第二話 冷たい風と私

 起きてからいちばん最初に目に入ったのは真っ暗闇だった。とりあえずだるい頭と体をおこして、眼鏡をかける。携帯を見つけて時計を見ると深夜1時だった。そうだ、いろんなことがありすぎて、あの後すぐにベッドに横になってしまったんだった。突然の来客に対して慌てて用意したふたつの座布団とコーヒーカップはそのままになっていた。そして、その机の上には長尾君が持ってきてくれた真っ白な封筒と手紙がおいてある。私はぼうっとした頭で、その手紙をもう一度読んだ。きれいな字でこう書いてある。




美生さんへ


久しぶり。6年ぶりだね。元気にしてる?急に手紙なんて出してしまってごめんね。でも、どうしても聞いてほしいことがあったので、こうして手紙を書いてるんだ。突然すぎて戸惑ってしまうだろうけど、どうか聞いてほしい。


僕は半年後、海外で安楽死することになってるんだ。


このことは、君と高校で出会うずっと前から、決めていたことなんだ。遺伝の関係上、僕は25歳から30歳のあいだで、不治の難病になることが分かってる。だから、誰にも迷惑をかけないために、その病気になってしまう前に死ぬことにした。


そのうえで、僕にお願いをさせてほしい。わがままで君の現状とか気持ちとかを考えていないお願いだというのは、わかりきれないほどわかってるうえでだ。


僕はあの日からも、すっと君をこころから愛しています。だから、せめて最期の時を君と過ごしていたいです。もしあなたが許してくれるのであれば、僕が安楽死するまでのあと半年を、僕と一緒に過ごしてくれませんか。


返事はすぐじゃなくていい。簡単に決められることじゃないのはもちろんわかってる。もし、気持ちがきまったら、澄良に言ってほしい。


どうか、よろしくね。愛しています。


霧生仁人




 一番最初にこの手紙を読んだとき、文字通り言葉が出なかった。彼がそんなことになっているなんて考えるはずがないのは言うまでもない。それよりも、高校生になるよりもすっと前に、自らの命を絶つことを決意していた人間が、私のそばにいたこと、そして、「君のことを愛している」という彼の言葉の裏に、そんな事実があったことが、ただただ驚きだった。彼はそんな素振りを少しも見せなかったし、私含め、身の回りでそんなことを知っていた人はいなかったはずだ。


 私はこんな、高校生には重過ぎる現実を抱えながら生きてきた彼の純粋な愛を、残酷にも拒んだんだ。


 手紙を呼んだ後の長尾君は、私の気持ちを汲んでくれてか多くを語らなかった。私が手紙を読み終えたのを見ると、私に自分の連絡先を教えた後、コーヒーに対しての礼を言って帰っていった。彼が高校で、誰からも好かれる人だった理由がよくわかった。


 私は、霧生君に告白されたあの時、いったいどうすればよかったんだろう。今までずっと、恋愛に対して良い思いは抱けていない。それは性欲の美化としか思えなかった。そんな感情を持った状態で、彼の思いを受け止めることは出来そうになかったんだ。


 私はこれからどうすればいいんだろう。彼の恋愛感情がそんな汚い思いじゃないのはわかってる。でも、分かっているのになんでか怖いんだ。また裏切られるかもしれない、また傷つけられるかもしれない、という疑いが自分の意志とは関係なく頭の中に流れるんだ。それに、一度私は彼を拒んでしまったのに、のこのこと彼の前に現れて、彼にそれを許してもらおうだなんて、それじゃあ私こそわがままじゃないか。


 私は手紙を白い封筒の中にていねいにしまったあと、ふと冷たい風を感じたくなってベランダに出た。だれも外にいなくなった夜の街は、上から見るとまるでミニチュアみたいで不思議な気持ちになる。電灯が雨で散ってしまった桜を照らしている。こんなにせつない気持ちになるのは、久しぶりだった。

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