第1話

 眼前に迫った火球を、白髪の少女――“名無し”ネームレスは大きく右に跳んで避ける。

 はずみでなびいた髪の何房かを灰に変え、火球は名無しの背後に消えていった。

 しかしその行動は悪手であることが離れた位置で見ていた私にはわかる。

 動きを読まれていたのか、名無しが着地するのとほぼ同時に次の火球が襲いかかる。

 跳躍の勢いのまま転がろうにも更に次の火球が時間差で迫っていることに気付いた名無しは、回避を諦め左腕を前に突き出した。

 火球が弾け、轟音が響く。

 咄嗟に魔力を纏わせたとはいえ、障壁を張るまでには至っていなかった。

 単純な魔力のみでは、攻撃の意志が込められた魔法に対しては効果は薄い。

 その証拠に、肉の焼けた匂いが風に乗って私の鼻孔をつく。

 火球の連撃はそこで一旦止まった。

 名無しは左腕をだらりと下げ、火球が飛んできた方向を見つめる。

 その視線の先には、火球を放った赤髪の少女が立っている。

 赤髪の少女を見る名無しのその顔には、何の感情も浮かんでいなかった。

 痛みも、苦しみも、怒りも、悲しみも。

 諦めの表情というわけですらなく。ただ、空っぽだった。

 赤髪の少女は、ゆっくりと名無しに向けて歩き出した。

 次の一撃が最後となることを理解しているのだろう。

 名無しの右手にはスピア

 赤髪の少女の両手には短刀ダガー

 それらが、最後の交差を果たし――




『勝負あり! 勝者――短刀の赤エッジ・レッド!』


 よく通る声で、高らかに決着が告げられた。

 戦闘を自動的に判定し、どちらかが勝利条件を満たした際に勝利を宣言する、審判の声ジャッジの魔法。

 その判定を疑う要素は何一つなく、どちらが勝ったのかは一目瞭然だ。

 片や勝者である方の少女エッジ・レッドは傷一つなく、片や敗者である方の名無しは、なんて言うかもう、見るに堪えない。

 端的に言い表すのであれば、ボロ雑巾だ。

 いくらなんでも酷い喩えだとは思うものの、他に言い表せないのだから仕方がない。

 着ている衣類はところどころが焼け焦げてボロボロだし、手にした槍――だったものは、半ばから折れている。それはもはや槍とは呼べず、ただの棒だ。

 露出した肌も裂傷と火傷で、正視できたものじゃない。

 とはいえ、私はその姿から目を背けることなんてできるはずもなかった。

 そこに倒れている名もない彼女は私のために生まれ、私のために闘ったのだから。


『ごめんなさい――』


 そんな声が聞こえた気がした。

 光に包まれて消えていく名無しの、最期の呟き。

 そう聞こえた気がしたのは、もしかしたら私がそう思いたかっただけだったのかもしれない。

 本当は、ただ死ぬためだけに生まれたことを、――呪う言葉だったのかもしれない。

 それとも、そのどちらでもなくて。実際には何も言っていない可能性だってある。

 いずれであったとしても、まもなく消える名無しに対して、私は何も言葉をかけることはない。

 謝る必要があるとしたら、それは間違いなく私の方ではあるのだけれど。

 口は真一文字に結んだまま。

 ごめんなさいなんて、私は口にはしない。少なくとも今は。まだ。


 これが初めてのことじゃない。

 もう、何度繰り返されたのかもわからないこの光景。


 最初は、悲しかった。

 苦しかった。

 辛かった。

 痛かった。

 泣き出したかった。むしろ泣いた。


 そんな負の感情には次第に慣れ――


「……なんて顔してんのよ、あんた」


 ――るわけがなかった。

 多分私は今にも泣き出しそうな顔をしているか、それかもう既に泣いているんだろう。

 何度繰り返されたのかわからない、なんていうのも嘘だ。しっかりと全部覚えている。


 背後から声をかけてきたのは短刀の赤の“宿主”マスターであり、私の友人でもあるカレンだ。

 今この場には私と彼女と短刀の赤と名無しの四人しかいない。

 名無しは、今にも光の粒子となって完全に消えてしまいそうだけれども。

 駆け寄りたい衝動に駆られ――しかし、それをぐっと抑える。

 倒れた名無しまで、あと数歩の距離。それ以上は近寄らない。

 私はカレンには目を向けず、最期を迎えるその時まで、じっと名無しを見つめていた。


「これじゃあまるで、私が悪いことしてるみたいじゃない」

「……そんなことないよ、いつも感謝してる」


 名無しが消え去ったのを見届けてから、ようやく私はカレンに振り返った。

 カレンは呆れたような顔をしていたけれど、それもいつものことだ。

 ありがとう、と小さく言って、私はカレンから顔を背ける。

 名無しが消えた後に残されていたのは、半ばから折られた槍だけだった。

 それをした短刀の赤にも、その宿主であるカレンにも、含むところは何もない。

 何度経験しても慣れないだけなのだ。

 私の相棒パートナーになったかもしれない――しかし実際にはそうなることのなかった、“残骸”ダストの最期を看取るのは。

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