第13話『黒蝶のロリータ』

 ……で。


「ちょ、待ってください! お嬢様ぁーっ!?」


 青年を乗せた列車がようやく目的地の駅に着いたのは、カルナを発してちょうど半日を過ぎたころだった。



 予定より大幅に遅れて揺れから木椅子から解放されたのも虚しく、気分は冴えない。

 傍らにご機嫌斜めの花を連れているのだから、当然ともいえる。


「こっちくんな、エセ紳士!」


 ……間違えました、斜め前です。

 エセっ!? と通行人が訝しげにオレのほうへ目を送ってくる。なにやら女学生とみられる少女たちがひそひそ話を始めるが、こちらを視ながらとはタチが悪い。



 聞こえてますよレディ達、こら女好きのタラしとか言わないっ!

 駅周辺であるため、人混みは決して少なくないのだが、お嬢様は気にしてないようだ。


「風評被害は辞めてください。でないと、社会的に死にます」


「○ね」


「ちょ――、令嬢貴族さん!?」


「うるさい話しかけんな」


「無理です」


「なら帰って」


「それも」


「――ツっ」


 思いっ切り舌打ちされた。つい出てしまったものではない。明らかに音を出す舌の打ち方。やれやれ、これは相当嫌われたなぁ。



 控えめに後に続きつつ頭を掻くしかない。すっごい剣幕で睨んでる。



 アイラ嬢がんなぜこんなご立腹であるかというと、ここに着く前にちょっといろいろあったのだ。 

 そしてその色々が、とある人物の爆弾だった。




   ☨  ☨  ☨




 一件はこれより数時間前のこと。



 無数のクロヒカゲが織りなしたシルエット。ひらひらと集まったそれは、みるみると形を整えてひとりの魔女が舞い降りた。



 少女に見まがう容姿は、爪先から天辺まで黒に調和したゴシック調のドレス。爛漫と咲くクロユリの花が優雅に佇んでいる。

 つい昨日謁見した上司の姿が、そこにあった。


「お、叔母さま!?」


「えっ!? アイラの叔母さま……って、あのエリザード・ヴァンキーラ!?」


 傍らの親友の声さえ通らずに、アイラの目は大きく見開かれていた。

 閉じていた瞼がゆっくりと開き、現れた少女が微笑んだ。


「やあ、アイラ君。久方だね」


 妖しげを含む妖艶な笑みは、猫のそれに似ている。ドレスの黒とは裏腹にその肌は日を反するほどに色白く、とても人のもの思えない。



 なぜ、叔母さまがこんなところに? 

 普段滅多に顔を見せない叔母の来訪にアイラは戸惑いを隠せない。



 他のメンバーも同様で、それぞれが緊張した面持ちで身を正し始める始末だ。

 騒ぎを聞きつけたギルドの団員たちが次々と群がってくる。


「見ろっ。彼の名高いエリザード様だ!」


「五大貴族の現当主がどうしてここに?」


 先だっての少女も同じ心境で、小走り目に叔母の近くまで寄る。


「叔母様、いったいどうなさったのです? わざわざこんなところに……」


「ああ、別にこれはただの幻影さ。ちょっとばかり術の入った紙を彼に持たせていてね」


 くいっと指で差されて驚いたのは青年だ。一同の視線が一気に集まり、妙な気迫を感じた。



 途端、眉を歪めたのはアイラだ。察するに、彼は叔母の知り合いなのだろうか。青年と会ったのは偶然のはずだが、アイラにする説明とはいったい……?



 少女の表情を汲みして、エリザードの口がにいっと弧を描いた。そんな上司を冷ややかな笑顔で見つめていた。なぜかぷるぷると拳を振わせながら。




 ――こりゃ、荒れるわ。




 諦めの境地にいたり、天蓋を見つめる。

 そんな表情の彼に、アイラはますます顔を歪める。



 それがさも愉快だと言わんばかりに、猫が笑う。まったく、この場でなければ消し炭にしていただろう。


「彼は鬼灯ほおづきアルヴァ。訳あって君のフィアンセとして扱っているよ」


 万時して、猫が告げる。青年はすこし先の未来を想像して、思いを馳せた。

 ああ、今日も空は蒼いなぁ。


「――フィ」


「「「「フィアンセ!?」」」」


 一同のどよめきが響き渡るころには、青年の頭の中は真っ白であった。ただ風に揺られる草木のように無気力を貫く。


「お、叔母さま、それはいったいどういう――」


 驚きが通り超して逆に冷静になったアイラが、目を回しながら聞き返す。

 だがそんな姪っこに女当主は身じろぎしない。


「悪いけどこれは命令だ。言っただろう? 僕だって君の意見を尊重したい。そして君は期日までに答えを出さなかった。だから僕がわざわざ用意したのさ」


 婚約話のことだろう、うぐっと口を噤むアイラを無視して、女当主は話を続けた。


「それと次いでとして言っておくよ。悪いけどこの部隊は今日をもって解散。成人前の団員は、全員等しく迷宮学区、、、、へ来るように」


「――なっ!?」


 少女たち、ひいては背後のべつの団員たちにまでも衝撃が奔る。どよめきが再度あたりをうねった。さすがに理解が追いつかないのか、アイラの顔がぎりっと威を帯びた。


「お待ちいただけないでしょうか、エリザード様」


 しかし啖呵を切ろうとした少女の肩を、固い手の平が抑えた。彼女の上司である壮年だ。皺のある指に制され、アイラはおずおずと退き下がる。


「そのような突然の話。いくらヴァンキーラの当主といえどやや横暴すぎるのでは?」


「悪いけれど、これは決定事項だ。多分、そのうち通達が来るんじゃないかな。エリュデューゲン内の全ギルドに招集が掛かっているはずだよ?」


 細い目を眇めた壮年に、女当主は物怖じひとつしない。代わりに、くるくると回るアンブレラが幼気に表情を見え隠れさせる。



 傍らの青年から漏れる若干の殺意を意に介さず、わざとらしく言葉を続ける。


「なーに、その他の団員には後日指示がでるさ」


 そう締めくくり、くるりと踵を返す。ことのつてを言い終えた上司は、自分の目的がすむとすぐに立ち去りたがる。


「あ、あの…叔母上さまっ!」


 だがそれを血縁の少女に妨げられた。聞こえないほどのため息をはいて、振り返る。


「なんだい? 僕は質問には答えるよ」


「あ。えっと……」


 エリザはそういったが、アイラは知っている。このひとは自分の興味のあるものにしか発言を赦さないことを。そして、自分にその権利がないことをアイラは自覚していた。



 せっかく飛び級をしてまで努力をしたのに。どうして自分の行く手を阻むのか。

 アイラには問い詰める権利があった。でも意を決して発した声は、口にするまえに霞んでしまう。


「その、――やっぱりなんでもありません」


 言いたいことは溢れるほどあるのに、それを言葉にはできない。本当はもっと、いっぱい話をして貰いたいのに。結局なにも伝えることができないまま、あの人はいってしまう。



 人知れぬアイラの憂いを叔母である彼女はどう受け取ったのか。僅かな瞳の揺れも見られず、唇だけが弧を描く。


「そうかい? なら、僕はこれで失礼するよ。……それと、そこの間抜けた使用人も君がいらなければ、いますぐにでもクビにしたまえ」


「――は?」


 そこで無心になっていた青年――アルヴァが上司を睨んだ。

 ねえねえ、俺の扱い酷くない?

 うんうん、全然普通だよ?

 神がかり的なアイコンタクトで睨みを効かせる青年に彼女はうんともすんともしない。


「どのみち君に拒否権はないさ。僕だって有能な人間を意味もなく遊ばせないよ」


 けろっと表情を崩さず応える上司に、再三ため息を吐いて肩を落とした。


「じゃあ僕はこれで失礼するから。後のことは任せるよ」


 そうアルヴァに投げかけて猫を象る黒い蝶が飛散する。

 後に残ったのは重苦しい空気だけ、いつまでもたなびいた。


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