第11話『銀腕』

 ここファネシスは有数の鉱山地帯。ひと昔前に凍結された炭田がそこかしこに屹立しており、地面の高低が激しい。



 路線を辿って猛進した俺たちは、アイラの先導に従って例の鉱山を目指した。洗礼された鼓膜に届くわずかな音。いた――――。グールの気配だ。


「いちど隠れて」


「……っ」


 アイラも緊張した面持ちで頷いた。彼女には一刻も早く部下に加勢したい気持ちもあるだろうが、ここで乱戦になっては意味が無い。 



 閉鎖的な地形は崖に覆われているせいで周りがみえない。

 オレたちは道を外れて土手を這い登り、遍在する崖に高台を見つけてその中腹にしゃがみ込んだ。全体を見下ろすことのできる絶好の位置だ。


「音をたてないように」


 ささやいて指を唇の前に立てた。いっそう体を低くした俺たちの耳に、がつがついう入り乱れた破壊音が近づいてくる。


「これからオレが合図するまで絶対に動かないでください。お嬢様だと目立ちすぎますからね」


 不意にアイラが自分の格好を見下ろした。紅色の制服は灰一色の崖のなかでいかにも目立つ。



 対して青年は闇色。スキルによる隠蔽で見つかることは難しい。アイラは一瞬じろっと俺を睨んだがおとなしくとどまった。



 小石ひとつでも落ちたら位置がバレてしまう。残響と粉塵はすでにかなりの近さにまで肉薄していた。そろそろ可視範囲に入る。



 円形にくりぬかれた崖の平らな窪地。もとの山を切り開いた中には線路らしきレールが敷かれており、トロッコや機材がすすけた残骸と化している。



 もとは直轄で資源を運んでいた停留所はコンクリがひび割れて鉄骨が剥き出していた。

 そしておそらくグールに喰われたのだろう。それらは大小なり歯形がつけられている。



 数は――多い。20、いや30はいる。食料に恵まれて各々が形を変えていた。

 あの数だとだいぶ苦戦しているようだ。おしなべて六人。全員が剣士クラスだ。お揃いの紅の軍服に三々五々の鎧類い。実践的な装備だが、その胸元にはアイラと同じく三牙の印章。



 間違いなく聖央騎士団のメンバーだ。

 弱体化しているとはいえ、倍はいるグールに遅れをとらないのはさずがといったところか。速度を抑えず飛び回ることで攻撃を躱し、速さを載せた一撃で徐々にダメージを負わせていく。 武装は片手剣と短剣を中心にしたスピード重視の編成。



 お互いの背を庇うよう、離れてはくっつくのツーマンセルを繰り返している。これは明らかな時間稼ぎだ。


「一体の沈黙より、救援の希望を取るか……」 


 だがなかには負傷した者もいる。青年の表情をアイラはどう察したのか、身を硬くして息を詰めている気配が伝わってくる。



 その背後の1箇所、左脇に見える白く欠けた岩壁の下には崩れて積み重なった崖の一部が鎮座していた。



 あれが言っていた入り口だろう。途切れたレールが瓦礫のなかにまで続いている。

 周辺に散在するグールはみなそちらに背を向けていた。その中からは湿気によるわずかな光沢が視てとれる。


「――――」


 千里眼を維持しながら視点を集中させて、瓦礫に目を凝らす。潜在意識を覚醒させ、視界が暗緑色に切り替わる。極限まで視覚範囲を上げる強化スキル《透視》。



 体を光ではなく音で感知するそれで視線を移すと、崖崩しのなかに一つだけ見える魔力反応。兵器とはいえ、備わった核の特殊な波長は隠すことができない。


「一体目」


 奪取された個体は二体、だが似たような個体は見当たらない。鉱山の奥にでも隠れているのか、残りもう一つ――――



 そこまでいったところで、音の波長で可視範囲を拡大する視界に猛烈な歪みが湧いた。

 抗戦していたメンバーの一人がグールの巨腕に振われたのだ。後方6メートルを悠々に滑空し、男の隊員が壁際に吹っ飛ぶ。



 肋骨をやったのかペンキしょくの赤が乾いた息に乗って吐き出た。そのまま動かなくなった彼に吊られて、連携が崩れる。



 そして間の悪いことに、ひび割れた喧噪は背後の少女にまでも届いていた。


「だめ……駄目だよ」


 黒目が虚ろに縮む。

 咄嗟、駆け出そうとする少女を力任せに引き戻した。


「離してっ!」


「静かにしろっ、まだ親が見つかってない」


「――でも!」


「あせるな!」


 幸い死んでいるわけではない。が、仲間を気遣ったせいで全員が1箇所に追い込まれてしまった。いらぬ情など抱くから死を招くんだ。長くは持たないだろう。



 だがまだだ。親を探さくては。本丸を見つけない限りまた再生するのがオチ。泥仕合のまま決着が付かないほうが末恐ろしい。

 そんな彼と裏腹に少女に限界が訪れていた。


「ダメ―――っっ!!!」


 黒い残火が耐えきれずに走った。青年の制止をも振り解き、崖を坂落ちる。



 奇襲を掛ける算段をぶち壊された青年は苛立つが後の祭り。少女はグールの群れへと突っ込んでいく。


「……はあ。ほんと――っ、くそめんどくせえ」


 しょうがない。この際冷静になれというほうが無理な話しだ。彼女がまだ年端もいかないことを痛感しながら、仕方なく青年も随行する。



 崖を飛び降り、着地すると、そのままほとんど浮いた状態で少女の隣まで並び出る。


「正面突破で穴を開ける! ソードスキルの準備を――っ」


 聞こえてはいないだろう。霞むような速さで、アイラの双剣が交差クロスした。薄緑色のライトエフェクトが刀身に宿り、それを接敵より早く放つ。



 斬撃は空振りに見えたがライトエフェクトは消えない。そのまま背中を向けるグールの一頭に消えたかと思うと、遅い衝撃波が聞こえる。腰から上を斜め切りされた巨体がだっだっと崩れる。



 やれやれといった調子で青年が肩をすくめる。瞬間、彼の前方が切り替わった。



 醜悪さを隠さないにやけが群がるグールのかお々。背後には、庇い立てる新米の騎士団員。

 そして青年の右手にはいつの間にか抜かれた、黒牙の刀身。


「うせろ」


 言った最中には、黒い肉集は彼方へと飛ばされていた。

 水平方向の斬り飛ばし。たった一撃ですべてが沈黙する。


「―――え」


 隊員のひとりが口解いた。あまりにも次元の違う動きに、彼らは置き去りだ。突貫を仕掛けたアイラ嬢でさえも状況を呑み込めない。



 突っ走ったはずのアイラより、追随してきたはずの彼がさきに部隊に背を向けている。そんな芸当を彼女は今までに見たことがなかった。



 正体不明の青年が一間ひとまで場を凍り突かせる。


「お嬢様」


 呼ばれてびくりとした。反射的に怯んで、ぎこちなく目を合わせる。

 青年は完璧な微笑みを向けていた。晴れやかともとれる表情に、逆に背筋にいわれもない寒気が趨る。


「お嬢様は雑魚ザコを頼みます。オレは本体を」


 指でうながされた目線のさきには、水溜まりになったグールの肉塊がある。それらすべてがおそらく分裂体だろう。



 彼はくるりと向き直り、固まっている部隊のメンバーにも同様に指示を与えた。


「けが人を運ぶのは一人で充分です。動けるものは雑魚の相手を。切っても再生しますので、とにかく再生の余地を与えないように」


「みんな、指示通りに」


 突然の闖入者に戸惑う彼らだったが、傍らの少女ではっとする。安堵にも似た表情は秒で引き締まり、再び立ち上がる。


「「「了解っ!」」」


 奮起する彼らは良い時間稼ぎになる。分裂した個体を倒しても意味がない。

 奴らに備わっているはずの体を構築する霊格が分裂体にはない。それがあるのはおそらく本体だけ。



 ならば対処は容易い。どんな問題でも原因を叩けば大概は解決する。つまり、本来のグール――親を始末すれば、ほかの動きも止まるだろう。



 それが嘘か誠か。隠れていた他の分裂体が等しくこちらに向かってくる。視界を塞ぐように群がる背後には、例の鉱山口が鎮座する。



 あちらも切羽詰まっているのか、出し惜しみはしないらしい。集まったグールはそれぞれが融合して何体かの大型を形成していく。

 腰を低く構える。峰が鞘を滑り、完全に収めるまえに鯉口より少しで停まる。



 一直線上の軌跡を描き、イメージのままに刃を切り上げる。



 抜刀により速度を跳ね上げた刀が地面を趨った。同時に踏み込んだ足がなぞるように距離を詰める。一直線抜き打ち切り上げ《閃打》。その動きを応用したスキルによる高速移動。



 造作もない。いくら数が多かろうが、接敵より速くこちらが動けばいいだけの話。前方をだけ最小限に留めて、道を切り開く。



 刀身を介して一刀の刃となった身体が瓦礫に消えていく。

 青年弾刀が崖を斬る。諸々を吹っ飛ばし、なかにいた獲物に笑いかける。


「よお、そんなところに隠れてないで出てこいよ」


 挑戦的に刀を収めた。鯉口を鳴らしておちょくるのは、彼の得意分野である。



 岩に隠れた巨体が転がり出る。青年の行動が相当自尊心を傷付けたらしく、いかにもご立腹である。


「グルオオオオオオオッッッッ!!!!、」


 本来の威圧と雄叫びをあげて巨肉グールが吠えた。途端、散っていた全ての分裂体が回れ右の号令のごとく、本体へ集まってくる。



 あっという間に吸収して本来の大きさに戻った本体は、やはり予想に見まがわずデカい。



 そして見かけによらず速い。青年の右頬すれすれに鎌爪が過ぎた。流石に強い。いままでのザコとは比べものにならない。これでは凍結による手脚の拘束も難しいだろう。



 たがの外れた鮫頭は似合わない俊敏さとパワーで地形ごと抉り取っていく。


「そんなに強いなら、最初から分裂しなくてよくね――?」


 吐きつつ、後方に退く。が、それを見計らいすでに背後で巨腕が振われた。横薙ぎが青年襲う。だが肉薄の寸前で身を捻った青年には、余韻の微風しか届かない。



 苛立ちを募らせる巨体の咆吼は、けれども声とならない。



 ぐしゅっ、と鈍い音がしたかと思えば、青年の左手になにやら奇怪な物体が握られていた。グールの舌である。


「邪魔だから取っといた」


「゛ァ――゛ァ――、゛ァッhァ゛ァ゛ァ゛ァァァァっ!!!」


 瞬間、音速を超えた衝撃波があたりを襲った。寸前に見開かれた彼の目が身体との間に武器をねじ込ませる。ついで訪れる鱗形の足蹴りが彼をメートル単位で吹き飛ばす。なおも追い討ちを弱めない。



 浮いたそこを狙うようにグールが跳んだ。質量の問題を無視した跳躍に、周りの人間は目を見張る。


「危ないっっ!!!」


 味方の救護をしていたアイラが思わず叫ぶ。言うや否や、視界から青年が消えた。巨腕に覆われた直後、鈍い音が響く。完全に無防備な身体に全身凶器がにやついた。



 咄嗟に出した左手もろとも、恐懼な腕がオレの左腕を凪ぐ。にやついた醜悪さは他のどれよりも悪態高い。

 圧で押し割かれた軍服が損傷部を露わにする。


「―――おい、ちゃんとみろよ」


 しかし青年の腕はいまだしっかりと四肢にくっついている。鮫頭がわずかに歪んだ。



 砕裂さいさいした切れ切れから漏れ込む白銀りんかく。神経と骨を計17箇所のボルトで繋ぐそれは、たとえ主人が死に絶えても砕けることはない。



 吹き飛んだ衣服から現れたのは、鋼鉄のかいなだった。無骨ともよべる金属質のそれは太陽の光を吸って金色の輝きを帯びる。



 その光を集めるように手のひらにひらかれた口が、まるで噴火寸前の火口のように集裂する。


「――――ッ!!」


 寸前にグールが右に跳んだ。反射とも本能ともいえる速度で、彼の攻撃から逃れる。青年もそれを防ぐために、傍らの刀を投げていた。



 矢のごとく突貫したそれをしかしグールは退けた。直撃の直後で身体が二つに割れて、攻撃をける。



 だが、それさえ予見していたかのように。青年の口が微かに歪んだ。

 その場にいた全員の耳に打ち響く、ひとつのかなで。鮮やかな硝煙のひこうき雲は余韻に浸るように静寂をつくる。



 そしてきんっと剣戟に似た音は、リボルバーから放たれた銃口のしなやかな響き。

 彼の持つ右腕には、鞘から抜かれた漆黒の長刀ではなく一丁の拳銃があった。


「侍が刀を持っているからといって、刀しか使わないなんて誰が決めた?」


 サムライという位階すら、彼にとってはフェイクなのか。


「ロック」


 グールに打ち込まれた弾片が呼応する。磁力弾・戒4式。特殊な鉱物から精製られたそれはマナを乗せることで金属を引付ける。たとえそれが、液体であっても。



 グールの霊格はその構造上、絶対に上半身に位置している。しかし直径五センチもない球体のそれは常に半身中を動いているため、狙い撃つのは難しい。



 なら簡単だ。消し炭にしてしまえばいい。

 銃弾に込められた魔力が爆発する。ようやくの出番といったばかりに、義手が熱を上げた。内部でどろどろに溶けた鋼鉄が噴火口へと湧き上がる。


「スマッシュ」

 

 たたき込むようにその手を押し出す。熱源が光線のごとく吹き抜けて、分かれたグールの四肢を貫通した。雄叫びを上げる間もなく、その体躯が溶け落ちる。



 正確に霊核を穿たれた奴は、そのまま地面に崩れ落ちた。原型を失った泥が、無惨に崩れる。同時にもう一方も泥に戻っていく。



 機械じみた冷静さと無感情を羽織る闇色の軍服が石肌に降りる。



 その光景は凍土を灼く大地のように、少女の目にいつまでも残った。

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