第9話『焦りは禁物ですよ。レディ』
「数は――10、いやその倍はいた、と思います……。そんなもの、私にはどうすることもできなくて……っ」
ぎりっと奥歯を軋ませるアイラの瞳に、パニックが巻き戻る。
「追っ手はそれで防げたのですが、私たちよりもさきに何匹か地上に出ていた個体があったらしく……」
「――――」
彼女はその露払いというわけか。内容をかみ砕きながらも、青年は難しい表情を変えない。
「グールが繁殖など、ありえない――」
ことの成り行きを聴いて、漏らした。てのひらに掻いた汗が状況の異常性を垣間見ている。
「ええ、俄には信じられませんが」
「いや待て、そんなはずは――」
被りを振った表情は困惑に満ちていた。おもむろに彼が否定するのも無理はない。グールは生物兵器だ。科学者の趣味によって作られた超物。雌雄の区別もなければ、そんな奴らが生殖機能など持ちうるはずがない。それは押収された研究データからも明らかにされている。
「いったいなにが起きてるんだ……」
怪訝に表情を歪める俺に、彼女はうつむきがちに瞳を向けた。
額をおさえつつ少女を見据える。
「……それで? 何匹取り逃がしたのです?」
「取り逃がしてなんて――っ! ……ません」
ぎりっ歯を軋ませて、アイラは声を荒げた。自分の不注意で起こってしまったアクシデント。自分がもっと上手くやっていれば、常時警戒を怠らなければ。こんな失態は犯さずに済んだ。
自身の無力さに怒りがこみ上げる。拳を握り締めて押さえ込んでも、まだ足りない。
そんな彼女の様子をみて、青年は心底疲れた顔をした。
典型的な根を詰めるタイプといえばいいのか。お嬢様ってのはみんなこうなのかと思わずにはいられない。まるで自分一人だけ戦っているみたいな表情だ。
自分一人で抱え込んで自滅していく――はた迷惑以外のなにものでもない。
胸内で肩すくめる反面、全力で仮面を演じる。非常に厄介、かつ面倒だが、ここは一紳士として振る舞っておこう。
「気に病まないでください。任務にハプニングはつきものです。そんなものいちいち気にしていたら、肝が100あっても足らないですよ? それに――」
女学生が好みそうな内緒話をするように、顔を近づける。
「ここだけの話、任務なんて最終的な結果さえよければ、過程なんてどうでもいいんすよっ」
あっさり告げる階級上の彼に、少女はポカンと口を開く。途端、いままでの自分がアホらしくなったのか。嘆息とともに肩の力が抜け落ちてしまう。
「三体です。そのうちの二体はいまので」
少しだけ漏れた笑みは、青年への呆れだろうか。だとしたら、余裕のひとつはできただろう。
だというのに。そこで突然、ビイイイインッ! とけたましいい音が響いた。少女のヘッドホンが唸る。赤い点滅ライトを発しながら、強制的に回線が開かれる。
《大変ですっ!》
通信が漏れ出てくる。ノイズ混じりに先程の
透き通るような美声のなかには、焦燥が色濃く映っていた。
「どうしたの?」
《他メンバーがグールの襲撃を受けています!! 至急、合流してくださいっ!」
「ッ!? 入り口は塞いだのに!」
《それが、黒い液体が瓦礫に染み出してきたらしく……》
アイラがこちらを見つめる。意を汲み取り、軽く頷く。
「奴らなら可能です」
「……っ。ここから
《ここから東へ約4キロです。現在では応援できる部隊が足らず――》
「わかったわ、すぐに向かう」
言い終わる前に、アイラは快諾した。10秒にも満たない通信を切り終え、くるりとブーツを軋ませる。
「待ってください」
すかさず青年がその腕を掴んだ。足早に飛び去ろうとする彼女を寸前で引き戻す。
「聴いたでしょ! 早くしないとみんなが! 私は他の隊員の命を預かってるの!! もし誰か人でも欠けたら―――」
「ですので俺も同行します」
「はあっ!? いきなり何言ってんのよっ!」
「嫌なら構いません。ただし通信機を貸してください。あなたの隊長に直接嘆願します」
「……っ!」
アイラが目を見開く。この際、彼女のことは放っておこう。いまは一刻も早く、事態の収拾をつけるのが先決だ。アイラ嬢には悪いが、ここでわがままを聴いてやる余裕はない。
「指揮官は誰です?」
聴いてくる彼の手に、未だ通信機は渡されない。少女は沈黙を貫いている。俯いた様子でもじもじと身体をくねらせている。前髪に隠れた表情はよく読み取れない。
すこしの間を置いて、おそるおそると唇が解ける。
「……ない」
「はい?」
「……ない。いないのっ!! 指揮官はアタシ!! だから通信機を貸しても意味は無い」
「――――――は?」
数秒間、思考が止まった。ポカンと表情が固まる。目をぱちくりと見やり、なぜか涙目になった少女を見詰める。
いま何と? 顔にそう書かれた当惑の眼差しに、アイラは奥歯を噛み締めた。唇の皮が歯に食い込む。
「気のせいでしたら謝罪します、いまなんと?」
「……私が部隊の隊長ですけどなにか問題でも?」
「……」
「問題でもッ――――?」
「あ、いえ、なんでもありません」
大アリだ、と言いたかったがアイラ嬢の涙目で寸前で呑み下す。予想外の展開に酔ってしまう。
まさか優秀だとは聴いていたが、ここまで昇進しているとは思わなかった。いや、優秀だとしてもだ。さきのアイラ嬢の様子から見て、さすがに隊長職はまだ早いだろう。
一部隊の長を任せるにしては、手際の悪さが目に余る。後方不注意などもってのほかだ。責務が果たせるとは到底思えない。
上の連中はなにを考えているんだ?
いくら才女とはいえ、年端もいかない少女が一人で背負うにはやや酷すぎるのではないか。
少々値踏みが外れ、やや困惑の眼差しを彼女はどう捉えたのだろう。伏せるように目を逸らしてしまう。その表情はよく見えないが、醸されたわびしさが鮮明に跡を立つ。
「……とにかく、事情を知ってしまった以上、見過ごすことはできません。俺も同行させていただきます」
きっぱりとあらためてそう言い切った。ため息を吐きたい気分だったが、ここは空気を読もう。俯いた少女の瞳をまっすぐに覗き込む。紺碧の色目が燐銅を照らし上げ、薄く微笑む。青年の不意打ちに少女は驚いた。
「よろしいですね」
「わ、わかったわよ! 許可すればいいんでしょ! 同行なりなんなり好きにすれば! 早くしないと、置いてくわよ!」
たじろぐアイラに今度はにっこりと笑う。あからさまに乗せられていると、少女は頬に羞恥の朱を灯す。
「助かります。―――ですが、まず事後処理というものを憶えなさい」
しかし青年は酷く真面目だ。彼女の部下も気がかりだが、最優先事項はそこじゃない。
「――ジゴ……なんです?」
耳慣れず眉をゆがめるアイラにやれやれと肩を上げた。これじゃ先が思いやられる。
親指を立て、軽く背後を促す。そこには、さきほどアイラが裂いた黒い液体と肉片が三々五々と飛び散っている。もちろん再生防止のため、青年が凍らせているが。
それをくいっと示してこほんっと咳払い。抗議の合図である。
「列車の上にこんなものあったら困るでしょう。それに乗客の安全の為、どこかで列車自体を止めなくては。道端で緊急停車するわけにもいきませんし……ひとまずどこか最寄りの駅で停車したのち、応援を――――」
「そんなことアンタがすればいいじゃないっ!!」
言い終わる前に、アイラが口火を切る。
「……」
押し黙った青年はじっくりとアイラ・ヴァンキーラという少女を鑑みる。
確かに、年頃の女の子。年齢で言えば16だろうか。周りの意見に翻弄され、評価を求める立場な以上、プレッシャーを負う日々は辛いだろう。辛辣にもなる。
だが、ここは戦場。そんなものは私情は関係ない。
「いいですかお嬢様、こういうものは任務を与えられた者の責務なのです。それにグールを取り逃がしたのはあなたの失態だ。自分の尻ぐらい自身で拭きなさい」
それに、と青年は念を押すように間をとった。
「万が一ですが、再度グールの襲撃に遭った場合が、列車は十中八九止まります」
今でこそ速度を緩めないが、グールという規格外の重量が同時に二体かさばったのだ。
もう一匹崖の上から落ちてきてみろ、列車ごとぺしゃんこだ。
崖に切り立った路線では、側面からの衝撃は崖の支えがあるが、背面からがまず間違いなく脱線する。
とくに客車は損傷が激しい。機関室に近い前方では火の粉が舞い上がっている。もしあれが石炭にでも引火したら、大惨事は免れないだろう。
さらに最大の難点は線路だ。破損でもしたら、それだけで一ヶ月も流通は途絶える。そうなれば、たたでさえ戦時中の北方は陥落する。地下資源の大半を含むカルナが墜ちれば、エリュデューゲンは終わりだ。それは戦争の発端である青年も避けたい。
「線路や橋が傷付けられて流通の途絶えた北方は、ディーヴァに浸け入れられる。それだけじゃない。貴重な採掘資源もみすみす手放すことになるのですよ?」
「それは―――」
「わかったら降りる降りるっ!!」
パンパンパンっ。言い淀む少女に有無を言わせず下車を促す。アイラは尚も抵抗したが、肩をがっちり掴まれて強制された。
急ぎ車内に戻り、先刻の車掌に再び通信管を借りて機関室との連絡をとった。
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