2018年1月2日

 夜、数少ない街灯が明る過ぎたのか、隠れる所など無い広場を走っているのが悪いのか、黒い影はずっと追ってきている。


 フードを深く被っているため、顔は見えない。見る暇も無いほど必死に逃げているが、本当はアレに顔など無いのかもしれない、と頭の片隅に浮かんでいる。


 共に走っていた恩師は既に息途絶え、手を引けば動いてくれるといった状態だ。恐らく、自身が死んでいると気づいてないのかもしれない。この広場を過ぎて通りに出れば隠れる場所くらいはあるだろう。枯葉を踏んで、芝生を蹴って、走る、走る。喉の奥と肺が痛い。


 黒い影に捕まったら終わりだと、本能が叫んでいる。実際めちゃくちゃ声を出して叫びたい。恩師は今、どんな顔をしてるのか。見たい、見たくない。死にたくない。

 気づけば芝生は途切れ、黒く濡れたアスファルトが足下に広がっていた。街灯や信号機の光が反射してゆらゆらと揺れているように見えた。


 いや、本当に光は揺れているのだ。穏やかな風に海が波立つように静かにゆらゆらと。ああ、ここで立ち止まっているわけにはいかないのに足が動かない。自分が立ち止まったせいで倒れ掛かってきた恩師の手を少し強く握った。

 耳の奥でいつかの昔に聞いた幽霊船の話が懐かしい声で聞こえてきた。


 それは真夜中、彷徨える死者を迎えに来てくれる親切な船だと言う。しかし、たまに間違えて生者も連れて行ってしまうという。


 水に濡れたただのコンクリートであったものが波立ち、何かが浮かんでくるのがわかる。海底から解き放たれたようにゆっくりと柱が見え、帆が見え、船頭が水飛沫を上げた。

 周囲にある民家やアパートと同じくらいの高さもある大きな船が自分の目の前にいた。錆び付いた装飾に、薄汚れて破れている帆。オンボロ船と呼ぶにふさわしいものだと感じた。

 海の上にいるかのように船は常に揺れている。自分は船上に誰かいないかと、上を見続けていた。


 力が抜けた人の身体は重い。自分にもたれかかっている恩師を引きずってそう思う。船の側面の一部が開いた。列車の扉のようにスライド式だった。中から溢れる光は街灯に劣らず、それ以上に暖かみを感じるものであった。その光を遮るように正装した人がいた。案内人だろうか。


【中略】

 船内と呼ぶには随分と近代的で、以前このような寝台列車を見たことがある気がする。案内された先はベッドが2つあり、足を伸ばしてくつろげる空間が広がっていた。通路に近いほうのベッドに恩師を寝かせる。文字通り肩の荷が降りるとはこういうことか。


 こんにちは、と話し掛けられた。自分はどうも、と返した。話しかけてきた老人は後頭部には塞がっていない弾痕があった。血は止まっているのか赤黒い空洞がひとつ、ぽっかり存在していた。互いに会釈をして仕切り代わりのカーテンを閉める。


 やはり、ここはそういう場所なんだ。

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