第26話『密林の影』

「――で、なんでこうなったの……」


 すこし不満げな声が鬱蒼とした森に響きわたる。



 アイラ・ヴァンキーラは静かに呼吸を整えた。神経を尖らせているのである。――抜剣していた。ベージュに翻ったスカートが、白い太股をしならせる。

 鳥の声が聞こえる。朽ちた倒木や森の歴史が、地面を乱雑に散らかしていた。足を取られないよう留意しつつ、相手の出方を待つ。



 見えない太陽がアイラの身長よりも数段高く林立する木々のあいだから差し込む。

 苔をまぶした木肌から匂う水分の艶めかしさは、ここがあの白い巨塔のなかだということを忘れさせる。



 迷宮区第七層、奥部おうぶ。フィールド全体が深い森に囲まれたそこで、少女はひとりだった。正確には、後方にのほほんと待機している奴を除いて。


「お嬢っ様~、はやくしないと夕飯に間に合いませんよー」


 呑気な声を伸ばしてくるのは、アルヴァである。剥きだした根に腰を落ち着け、優雅にくつろいでいる教師フィアンセを無視して、少女は眼前の《敵》に集中した。



 狭い獣道の向こう、奇怪な影が林立している。一見してみるとそれは人のようにも見えるが、吹き抜ける光から見えるのはそうではない。

 ざらざらした肌とうねりをみせるうでと乾かしを忘れた髪のごとく枝分かれした



 下級ディーヴァであるウェイトマンが、特徴的なその姿で数体林立している。人型のようなシルエットから動く木人形としてギルドの練習台に使われている、馴染みのモンスターだ。



 普段なら造作もなく瞬殺できる相手であるが、ここは迷宮区。油断は出来ない。

 そのくせ、アルヴァからの宿題が彼女をさいなませていた。



 曰く、マナを使うことなく殲滅せよ、と。

 すでに最初の三体を屠り、残りは二体。

 あと一歩踏み込めば、四体目の索敵範囲に入る。


「頑張ってくださぁーい」


 背後で声援を送る従者をジト目がちに睨みつけながら、残る一歩を踏み込む。

 アイラに気づいた一体がうねった樹足をひくつかせた。


「キエエエッ!!」


 のどもないのにどこからそんな声が出てくるのか、感心しながら二歩下がる。

 凸凹した木腕が蔦のようなしなりをたてて、まっすぐに振り上げられた。

 L字方のうでは無骨な木剣へと繋がっており、そこから繰り出される剣技は警戒ものである。

 対して、アイラは構わず足めがけて一閃。当然、頭上の剣は止まらない。



 だが彼女の愛刀は二振りあった。



 樹足に左刀を放ったのと同時、放たれた片振りの動きに結ばれた細引きがピンっと張り詰めた。右手から滑射した右刀は円弧を描きだし、そのまま木剣の反りを直撃する。 

 マナを纏ってないため破壊こそできないものの、足を貼り付けにされ、態勢を崩した木人はアイラの方向に倒れ込む。軽く避けて、左刀を引き抜くと詠唱を口ずさむ。


『なぐさみに吹け』


 声とともに、あたりの気流が変わった。アイラの得意とする風の神聖術。突風に似た渦の塊は風素。それを剣に触れて、纏わせる。



 風の加護を得た刀身は少し力を加えただけで足元の木人を粉々に削り取っていく。ふんっと最後まで振り切るとたちまち真っ二つになった。 

 それを片手でやってのけながら、手ぶらなもう片方でまだ接敵していない最後の一体に照準を合わせる。


「燃えろ!」


 詠唱がめんどうで、とりあえず叫ぶと、力はかかるが緋色のエレメントがウェイトマンを襲った。


「キュルエェェ!?」と気づいたときにはすでに遅く、熱素が薪にありついたと言わんばかりにその身体を蝕んだ。


 木人はそこで体力尽きたのか、力なく崩れおちると断末魔とともに霧散した。


「おみごとっ」


 それを最期まで見届けると、背後からぱんぱんと拍手が送られた。腰を上げたアルヴァがいつもの笑みでアイラを称える。

 それに釈然としない眼差しを返して、緊張を解いた。拓けた先から漏れる光が、回廊の終わりを告げている。


「だいぶ板についてきましたね」


 傍らまできた青年がそういったのは、アイラの手に握られた二刀を指している。なだらかに波打った反りは以前とは少々出で立ちが異なる。

 つい先日、市場で強化グレードアップを施したのだ。青年の設計をもとにした魔改造が。



 まず目に付くのは両の柄を繋ぐ細引き。麒麟の眉から作られたそれは、マナに反応して自由に伸縮することができる。

 そして、特性それを活かした変幻自在に繰り出される剣技は圧倒的だ。先程の攻防を一挙両得とする動きもこれによるものでる。

 その機能性は、実際に扱っているアイラがそれをよく実感している。


「――ま、使いやすいけど」


 しかしそれを素直に述べてやるほど、少女は大人ではない。素っ気なく応えるのが、従者に対する主人の威厳というものだ。まあ彼には微塵も通用しないのだが。


「それならよかった」と笑顔で返されるのがオチである。


「しかしお嬢さま、サボりはいけません。オレがなぜマナを使わずにと条件付けたかお忘れで?」


「いいでしょべつに。神聖術はマナ使わないんだから」


「オレがなぜ、条件付けたのかお忘れで?」


 二度目の文言に、うぐっと口を噤む。これはお説教タイムの合図である。ここで素直に返答しないと、どんな課題ペナルティがあるかわからない。


「マナを使う以前に、新しい武器と戦闘スタイルに慣れるため……」


「よろしい」


「でもっ――」


「こほんっ」


「……わかったわよ」


 なおも食い下がろうとするアイラであったが、そこは年上の青年が一枚上。咳払いひとつで収めてしまう。

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