第6話『享楽者』

 飛び散っていたはずの肉片が小刻みに振動した。ガラス片じみたそれは、一度溶けなおすように液状になって、繊維状に伸びる。別の破片を見つけると、それぞれ引き寄せるように近づいてくっついた。荒れ地の魔女もびっくりの泥人形だ。一回り大きさの増した塊はさらに別の小物を取り込んで、融合を続ける



 固有スキル、《再生》。



 いっても、グール自体の再生能力はそれほど高くない。一日に再生できるのは、精々片腕程一杯のはず。単体でならさして問題にはならない――が、グールの捕食したものが有機物だった場合、話は別だ。とりわけ肉を喰った個体はマズい。

 純粋なタンパク質を取り込んだグールの再生能力はぐんっと跳ね上がり、馬鹿みたいに殺しづらくなる。数年前の掃討戦において、その能力の為に多数の死者も出したほどだ。

 だが俺でさえさえ予想だにしないことが起った。

 両脇にあるもう一体のグールの遺骸。その体液を頭から被っていたはずの衣服が乾き始めたのだ。

 いや正確には違う。身体を取り巻いていた体液が引き剥がされたのだ。液状の黒水が宙を歩く。

 バカなっ。青年の被った体液は上空から落ちてきた個体のもの。別個体の組織移植は不可能なはずだ。

 だが急速に再生していくソレを視て認めざる終えない。

 黒い残滓は剥き出しの筋肉を痙攣させている。残った右腕の断面から筋肉が繊維を飛ばし、最後の切れ端と切れ端が絡まり新たな肉が結合される。最終的に大きな黒いスライムのような形をとった肉塊は内分裂のようにぐねぐねした後、もとの際立った形状を取り戻した。

 心なしか一廻りサイズアップしたようにも見ええる。

 有した時間は僅か三秒。早過ぎる。無防備な少女が態勢を整えるにはあまりにも短い。


「なっ!? しまっ――」


 だから、アイラが俺の意図を悟ったころにはもう、復活したグールは爪鎌を振り上げんばかりだった。


「グルオオオッ!」


 獣染みた雄叫びが戦乙女の鼓膜を打ち抜ける。咄嗟に守りに入るが遅すぎた。あまりにも至近距離なうえの近接――打撃と斬撃、両方の威力をもつ巨腕に抗う術はない。

 少女は相手を見誤っていた。


「――――あ、」


 悲鳴を上げる猶予すらない。本能的に悟った死が迫る。

 グールが嘲笑うかの表情で決定打を振り下ろす。直径60センチの巨腕がつくる、ミキサーの如き風圧に心停止する。耐えきれず足が崩れ落ち、尻餅をついた。


「そのままいろよ。お嬢様」


 可憐な頬が潰れる寸前、不意な声音に首を傾げた。瞬間、視界が白漂する。

 冷気が空に満ちる。空気の熱が極下がり、コンマ時間が停止する。

 振り下ろされた手腕は少女に届くことは出来なかった。 

 空間が停止するほどの凍結、凍えを超えた急激な温度変化に世界が反応を鈍らせた。視界の斜め左、少女の額から僅か10㎝ほど離れたそこで、巨腕が動きを止める。

 限界まで振り絞っていた筋肉が発揮できずにびきびき血管を沸騰させるが、悪あがきにもならない。

 まるで見えない壁に阻まれたように、ぴくりともできないのだ。

 風圧だけが少女を襲い、ブンっと凪がぎる。

 強ばって目を閉じていた少女はその違和感にたじろいだ。来るはずの痛みがない。おそるおそる視界を広げる――が、目を開けようとすると痛みが走った。



 網膜の水分が一瞬にして冷え固まるような、寒さ。アイラは、それが凍えだということに始め気付かなかった。



 すぐに瞑って、今度はゆっくりと瞬く。目尻の水分がパサっと頬を滑り落ちる音がする。拡げると、あたりが薄白く染まっていた。


「き、霧……?」


 爪先から耳の裏にかけて、ぴりりとした。身体からどっと熱が灯る。ひどく寒かった。昼時も言い頃合いだというのに震えが止まらない。

 唇を解いた吐息は白煙となり、いったいなにが起きているのか。

 戸惑うその頭上に一滴の雫が滴る。視線を上げて眼を疑った。


「……、え?」


 当惑と唖然が同時に湧き上がり、無意識に声を漏れる。

 脚元には、白銀の茨。どこからか現れたのだろうか。まるで本物の植物のように根を這ったそれに圧倒される。精巧な飴細工に沿って流れると、グールの巨体が半身を縛られるように、氷に覆われていた。

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