第15話『お嬢様、お食事の準備を済ませますので』
二人は玄関を上がり――アルヴァはある程度部屋の汚れを確認しながら――キッチンへと脚を運ぶ。
幸い、案内された調理場は意外にも清潔だった。コンロに少し埃が溜まっていたが、丁寧に拭き取れば引火する恐れはないだろう。
アルヴァはアイラ嬢に丁寧にお辞儀を執ると、そそくさと作業に取りかかった。トランクを開いていくつかのロックを外すと連動してギミックが作動し、目的のブツが引き出される。
いろいろ持ってきておいて正解だった。
あの頑固というか色々マズいお嬢様に教育者として、まずは生活習慣から直してもらおう。
軍服の上着を脱いでワイシャツ姿で腕捲りすると、流れるように台所周りを清掃。
キッチン周辺の掃除を応急処置程度に片付けた後、さっそく買い出しへ向かう。
駅から屋敷につくまでのあいだに道は覚えたので心配はいらなかった。
さきほど植物園の奥で清流の流れる音が聞こえたので、川魚の一つでも取れるだろう。丘を下れば露天商もあるし、買い物には便利だ。
十分ほどで完走し、食材を調達。帰宅するとすぐに調理へと移った。
かなりの量を買ってしまったが、身体機能をフル稼働させればこのくらいどうということはない。
愛刀をナイフに持ち換え、見事な包丁さばきで食材を刻んでゆく。
肉に柔らかみを求めるための下ごしらえ。煮崩れしないよう、野菜にも一手間加える。
リビングで面白くなさそうに静観している少女を尻目に、つぎつぎに料理の段取りが整えられる。
30分後、テーブルクロスの取り替えられた食卓の上には、時間に反比例した豪勢な料理が並べられていた。
「……すごい」
「お嬢様の分も用意させていただきました。よろしければどうぞ」
「いや、これ完全に二人分の量を超えていると思うわよ……?」
「当たり前です、お嬢様のために栄養あるものを取りそろえましたので」
疲れを感じさせない、晴れやかな笑顔で勧める。会話が微妙に噛み合ってない気もするが、疲れているアイラには関係無かった。
さすがに料理を前に断るわけにもいかず、アイラはしぶしぶといった調子で椅子へ座る。
一番手前に置かれたのは香ばしい香りの漂うステーキだ。
「……私、こんなに食べられないわよ」
「ご安心ください。食べてみればわかります」
なにが安心なのか、青年の笑顔に気圧されては後に退けない。
肉を細かく切ろうとナイフを入れる――が、切るというよりも落ちたといった方が正しいくらいに肉が柔らかみをもって薄く汗を流す。
うっ、と口が歪んだのは気のせいだろう。
正直、あまり脂っこいものは食べられないのだが。おそるおそる口に運ぶ……。
「はむ」
口に入れた途端、肉が溶けた。さっぱりした味わいに頬肉がとろける。
「…………おいし――?」
言葉の端に首を傾げたのは、その食感が予想だにしないものだったからだ。見た目によらずアッサリしている。肉と言うにはどちらかというとマグロに近い。
「その肉はダチョウ――陸上歩行を旨とする乾燥地帯の鳥を使用しました。牛や山羊と違って少量でもタンパク質をしっかり摂ることができるんですよ?」
ヘルシー食材として名高く知られているそれは、プロテイン並の低脂肪・高タンパクかつ、低コレステロール。トレーニング中のアスリートが好んで食べることも多いという。
なのに、脂肪分が少ないので口当たりがすごくあっさりしている。どことなく馬刺しに似ているかも知れない。
臭みも驚くほどになく、全然しつこくない。
専門店では本当に刺身として出されるほどの豊富な水分とさっぱりした味わいが特徴的だ。
串を壁に刺して焼き上げることで、余分な脂が下に落ちて油っこさを緩和させている。
さらに柔らかさを増し、塩ごま油とにんにく醤油の二種ダレでさっぱりした食感を与えてくれる。
火を通すと生肉と比べて若干のクセが出てくるがバターの風味がとても合っており、ジューシーな肉質は食べ応えあって満足感の高い味わいがある。
ダチョウは食用の他、オーストリッチの革製品の原料となったり骨からは良質なスープが取れたり、羽は羽毛の材料になったり装飾品になったり脂は化粧品にもなる。
さらに角膜や脚の筋は医療に応用できるか研究が進んでおり、全身余すところなく活用できるのだ。
と、軽く解説をしておくが。少女の耳には届いていないようだ。夢中で頬張っている。
その表情たるや、さきほどのお怒りガールは彼方である。
「……」
ギルドに入隊して、わずか三ヶ月だったか。まだ年端もいかない少女が隊長職を務められるわけがない。
それは決して彼女の実力を見くびっているのではなく、単純な身体面の問題だ。
まだ成長も不完全なのに負荷を掛ければ、それだけ体も融通が利かなくなるというもの。
おそらく、その一端が拒食症だろう。口ぶりからしてあまり食事を摂っていないらしい。
料理を前にした渋みの顔、典型的な初期症状だ。食べ物の匂いや味、ひいては見た目によって発作を起こすこともあると聞く。
だから、固形物が食べられないのだ。軍の支給する合成なんちゃらはゼリー状をとって、いつ何時でも摂取可能に調整されているが、それは緊急時の場合のみ。
普段からしっかり食事を摂り、英気と栄養を養わなければ、成長するものもしなくなる。
幸い、症状は軽い。ならば、胃を刺激しない程度に調整を加えれば良いだけのこと。
「ちなみにデザートにティラミスをご用意しています。ティラミスにはもともと活力剤として軍で重宝されていたんですよ?」
なんの活力かまでは口にしないが。美味しければ細かいことは気にしない。
「……」
だが、そこでアイラのフォークがぴたっと止まった。突然食事の手を引いて、アルヴァの瞳を見つめている。
「どうされました? ――まさかっ、お口に合いませんでしたか……っ!?」
「あ。いや、そうじゃなくて――」
途端アイラが言い淀んだ。その頬を湯銭後のためか、薄赤く火照っている。
反応の意図がわからにアルヴァは思わず、首を傾いだ。
「その……っ、アンタも食べなさいよ」
聞いて、驚いたのは青年だ。きょとんっと予想外の発言に、少々目を丸くする。
でもすぐに、従者の鉄仮面を被り直した。
「ああ、いえ。俺はお嬢様の食後にひっそりと頂きますので」
オレと彼女の関係はあくまでグレー。
表向きは彼女の許嫁? になるのだろうが、実際は明確な主従関係で成り立っているだろう。故に、演技する必要のない屋敷内で、親しく接しろというほうが恐れ多い。
「――」
なのにアイラは一瞬オレを睨んで立ち上がった。青年のもとへ近づいた。
不意の行動に、アルヴァは動けない。頭一つ分背の低いアイラが見上げるように彼を眇めて、短く息を吐く。
「いい? ここではアンタと私は対等! 仮にも、許嫁として任務に当たっているなら、周りに怪しまれないよう普段から演じ続けなさい」
指をつんと突きだしてくる少女に、青年は珍しく圧倒されている。
「わかった?」
「お、オーケー、レディ」
「よろしい…、だったら、ほら――」
鼻を鳴らして渡されたのは、スプーンだ。アイラが傍らの椅子を軽く叩いて促す。
ここまでされて断るわけにもいかないので、おずおずと椅子を引いた。
「……では、いただかせてもらいます」
「あと、敬語も禁止」
追い打ちを掛けれる。
「いえ、ですが――」
「いい?」
「……、わかったよ」
食卓の彩りに連れるように、少女の頬が僅かばかりに緩んだ気がする。
☨ ☨ ☨
夕食を執ったあと、青年は少女から2階の一室をあてがわれた。そこが青年の寝床である。
突き抜けの階段を驚嘆混じりに
廊下から裏口に出れば、そこには各フロアへ繋がる煉瓦敷きの中庭がある。
「ある程度綺麗だとは思うけど、不便だったらいって」
そういってみるアイラだったが、留守のあいだ家事をしてくれる従者たちには全員、先月暇を出している。そのせいか、一月半も換気をろくに行っていなかった部屋はなかなかに埃臭い。
「お気になさらず。この程度なら前の何倍もマシです」
すっかり、とは言わないまでも遠慮を取っ払ったアルヴァは本心から応えた。なにせ彼の根城といえば、閲覧注意案件に等しかった。
「それじゃあ。アタシは寝るから」
「ええ、お休みなさいませ、お嬢――アイラ」
演技とはいえ、ある程度の猫は被っているままだが、半目で指摘される。
つい、敬語を使ってしまう青年にジト目を垂らしながら、少女が扉を閉めた。
やっと一人になった青年は、緊張の糸を解いて小さく肩を落とした。
部屋をぐるりと見回して、場違いな扱いに苦笑する。
窓を開けてすっかり日の暮れた景色を眺める。何日ぶりかの休息にぼーっと意識を凭れさせた。
ここでオレの新たな生活が始まる――。
似合わない感慨に浸りながら、けれどもと今後のことに想いを馳せた。
我が主人はすこしせっかちで危なかっしい節がある。戦闘しかり、健康面においてもいろいろと教えなければならない。
そういった点を享受してやるのも、偽りの許嫁兼教師として派遣された自身の仕事であろう。
「明日から軽く捻ってやるか――と、そのまえに」
視界の脇下に見えた花壇。土が剥き出しで、以前植えていた植物が枯れてしまっている。
メイドを罷免していたのは計算外だった。最低限の家事は行っているように見受けられるが……淡い期待だったようだ。そもそもここ数ヶ月家に帰ることは稀だったらしい。それだけ多忙ということだ。
食事もまともに取っていないことは痛い。きちんとした栄養摂取もまた仕事のうち。休養も同じくらい重要度が高い。
「やれやれ教えることが多くなりそうだ」
重い腰をよっこいせと起こして、青年は掃除道具を片手に勤しむのであった。
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