学園で唯一、みんなが笑顔になれる日。


だというのに、いつも俺の隣にいる少女の表情はとにかく浮かなかった。


けれど、



「栞里の体操服姿って、良いよな」


「きゃっ、匠ったらそんな目でわたしのことをっ!」



冗談をきちんと返してくれるのは精一杯の強がりだってことがわかってしまうから……俺はどうするべきなのか迷うしかなくて。

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