第14話『屋敷』

 その後は察しの通りである。なんとか取り繕いで即行罷免だけは避けたものの、いまだ我が主人は激おこである。


「お、お荷物お持ち致しましょう」


「こんなもの自分で持てるわよ! だいたい、その口調辞めて。イライラする」


 と、まあこんな感じでいくら話掛けようとも辛辣かつ理不尽な物言いが返ってくる始末。しかしアルヴァはめげない。


「これは失敬――いや、改めようお嬢様」


「ムカッ、お嬢様も禁止。あんな公衆の面前で……」


「しかし――」


「次呼んだら××す」


「だからお嬢様っ! それ放送できないやつだから!」


 公爵令嬢の予想外な発言に頓狂しつつ、全力で相応しくない発言を阻止する。


「もっと気品を持ってくださいましっ」


「いやよ、ばーか」


「……」


 殴りたい。今すぐに殴りたい。ていうかオレ何もしてなくね? 悪いのあのロリババアじゃね? 


「わかりましたよ、アイラさま」


 煮えくりかえる思考をなだめつつ、懸命に紳士の仮面を張り続ける。



 相手は子ども、まともに取り合うほうがおかしい。ここは彼女の機嫌に配慮してわがままを聴いてやるのが大人の対応というものだろう。



 諦めて名前で呼ぶと、ようやくひとつ満足したのか石畳のメインストリートに華やかなステップが鳴った。



 道に脇には水路がところどころに広がっており、こまやかなせせらぎがそこかしこから聞こえてくる。



 どこを歩いても目に入るのは、彼方に聳え立つ巨大な塔だ。グリムペロー街区は迷宮区にほど近いことで有名な町だ。



 劇物紛いの令嬢貴族にひやひやしながら、駅を出て十分ほど。駅を直進する道並みには住宅街が広がり、声を張る露天商や曲芸を魅せる芸者も夕空とともに帰り支度を始めていく。



 街歩く人々はどこもかしこも気品のよさが溢れて、アルヴァは今更ながら自分の場違いさに気づいた。



 普段は立ち入れないような高級住宅街の路地をほえーと感嘆混じりに眺める。少女が傍らでジト目がちにこちらを見てくるが気にしない。



 石敷の丘を上がり、そこからさらに左に曲がる。ずいぶん駅から遠ざかったがはたしてお嬢様の住む屋敷とはどのような大きさなのか。



 街外れともとれる場所でまずはじめに見えたのは、大きな鉄格子の門と、溢れんばかりの緑だ。先っぽを三角に切り揃えた塀の包囲網には先が見えない。



 さきほどの華やかさとは一変した静かな雰囲気は、夕暮れの空に包まれてある種の神秘性を放っていた。

 これが我が主の住処――。


「にしてもデカいな……」


「ただのコテージよ」


 ガチャン、鉄格子が重々しくひらく。植物の蔦を巻き込んだそれは所々錆びていた。


「早くしないと閉めるわよ」


 今なら本当に閉められてしまいそうなのでそそくさと中へ入る。アイラの傍らに連れ立って、中を進む。



 門を潜ってもすぐに建物が見えるわけではなかった。庭が森にでもなっているのか、鬱蒼と生い茂る緑や、色鮮やかに咲く花はどれもがみな学術的に貴重なものばかりだ。



 まるで自然に溶け込むかのように、家は緑の侵食を阻まない。

 赤煉瓦の道は植物に犯されて、少女を目印にしないと迷子になりかねない。



 造もずいぶんなメルヘンで、そこかしこに馨る花の蜜とガーデンアーチを潜るのは、お伽の世界へ誘われるような心地になる。



 もともと街区一帯は川を中心とした流水地帯なので、当然お嬢様の庭にも小川が流れている。



 これのどこがコテージだ、どこが。

 何度目かのアーチを潜り、ようやく煙突の先端が見えてくる。



 緑を抜けると、やがて訪れたのはこぢんまりと慎み深く佇む一軒の家。うむ、たしかに建物だけならコテージと呼べるだろう。



 だが一歩を後退った視界をずらすと、遠巻きからでもわかる芝生の平地。あそこで普段トレーニングをしているのだろうか。三々五々に土の削りが目立つ。



 そこではてと、アルヴァは首を傾げた。建物のなかに、ひとの気配がない。


「使用人の方たちが見当たりませんが?」


 明りひとつない屋敷を見上げて、彼が訝しむのも当然。



 通常、従事とは主人に付き従う者。

 主人が帰ってくるとわかるや否や、門前で裂をなす家もあるという。


「いないわよ、そんなの」


「……………はい?」


「先月いとまを出しました。私には必要ないので」


「では部屋のお掃除は? 家事はどうなさってるんです……っ!?」


 ぽかんと口を開閉した。さきほど歩いてきた道のりを振り返る。

 いくら建物がコテージサイズとはいえ、庭はその限りではない。この広さなら4人、いや最低でも5人は必要なはず。



 一人暮らし? この家で? マジか。とアホな思考でしか感想が上がらない。


「キッチンと自分の部屋意外は使わないので、おそらく彼女達が去ったままよ。わりかし綺麗なはず」


「……え」


「大丈夫よ、私もここ一ヶ月は帰っていないし――」


「……え」


 なんだろう。どこかで似たような会話をした記憶が…。というかヴァンキーラ家っ。みんなこんな感じなのかよ。


「――ちなみにご夕食は?」


「――――、あ」


 黙ちゃったよ。口開けてあ、みたいな顔すんじぇねえよ。

 おいおいマジか。メシないのかよ。


「――し、知らないわよそんなの。自分で勝手に作って。私にはこれがあるから」


 そういって彼女が取り出したものは、銀色のビニールパック。確かギルドで支給される合成栄養物とかいうやつだ。

 栄養を取ることだけを重視したそれは、控えめにも美味しいとはいえない。

 そしてなにより驚くのは、決してアイラがそれを強がりで言っているわけではないことだ。


「……ほ、本気でおっしゃっているのですかお嬢様?」


 唖然とする。開きかけた口を呑み込んで、目を細め、ため息を吐く。眉間に皺を寄せ、目頭を軽く揺すると、凝り固まった疲れが沁みる。

 主になったばかりだが、早々に今後が思いやられる。


「――調理場はお借りしても?」


「別にかまわないけれど」


「では――」


 お嬢様は湯浴みを済ませてきてください、そういってにこりとはにかんだ。

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