2023年1月23日

 彼女たちは老夫婦が暮らす屋敷に勤めていた。


 旦那様は画家であるため、めったに部屋から出てこない。奥様は穏やかな方で、屋敷に住み込みで勤める彼女たちに混ざって家事をするなど気さくな方でもあった。

 郊外に建つ屋敷には広い庭があり、多種多様な花や野菜が育てられていた。


 彼女たちは洗濯や掃除が終わると、庭へ出て手入れを始める。収穫された野菜は食卓へ、綺麗な花は花瓶へ、小さな果実は染め物へ。老夫婦と自分たちの生活を心豊かなものに庭の手入れを欠かすことは無かった。

 雨が降って、外に出れない日は奥様を交えて皆で縫い物をした。


 暖かいお茶を飲みながら、お喋りをしながら、小さな果実で染め上げた布を形にしていく。誰もが同じく綺麗な完成品を作れるわけでは無かったが、それでも楽しかった。


 ある日、朝から曇り空であったため彼女たちは庭の手入れもそこそこに切り上げた。


 誰が言い出したか、「雨が降ってくる前に買い出しに行きましょう」と。

 それに全員が賛成し、半分は買い出しに半分は留守番をすることになった。

 彼女たちの中には未だに町に出ることを恐れる者もいる。それぞれの過去がどうであれ、無理強いはしないことが彼女たちの間で交わされた約束であった。


 市場に来た彼女たちはそれぞれに籠を持って、各々が目的とする店へと向かった。その中で、1人の少女が道の端で動けなくなっていた。そこは丁度、道が交差する場所であり店の影でもあった。

 同僚である彼女たちは買い出しという己の職務を全うしている最中で誰一人、少女を気にかけることは無かった。


 未だ空の籠を抱え、少女は口元に手を運んだ。気休めにしかならないだろうが、乱れた呼吸を少しでも落ち着かせるために。或いは荒くなった呼吸で自分の居場所がバレないように。


 端的に言うと少女は恐怖を感じていた。町へ出たのは今日が初めてではないし、ついさっきまでは今まで通り、みんなと買い出しへ行き、互いに揶揄いながら帰るものだと思っていた。


 なぜ。どうして。


 足が竦む恐怖と、買い物をしなければという焦りが最高潮に達した時、少女は空の籠を道端に投げ捨て、走り出した。周囲は買い物客で溢れかえっているというのに、後ろから聞こえてくる1人分の足音がやけに耳に響いた。


 広い庭を持つ屋敷、みんなと暮らす家へと走った。視界が涙でぼやけてしまうので何度もつまづき、人にぶつかり、なんとか郊外の屋敷まで戻ってきた。

 町から離れたおかげか、少女に真っ直ぐと向けられた恐怖と足音はすっかり聞こえなくなっていた。


「あら、どうしたの?」


 庭の植え込みから奥様が顔を出した。こんな天気の下、まだ外に出ていたとは思っていなかった少女は驚くと同時に安心したのか、しゃくりあげるほど泣き出してしまった。

 奥様は庭作業の手を止め、少女の手を取った。少女は途切れ途切れに、町が怖くなってしまったことや買い出しを放棄してしまったことを謝罪した。


 奥様は優しく少女の手をさすりながら、最後まで静かに話を聞いていた。少女が絞り出すように謝罪の言葉を口に出した時も優しく彼女の手を包み込んでいた。


「そう、それは大変だったわねぇ」


 穏やかな声で語りかけてくる奥様に、少女は涙を止めようと鼻をすすった。同僚たちがこの場にいれば、良い標的にされてしまうだろう。


 その時、少女は自身の手に何か違和感を覚えた。正確に言うと何かを握らされたようであった。


 するりと奥様の手が離れ、少女の手に残されたのは数枚の硬貨。

 奥様は穏やかな声で優しく言った。


「それじゃあ、お買い物よろしくね?」

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