第7話『奇行種』
一瞬でそうなったのか。醜悪な表情にひとつもほころびがない。理解が追いつかなかった。
いま、油断して化物に殺されそうになって。それで――
「生きてる……?」
目の前に広がる
「――まったく。何やってるんですか」
口をぱくぱくとひくつかせる乙女の鼻孔に、温かみが灯る。吸い寄せられるように、その影をみる。
先ほどまでのだらけた態度を封印し、青年は爽やかに微笑む。
三白ぎみの眼が視点を合わせる。未だパニックの頭に、それ以上のことはできない。
セットなんてしてないのに妙にまとまりのある黒髪。おおざっぱのなかに妙な繊細さを感じるのは、整った顔立ちのせいだろう。
闇色の軍服を見事に着こなして、大人びた落ち着きさえ払う青年。
寝不足なのかそれとも単に垂れ目なのか、どこか気怠そうな表情をちらつかせる青年に、無意識に見惚れてしまう。
純白の氷腕が奇麗だと思った。
「オ……オ、オ゛オ゛オ゛~~~~~っっ!!!」
術者の存在に気付いたのか、グールが怒りを露わにした。だがいくら足掻いても、爪が彼を八つ裂くことはない。そう思わせるほどに青年の表情は余裕である。
実際、氷は何度か軋みを上げるがそれだけだ。ぎちぎちと危機感を与えるのに一向に砕ける気配がないのは、故意でのことか。だとしたらタチが悪い。
グールも察したのか悔しげに喉を鳴らして牽制を取る。
どうやら、これは彼によるものらしい。油断した私にグールが手腕を振り乱そうとした手前で凍らせたのだ。
にっこり笑う怪しげな貴公子に、少女は呆然とするのみだった。
「――あ……」
生きた心地がしない。脚が震えて、立ち上がることもままならない。死への恐怖が一時的に彼女をそうさせた。脅威自体は真横で氷浸けにされているが、それも亀裂の一つ入れば、いまにも動きだしそうなほどで安心できない。
アイラとしては一刻も早く距離を取りたいが、まだ充分に落ち着かない思考がそれを許さない。
青年一点だけにどうしても意識が逃避してしまう。
青年は慈愛に満ちた微笑を向けてかつかつと靴を鳴らした。歩きながら、彼は右手に嵌めていた手袋を外し、手を掲げる。少女の視界を呑み込むように目標を捉える。
蠟を連想させる真っ白な素肌を晒し、親指と中指が擦れ合う。
氷の粒子が視界を駆けグールの身体を包み込む。先程の拘束とは違い、単純な凍結を目的とした熱冷は完全に怪物を覆い、氷像と化した。
「――失礼、お気を付けを。
「ふえ?」
パチンッと指が鳴る。グギャギャと小うるさい鮫岩の頭を捉え、魔力が熱を帯びる。
雷鳴の如く茜の稲妻が迸る。
愛刀が天命を絶えす寸前の美のように、化物を閉じ込めた氷壁は内側から爆散した。
ポップコーンを連想させるそれは、本物と相まって弾け跳ぶ。
そして、その破片は少なからず周辺を巻き込んだ。
「え」
小首を傾げる戦乙女の鼓膜に、パアンっとした音が弾ける。
爆発染みた突風を浴びて、ひょっとしたら破れたかもしれない耳を押さえる頭上に刹那、多量の氷片が雪崩となって押し寄せた。
「きゃあっ!?」
急な視界漂白に頓狂な声を上げるが、不幸は重なる。開いた口に流れた氷が入り込んでしまったのだ。
「ちょっと、なにすんのよ!」
「ええ、ですのでお気をつけをと申しました」
げほげほと悲鳴を上げた目線からは、覗き込むように青年を見詰め返していた。
溶け出した氷ですっかり濡れてしまった彼女は、恨みがましく睨み付ける。
「ふふ、大丈夫ですか?」
年相応の反応が意外だったのか、青年は微笑を浮べて手を差し伸べる。
眼尻をつり上げたまま、少女はその手をとって立ち上がろうとする。だが、脚が動かなかった。力が抜けたように再びその場にへたり込んでしまう。
身体が崩れるのを支えるように背後からの温かみを感じる。
背中越しに伝わる広い胸板の冷たさが茨のように鋭くて、視界に広がった影に吐息が洩れる。
「なっ、別にひとりで立てるわよっ!」
突発的に素の口調になりながら、恥ずかしさで抗議する。
「お気になさらず、好きでやっておりますので」
「それ、セクハ――」
「紳士です。いまは怖じ気付いても構いません。俺がいますので」
「怖じ気付いてなんてない……っ。だ、大体何なのよアンタ」
「通りすがりの従者ですが? 死にそうだったので助太刀させていただきました」
「べ、別にそんなの頼んでません……」
「頼まれなくてもします。それが従者というものですから。それに、油断するなんて軍人失格ですよ?」
悔しみの困った恨み節にいたずらっぽく応える。ほんのり温かみの乗った叱責が、一度だけ感じてしまった死の恐怖がとけていく。
顔が赤くなって、咄嗟に体を離した。
「も、もう……だいじょぶですっ」
「それは良かった」
にっこり笑う青年に、調子を崩される。
なんなのよ、こいつ……。
隙を見せたことに心の底から羞恥が湧く。
私はこんなところで躓くわけにはいかないのに。
悔しさで胸が疼く。一瞬でも感じてしまった。油断と恐怖。拳を握りしめてもなお足らない醜態が自身の不甲斐なさで狂死する。
アイラの煩悶の目を青年は見逃さなかった。悩みは種は窺い知れんが、今後の関係を縫っていくのには重要か。
「――――」
少女は苦い表情で衣服の汚れを払って呼吸を整えた。表情にこそ違いはないが、さきほどの仮面を取り戻している。
「それよりいまの――、神聖術?」
「ええ、詠唱が億劫でしたので」
さらっと流された言葉にアイラが絶句した。さーと血の気が引く。
「無詠唱でって―――いまの威力の術式を………っ!?」
見たところ自身とそう遠くない年齢だが、その若さでこの技術、そしてグールを一瞬で制圧、抹消する実力……。
爆発の中心でありついさっきまでグールを捕縛していた場所には、溶けた水滴と、放射状の灼け跡のみ。その中心。焦げきって穴の空いたランボードにはなにも残っていない。
「グールならご安心を。爆発で核ごと吹っ飛ばしましたので」
「え、いや、そうじゃなくて――」
「ところで、コレはどういうことなんです?」
全力で話を逸らす青年にアイラは目を細めるが。ゴホンっと咳払いをひとつ。茶番はここまでにしてといった様子で居住まいを正した。
「見たところ、グールの掃討作戦のようですが、なぜそんなことに? 奴らは、かのDr.フェッチの死亡とともに研究用の数体しか存在しないはず―――」
やや考え込むように訊いてくる彼に、少女は不服そうに目を吊り上げる。首を捻る彼の表情に、勝ち誇ったような余裕が生まれる。
「ふんっ。別に部外者には関係のないことです。一般人は首を突っ込むことを控えなさい」
そう告げる少女の目は笑っていた。なるほど。牽制ともとれる一言。確かに、彼女からしてみれば、俺は仕事を横取りする盗人だ。良い気分はしないだろう。だがしかし。
「そういうワケにもいきません。所属は違えど、同じ人界の民として情報提供を求めます―――それとも命令として扱まいしょうか、少佐?」
語尾に誘うような煽りを掛ける。声音を換える俺に、少女は眉を歪めた。軍服が翻る。
軍服の刺繍に陽が反する。
「私の階級は大佐、所属はカルナバル局区間長を務めております」
常識だが、軍に所属するものは階級が与えられる。実績や能力の証ともとれるそれは、重要な物差し。そのため、その発現力は非常に大きい。階級の高低は絶対に逆らえない。
と、澄まし顔で微笑んでいるのだが。もちろんこれも任務のために偽造したニセモノである。
それをこうも堂々と見せびらかす青年の演技といったら、呆れを通り越して感嘆の域だ。
「カルナ――――って前線の? ――っ!」
ここ最近はそれも形だけのものになってしまったが、どうやら効果抜群だったらしい。
持っていて幸いした。多少なりとも
それにこんな成りではあるが、昨日までれっきとして最前線で戦ってきた戦士――を皆殺しにした者――のひとり。
いままで苦労した甲斐があるというものだ。
まあ、彼の本当の所属は複雑だが、そこは野暮ということで。
「……わかりました」
にっこりとひとに苛立ちを募らせる笑顔を向けてくるソイツに、多少なりとも異論がないといえば嘘になるが。やむを得ず、アイラ嬢は唇を開いた。
「知ってのとおり、グールはさきの掃討戦において、孵化前の六体を残して全て処理されました。回収された卵は軍の下で管理、厳重に保管されていたのですが……」
一度口をつぐみ、再度息を整えて改まる。
「三ヶ月前のことです、何者かが研究施設を強襲し、そのうちの二体が強奪されました」
「それは穏やかではありませんね」
「ええ。消息も薄く、上層部も手を拱いていたのですが」
だが先月、ここファシネス鉱山街区で未確認ディーヴァの目撃情報が相次いで寄せられた事態となった。情報を基にこれをグールと断定。目撃されたとされる街区から2キロ離れた廃工場への調査の指令が下った。
そして、たまたま周辺で遠征を行っていた彼女の部隊に白羽の矢が立ったという。
「請け負ったのは、詮索班として情報にあったグールの隠れ家の合否、確認が取れた後、これを掃討、殲滅する予定でした。ですが――」
そこまで口にしたところで、途端に少女が言い淀む。バツが悪いように、唇を上噛む。
「そこでグールの襲撃にあったと」
止まってしまった声を紡ぐように、代わりに口を解く。
「……っ」
押し黙るアイラの唇が、ギリッと無意識に噛み締まる。額に亀裂の入ったそれは、無力な自身の歯がゆさ。それでも数秒後、なけなしの意地を張って、言葉を続ける。バツ悪く、口を何度もまごつかせて。
「当初、ダッシュされたのは二体だけ―――そのはずでした。けれどそんなもの、アテにもならなかった……」
アイラ自身それがなんなのかわからない。でも彼女は焦っていた。
泣きそうなほどの悔しさを溢れさせて少女が掠れる。申し訳程度の声は、ひどくか弱い。
「どういうことです?」
青年の問いに、額を抑えながら彼女は呟く。悪夢のような、思い出すだけで目眩がするその光景を、事細かに口表す。
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