2022年5月1日
そこは雪に覆われた森の奥。傾斜に囲まれた谷底の屋敷には少女が1人、住んでいた。
日差しが届かないほどの分厚い雲にくわえ、屋敷の中も灯りは少なく常に薄暗い室内で少女は過ごしていた。
この屋敷の主人は恐ろしい人だと使用人たちは口を揃えるため、出会ったことない人物に少女が偏見を抱くには、そう時間はかからなかった。
ある日、少女は屋敷を飛び出した。ローブを羽織り、1階の窓から斜面に駆け出す。降り積もった雪は見た目に反して硬く、走りやすかった。
ざくざくと音を立てて少女はひたすら斜面を駆け登る。
斜面を登り切ったのだろうか、眼前に広がるは下り坂と舗装された黒い道。
少女は喉奥に血の味を感じながらも乾ききった口内からかき集めた唾液を飲み込んだ。風が吹き、フードが外れ汗を攫っていく。
まだ日が高いとわかる曇天の下、少女は再び走り出す。
黒い道は雪が積もっていないから雪上よりとても走りやすかった。
日中のうちに、太陽が沈む前にできるだけ遠くへ、あの暗い屋敷からできるだけ離れるように。その思いだけが少女の足を動かす。
森を抜け、道を挟む木々も次第に少なくなってきた。小さな家を見た。少女にとってあの屋敷以外の建造物であった。
小さな家の群れは増えていき、気づけばネオン煌めく町に少女は迷い込んでしまった。誰もが身体を寄せ合い騒ぐ様子に少女は途端に心細さを覚えた。
今すぐ、どこかに隠れて騒ぎが落ち着くのを待つかそれとも踵を返して……返して?
振り返ったところでどこに行けるというのだろう。
「あ!■■じゃん」
ネオン街の一角で立ち往生している少女に男が話しかけてきた。それは確かに自身の名前だが、少女は男に覚えがなかった。
見知らぬ人(仮)に話しかけられことで固まってしまった少女に男女数人で構成された集団が近づいてきた。その誰にも見覚えがない。しかし彼らは少女に親しみを感じているようで、どうも馴れ馴れしい。
集団は少女の名前を呼びながら取り囲む。
正直に言って少女は逃げ出したかった。あの屋敷から逃げ出したというのに、これ以上どこへ向かうというのか。
いや、これは屋敷を飛び出した時とは少し違う感情だ。
場違いなのだ。このネオン街においてローブで身を隠した自身はこの上なく場違いなのだ。
その後、あれよあれよと集団に流され少女はとある一軒家で1晩を過ごすこととなった。
少女を取り囲んで連れ帰った集団は家に着いた途端、それぞれ床に倒れ込むように寝てしまった。いわゆる雑魚寝というやつだ。少女も日中、走り続けた疲れからかすぐ眠りについた。夢も見ないほど深い眠りであった。
何がきっかけだっただろうか。夢か物音か、あるいは固い床で寝ていたせいか。理由は何であれ少女は目が覚めた。
誰かが閉め忘れたカーテンの外はまだ暗い。眠っていた時間はさほど長くなかったのだろう。
少女は起き上がって、室内をぐるりと見回す。雑魚寝をしている集団が起きそうにも無いと確信すると静かに立ち上がり、玄関に向かった。
外はまだ夜であった。街灯で星は見えない。
一軒家から出て数歩、少女は立ち止まった。単純にどの方向へ進めばいいのかわからなかったからだ。なるべく屋敷から遠く離れた所を目指して来たがここは自身がいるべき場所ではなかった。ならば、ここ以外のどこかへ走り出さなければならないが、未だに日が昇る様子が無い空から方角を読み取るのは難しい。そうでなくても少女は星を読む知識を持ち合わせてはいなかった。
とりあえずネオン街から連れてこられた方へ足を進めることにした。何もわからず集団についてきたのでうろ覚えだが、屋敷から遠ざかって行けるだろうと少女はフードを被る。
街灯の間隔は思っていたよりも広く、灯り自体、小さなものであった。それでも雪のない歩きやすい黒い道や町に1人で出歩いている状況、先ほど少し睡眠を取ったことで少女の心は浮ついていた。
自由だ。これを人は自由と言うのだろう。
道の真ん中でステップを踏む。それは屋敷で受けた【教育】のひとつであった。
狭くはないが、薄暗い室内で教育を受けていた時と同じく今も1人で踊っている。しかし誰にも見られていない、外で、町で再演することの心地良さといったら!
二、三歩進んで、つま先で地面をなぞる。靴底をスライドさせてもう一度、ターンをしたところで少女は壁にぶつかった。
否、壁と言うには衝撃が少なく少女は跳ね返されることなくその場に立っていた。立っているだけで身動きも取れなくなってしまったが。
少女は壁を見上げる。自身の背に腰に回った腕が壁から伸びているものだとは気づいていない。
壁は街灯よりも大きく、帽子を被っていた。そして、壁からは微かに温もりが伝わってきたことに気づいた時、少女はその大きな目を見開いた。
「――― 帰ろうか」
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