2022年11月5日

 それは愛に対抗する薬だと言った。


 とある一室、仲間達とすし詰めで雑談をしていた時に新たに仲間が入ってきた。そいつが持っている手帳には錠剤シートが1枚、挟まれており、「これは対抗薬だ」と彼は言った。


 ただならぬ状況が差し迫って来ていると予感した自分は、仲間たちに錠剤シートの存在を周知しようと振り返った。


 その時、部屋の扉が開かれ再び人が入ってきた。仲間ではない。なぜなら、錠剤シートを教えてくれた仲間が出入口に向かって土下座をしているからだ。神々しいものに頭を垂れるように手帳を持っていた彼は微動だにしなくなってしまった。


 その手帳も彼の手から離れ、傍に無造作に置かれている。


 自分は直感的にそれをチャンスだと思い、手帳を回収した。頭を垂れる彼が僅かに頭を上げたが、状況確認ができるほど上体を起こしてはいなかった。


 自分は手帳から錠剤を押し出し、口に含む。


 嚥下しながら、先程まで和やかに雑談していた仲間たちに手帳ごと錠剤シートを投げ渡す。


「これは愛に対抗する薬らしい」


 そう説明を付け加え、自分は出窓から外に出た。


 あの説明を信じるも信じないも仲間たち次第だが、できれば錠剤を飲んでおいて欲しいなぁと思った。


 窓の外は何もない。しかもここは2階でなので、外壁の出っ張りに指を引っ掛け、つま先を乗せて横に進んだ。


 壁の終わりまで来たのでみぎに曲がらなくてはいけないが、屋根があるので足場が安定して助かる。そっと足をおろして、明り取り用の窓のから中を除くと仲間がいた。


 彼女たちは先程の雑談に加わっておらず、まだ何も知らない。窓を叩き、彼女たちの意識をこちらに向けたところで、侵入者が現れた。手帳を持っていた彼がひれ伏した奴と同じスーツ姿。


 彼女らとスーツ野郎どもで、何か口論が始まってしまったようであった。仲間の誰かが自分に視線を向けた。

 顔の向きは変えず、眼球だけを動かして、この場から離れるようにと伝えてきた。


 自分はそっと、窓から離れ、屋根の上を進んだ。


 屋根の上は隠れる場所もなく、下から狙われれば防戦一方となってしまうことに今更ながら気づいた。誰かが上を見ないようにと密かに祈る。


 仲間たちと話をしていた場所は角部屋で、扉が1つしかない。スーツ野郎どもが部屋から出してくれるとは思っていなかったので、咄嗟に窓から出てきてしまったのであった。


【中略】


 デパートの中も気味が悪い空気であった。すれ違う人は皆、覇気のない目をしており、スーツ野郎どもが至る所に存在しているせいか監視されているかのように感じる。


 ここにも仲間が数人いたのだが、見つけた時にはそこらの一般人と同じく覇気のない目をしていたため、声を掛けずその場を後にした。


 ようやく意思疎通が取れそうな仲間と合流した。デパート内を宛もなく彷徨いたせいか、少し目立っていたようだ。


 安堵から一気に力が抜けたらしい。仲間に支えられ、エスカレーターを下りる。スーツ野郎どもの視線が刺さるようであったので、目を伏せがちに口を半開きにしてなるべく放心状態に見えるように地上を目指す。


 1階の催事場エリアには数多の人とスーツ野郎どもが入り交じって雑然としていた。大きな窓の近くには横長の机が置かれ、今から記者会見でも始まりそうな雰囲気であった。


 自分は前の方に置かれたベンチに腰掛けた。仲間も隣に座り、息を整えていると記者会見が始まった。

 気づけば周囲には人々が隙間なく座っており、それぞれ虚ろな目をしたまま談笑していたが前方に恰幅の良い男の姿を認識した者から口を閉じていった。


 恰幅の良い男が机上に置かれたマイクを手に取り、もう一方の手を高々と挙げた。すると静まり返っていた会場は割れんばかりの拍手で埋め尽くされてしまった。


 彼は地位ある者なのだろう。なかなか止まない拍手の中、自分は胸を押さえ体調がすぐれないフリをして会場を抜け出した。

 いや、本当に少し息苦しいかもしれない。


 隣に座っていた仲間も周囲と同じく拍手をしていたので、置いていく。


 とうの昔に飲み込んだ薬の苦味が口の中に戻ってきているようであった。実際、飲んだのは錠剤であり苦味など感じるはずも無いのだが。


 記者会見場を背に、次は何処へ行けばいいのかと視線が彷徨う。


 それでも抗うべきだという衝動に近いものが足を動かした。


 次に向かうべきは―――。

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