第5話『件の乙女』

 旋律せんりつの糸が途切れたような間隙かんげき。戦場に不釣り合いの耽美たんびが降り立つ。いたいけさが蒸気の煽られた風に、オブシディアンの髪をはしらせた。



 くだんのアイラ嬢がなぜここに……!?



 驚きと懐疑かいぎで顔を渋らせる。

 相当な美少女――とでもいうか、写真よりも鮮明に見て取れる。風貌は可愛いというより佳麗。



 少女という存在のなかに女性の色素を浸したどこか曖昧な容貌は、そこいらの人間とはまるで違う生き物に思える。ワンピース型の軍服は愛らしさを覚える反面、品位あるシルエットは依然としてる。色味も鮮やかではなく深みのあるボルドー。そして見間違えようのない央都騎士団のエンブレム。



 どう鍛えたらそんなもの持てるのか。華奢な腕に似つかわしくない分厚い曲剣を両の手に持ち構え、折れそうなほどの細脚で支えている。



 列車の上で足下がぐらつくにも関わらず、よろめきもしない。武器を使いこなしている証だ。冴え冴えする白い皮膚にほんのり彩る熱の朱。瞬いた目から猫のそれに似た光を発する愛しい人形ジュテーム・ドール――


「――――ソレ、らないなら貰うわよ?」


 突然のその口が開いた。



 唐突な物言いの直後、ぶら下がっていた剣先が螺旋を描く。返答のときにはすでに少女が神速のごとき速力で抜刀していた。緋色の光を帯びた刀身がぶんっと唸りながら垂直に走り、グールの脇腹に深々と埋まる。突き刺さったままなおも閃光を灯して、胴体を真上に切り裂いていく。


「グルアアッッ!?」


 グールが醜く吠えた。武器の優先度が相当なのか、鋼鉄で覆われたはずの皮膚がバターのように切断される。同時に地を蹴った少女が空中で九十度回転し、床に膝をおとす動作と連動して三つの残光が奔る。右手による首筋への薙ぎ払い、反対の手で左肩から右脇にかけての切り下ろし、最後に切り替えされた二刀が同時に三撃目を刻む。



 黒い返り血がまき散れる。熟練の達人が書いた墨絵のごとく、その様子は酷く美しい。

 横顔に灯るどこか哀しげな燐銅のガラス球が闇色のなかで異彩に輝く。



 スカートの裾がはらりっと舞い吹き、見えそうなアウトライン一歩手前で静止する。

 黒い化身から血潮が噴き出すころには、少女は剣を収めていた。


「……ほう」


 視ていた青年から、崩れた笑みがこぼれた。意外も意外、少女の剣技に見惚れてしまった。



 一息遅れて巨体が倒れる。目下にただれ落ちたソレを、無表情に見つめる。

 沈黙した肉塊を面白みもなく見下げ、すぐに興味を失ったように上に戻した。



 グールに向けられていた視線が俺を捉えた瞬間、少女は両の目を開き、安堵するようなあるいは見下すような微かな失笑が漏れ聞こえた。


「ところで、いつまでそんな格好でいるんですか?」


 アイラ嬢は腰に手をあてて訝しげに眉をひそめた。



 こんなみてくれにしてくれたのはアンタでっせと胸の中で呟きながら、全身ベトベトンの身体を見回す。グールの体液は一見ただの黒い液体にしかみえないがじつは特殊なジェル状になっており、厄介なことに粘性が非常に高い。



 故に一度衣服に付けば、即刻おシャカである。

 まさか出会って早々、全身体液まみれにしてくれるとは……。ありたいていに言ってしまえば、最悪の出会い。なんかもう帰りたくなってきた。



 厭な予感しかしない未来に青年が黄昏れていると、少女はますます怪訝になった。


「……はあ、別にいっか。私に関係ないし」


 ぽつんっとひとり完結したアイラは耳もとのヘッドギアのパネルを押した。ただ青年の耳には余裕で聞こえていたようで、若干彼の顔が引きつる。



 おい、お嬢様。任に着く前から好感度下げにくんじゃねえよ。



 胸の内で呑み下す反面、アイラの瞳から微かな緊張を垣間見る。懸命に隠しているが、表情に多少のブレがある。



 カチッとした音を合図にノイズが漏れた。それを右耳の調節ギアを回して周波数を合わせて繋げる。他の仲間と通信を取っているのか、雑音の晴れた電波に報告の音声を載せる。



 放置された青年は未だ状況が掴めない。

 央都にいるはずのアイラ嬢がなぜこんなところに?



 地形から視てここは鉱山地帯のバネゾレス。本島でもまだまだ北のあたりだ。青年独自の情報網からでも、彼女たちの遠征報告はない。



 そんな逡巡とは裏腹に、アイラは淡々と任務を進めていく。


「こちらαアルファ、目標の沈黙を確認」


 明るい声で応対した女性の声に報告して、他の隊員たちの状況も伝えられる。順調なようだ。それを聞いて少女の表情が少し晴れた気がする。


《こちらでも目標個体の殲滅を確認しました。一時、他員との合流をお願いします》


 了解、事務的な返事とともに通信を切った。気でも張っていたのだろうか。ひとまずの肩の荷を降ろすように安堵の息を吐く。どこか不安気に飛んで来た方角へ目を凭れ、けれどもすぐにもとの機械的な表情に戻る。


「では、私は任務に戻りますので」


 余所行きの仮面を被る。名も知らない青年だが、公爵家の者である以上、言葉遣いは細心を払う。

 もう会うこともないであろう青年に別れを告げ、飛び去ろうとしたその寸前、整然とした声が切り返された。


「失礼レディ。離れたほうがいいですよ?」


「――?」


 青年が柔やかに微笑んだ直後、ぴくっ。なにかが動く。

 寸後しばしのち、倒れたはずの肉片がのっそりと起き上がった。



 グールの特性は大きく分けて二つある。



 一つ目は、さきほどの《捕食》。生物の有無関係なく喰らい、自身の糧とするもの暴食の徒。

 そしてもう一つ、非常に厄介な能力を有している。

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