見果てぬ宇宙に、友を探して。

枕くま。

見果てぬ宇宙に、友を探して。




■ 1.

 私が地上で最後に見た景色は、すべてを覆い尽くすほどの光の波だった。空も海も、陸の如何なる場所も、光は熱と連れ立って隅々まで明らかにしてしまい、尋常でない高温によって何もかもを消毒してしまった。それは一瞬の出来事だった。

 そして、いつの間にか私は狭苦しくてゴツゴツした空間に押し込められており、身動き一つ出来ない状況下に置かれていた。ちょうど頭の辺りに、何かデコボコした突起物が存在するらしく、動こうとする度に傷ができ、体液が流れた。

 どこかに私と血の繋がりを持つ個体が二、三いたはずだが、あの一撫ぜに皮膚を浮き上がらせて持ってゆく熱風を思えば、無事であるわけがなかった。

 私の精神は安定した呼吸すら不可能な現状において、しかして冷静さを保つことが出来ていた。それは、ひとえにまだ生きている、まだ死にたくないという、非常な現実を前にして湧くべき単純な思考が働いているからだと推察できた。それらは、私たちの古い言葉を用いれば、本能というものだと、私は気付き、同時に興奮した。

 私たちの住んでいた場所では、そういった生物の持つべき根源的恐怖に対する反射を著しく損なった『者共』ばかりが巣くっており、様々な技術の賜物か、おおよそ自分たちに害をなす現象は駆逐され尽くしていたのである。私もそのような『者共』の一員であったはずが、ただ狭い空間に押し込められただけで、生物としての危機感を取り戻してしまったというのだから、お笑いだ。


 これは実に興味深いぞ。


 息苦しい暗がりの中、私は肉塊の真似事を強要されながら、そう思考を働かせてほくそ笑んだ。そうして、感情が緩やかながらにも再開され、意識がだんだんと明確になっていくと、そこでようやく現状の不思議に考えが及ぶ。

 ところで、これはいったいなんなのだろう? 私はあの閃光と熱の洪水から、どのようにして逃げおおせたのだろう? 疑問は湧くばかりだった。


 私は手始めに、許す限りの触手を用い、私を封じている入れ物の壁面を手当たり次第に撫ぜ回してみた。すると、暗がりを裂くように、赤いランプが点滅を始め、私の大きな傘上の頭部が明らかになる。その青白い表皮は相変わらずヌメヌメと艶めいている。この粘液は私の意思によらず、勝手に湧くものだから困る。


 私は自分の姿を立体映像として映し出す度、精神的な疲弊を感じずにはいられないのだが。それはさておき、ランプの点滅と共に、陽気な声が私の周囲に響き渡った。


「やぁ、こんにちは。ぬgぢwvぢhw君」


 いささか甲高い声。

 声色は既に消えた概念の一つ、『女性』のものであるようだ。私はその底抜けに明るい挨拶に心が震えるのを感じながら、同時に思考の隅にピンと閃くモノがあった。

「あぁ、こんにちは。ところで、君はshしくぇぎs@だね」

 私の問いに、彼女はまた思わず誘われそうな軽妙な笑い声で、「そう! その通り」と言った。

「よくわかったねぇ、ぬgぢwvぢhw君の世代だと、僕のことを知っているのは本当にすごいよ!」

 などと、褒めそやしてくるので、私は粘液を垂らしながら心をすっかり弛緩させてしまった。誰かに褒められるということに、私は特別な意識を抱いている。好意と、あからさまに呼んでしまってもよいだろう。そんなものは、ずいぶんと昔に性別と共に捨て去られた言葉であるが、私はその純粋な響きがいつもどこかに引っかかっていた。


「君は大戦中に作成された惑星脱出用ポッド、その制御のために宿された集合意識体のうちの一つなんだね」

「そうそう!」


 彼女は楽しそうに相槌を打つ。目の前でその姿を見られないのが残念ですらあったが、それもただの瑣末事でしかない。彼女が使われたという事実。それが大きな問題なのだ。


「あー……、君がこうして使用されているという事は、もしかして、アレかね?」

「うん! そう」

 私のネトネトと淀む口調とは反対に、彼女はまったく軽妙な物言いである。


「起きちゃった、最終戦争」

 


■2.


 私の預かり知らぬところで、世界はどうやら危機に陥っていたらしい。などと、私は認めない。いや、認めたくないが正解である。

 私の住んでいたところは、殺風景な岩肌や粒子の細かい砂で出来た、何とも味気のない星だった。『者共』は誰もがそれぞれの住処に篭もり、誰もが気ままに暮らしていた。

 互いの交流は『者共』が共通に持つ能力によってなされていた。遠隔地にいる個体に、思考の乗った念波を飛ばしあうのだ。

 

 『者共』はみな、日がな一日を思索の荒れ野を練り歩くことに費やした。

 

 その興味は、すでに冒涜的な位置にまで登り詰めた異形の科学や、意味のないことに意味を見出した後にさらに意味のない別の事柄に変換する初めから意味のない哲学など、多岐に渡る。

 そして、ここまで聞けばおわかりだろうが、『者共』は馬鹿に成り果てている。行き過ぎた科学は最早、誰のためにも働かず、製作した本人にとっても無益という有り様で、哲学はアホだ。

 そういった連中と面と向かって会ったことなどないが、ゆあんゆよんと発せられる念波の波長に意識を沿わせてみれば、『者共』が底抜けに馬鹿な連中であることは想像に難くない。

 そんな『者共』が、太古の俗人共の欲に塗れた馬鹿の象徴である最終戦争など、果たして始めようか? そもそも、多くの危険や、心的外傷を及ぼす様々な事柄が取り除かれた現在、彼らに争ってまで欲しいものなど、争ってまで主張したいモノなど、何一つとしてないのだ。


「何かの間違いではないのかね?」


 私の言葉は思った以上に湿気た空気を匂わせた。shしくぇぎs@はまったく考える間も空けずに、


「少なくとも、星が一つ滅んだのは間違いないさ」


 と言った。

 私は触手で頭を掻きながら、うむむと唸り、頭部がぶるりと波打つ。その柔らかな内部で私は、この意識体の思い切りの良さに感心していた。

 曖昧な情報の中、迫る脅威を正確に認識し、見事に行動へと移してみせたのである。現在の常識に当てはめれば、中々出来ることではない。


 まぁ、それはそれとして。


 何より、最終戦争はありえない。その認識に変化はないのだ。

 だが、たかだか型遅れの集合意識体程度と言いあいになっても、何の面白みもない。つまらないし、意味もない。

 shしくぇぎs@がそう思いたいなら、そういうことにしておこう。これから長い付き合いになる相手なのだから、無用な仲違いは避けたかった。


「……ところで、目的地はどこかね。緊急避難用ポッドということは、ただ射出されて終わりということはあるまい。どこか、指定された星だかステーションがあるだろう?」


 私は、出来ればどこかの星であって欲しいと願った。

 ステーションの場合、そこにまだ生命が生き残っているという保障がないのだ。私が生まれる、遥か以前、太古の代物の目的地なのだ。たとえ、ステーション内で子孫を残そうとしていたとしても、ここまで年月が経っていると、血が濃すぎるために、長い生存は難しいだろう。故に、絶滅の可能性が高い。そんな私の願いを知ってか知らずか、shしくぇぎs@は陽の匂いを思わせる声色で、


「目的地は、エムエー・アーエスだよ」


 エムエー・アーエス?

 私は頭部を傾いだ。


「それは星かね? それとも、ステーションなのか」

「星だよ。かつては砂漠と岩肌のみが存在する死の星だとか呼ばれていたけど、君の尊いご先祖様たちのおかげで、きっちりテラフォーミングが行われ、人間が住めるよう開発されたんだ」


 知らない単語が羅列され、私の頭上を疑問符がくるくると舞う。shしくぇぎs@にとってそれらは知って当然の知識であるらしく、私は一介の知識人として、疑問を口にするのには苦悶を強いられた。


「……それが何だかわからないが、そこは私でも生きていられる環境なのかね?」

「……だいじょうぶじゃない?」


 苦しみに悶え、うねうねとうごめく私に、shしくぇぎs@は初めて口調に陰りを見せた。恐らく、見苦しかったのだ、私が。

 私の遠回しな質問はshしくぇぎs@には届かなかったらしく、怪訝な雰囲気を醸したまま、沈黙の幕が降りた。よっぽど私の羞恥する姿が目に堪えたと見え、私は内心で大層しょげた。

 心的外傷を及ぼすあらゆる物を遠ざけられ、個体同士の直接的な関係すらなくなった私達は、こういった場合の耐性は驚くほど低い。

 いつだったか、念波を飛ばしあっていた『者共』が禁忌を犯して会ってしまい、結局、殺し合いになったというのを聞いたことがあった。

 相手の姿が見えないからこそ、許容出来るモノがある。それを自分の度量の大きさだと、履き違えてはいけないのだ。

 shしくぇぎs@はすっかりしょげた私を見かねてか、それらの意味を教えてくれた。人間はかつての原住民のことであり、てらふぉーみんぐとは、平たく言うと生物が住めるようにするための、環境改変のことらしい。


 あ、そういえば。


「ところで、私はあの熱線が押し寄せてくるときに、君の中に逃げ込んだ覚えなどないんだけれど」

 shしくぇぎs@のような存在を、文献や伝聞などによって知ってはいたが、実物を見たことはなかった。今でさえ、外観を見ていないので、正体が掴めないでいるというのに。当然の疑問だが、尋ねるのが遅かった。我ながら、未だに混乱から醒め切ってはいないと見える。

「あれ、気がついていなかったんだ?」

「何を?」

 昨夜は確か、いつもの連中と念波を交わした後、疲れて寝床に潜り込んだ。そして、鳴り響く轟音に眼を覚まし、気がつくと空中へと発射されており、成層圏から星の滅びる瞬間を目撃して今に至る。

 不思議そうな空気を皮膚上から発していると、shしくぇぎs@は何かを察したように、


「あぁ、僕の入り口を見ないとわからないよね」


 そりゃそうか、とshしくぇぎs@。

 脱出用ポッドの入り口? 


 私はつい癖で頭部を傾いで天井の凹凸に額を擦り、体液が出た。

 じわじわと広がる不安に触手をうぞうぞとうごめかせていると、私の念波と波長を合わせてくる波を感じた。それがshしくぇぎs@のモノであることを察し、要望に沿うてやる。

 

 すると、私の意識の奥のほう、薄暗い部屋のような空間に、真っ白な四角い画面のようなものがあらわれた。私の後方から、暗闇を裂くように光線が照射される。これらは、太古のむかしの技術である。

 白い大きな幕に、情報の乗った光線を照射することで、映像を映し出し、見るためのものだ。shしくぇぎs@の時代よりも、さらに古いもののはずだが。


「そこは趣味だからね」と、shしくぇぎs@。

 なるほど、趣味か。


 しばらく、画面に意識を集中させていると、画面が急にブラックアウトした。

 

 何事かと思ったが、次第に妙な怪音が響き始める。途切れ途切れに発せられるそれは、まるで地の底から這い出したる古代の獣のような、聞くものに死さえ暗示させる異形の唸りである。私はすっかり真面目な感情に支配された。

「これはいったい、何なのだ。この悪夢のような唸りはいったい……?」

「いや、これ君のいびきなんだけど」

「…………」


 私は絶句した。

 

 この悪夢的情緒にあふれた唸りの協奏曲の発信源が自分の体内であるという事実にしばし自慢の思考がふっとんだ。

 自分が無呼吸症候群一歩手前である事実に慌てふためく私を差し置いて、shしくぇぎs@はまったく明瞭な口調を維持している。


「君は全然気がついていないようだったけれど、僕は君の寝室の中にいたんだ。そう、寝床としてね!」


 ふんぞりかえるような調子で得意げである。

 どうやら、私は自分が今にも無呼吸に陥って死ぬかもという事実にも気付かず、必死に冒涜的な異形の科学やアホの哲学に時間を費やし、一人でニヤニヤしていたことになる。恥の概念も忘れて久しい私は、頬をすっかり紅潮させて萎縮してしまった。

 私は、穴があったら入りたい。いや、むしろ惑星規模に穴を広げて私以外を土くれと共にこねて固めて宇宙へ向けて射出してやりたいという想像の爆発に溺れていた。


「……で、星を埋め尽くすほどの爆発の熱源を察知した僕はスリープ状態から復活し、ちょうど搭乗していた君を助けるためにって、聞いてんの?」

「聞いてない。けど助けてくれてありがとう」

「……聞いてるんじゃない」


 冷静なshしくぇぎs@の口調に、私はようやく落ち着きを取り戻す。よく考えれば、宇宙の彼方へ射出されているのは私だった。

 その後のshしくぇぎs@の捕捉によれば、私の住処にあった壁に埋め込まれた筒状の寝床が、まさに彼女の宿る古代の脱出ポッドであったらしい。

 私はあの住処を偶々見つけて住み着いていただけなので、その正体に気付かずに今まで生きていたようだ。

 彼女は異常な熱源を感知するまでスリープ状態を保っており、熱源感知センサーや時代毎に自身をアップデートする以外の機能は閉じられ、意識すら曖昧だったという。

 それなのに、ちゃっかり私のいびきは録音してやがるのだから、機能停止の中に多少の隙があったのだろうと思われる。忌々しいことだけれど。


「だけど、寝床の中はこんなにもゴツゴツとしていたかなぁ。おかげで、柔肌が傷だらけだ」


 刺々しいそれらに触手を這わせ、文句を垂れてみる。


「その刺は氷だよ。このポッドは当時の技術力から見ても、びっくりするくらい小型なんだ。いちいち冷却水を装備しておく場所もないから、発射と同時に風を取り込んで一気に冷却し、凍り付かせ、内部の温度の上昇を妨げていたんだ。ほんとはちゃんとした装備を着込んで乗るモノなんだけど、君の場合は平気みたいだね」


 その声はとても暢気だが、とても流すに流せない、とんでもない説明を受けた気がする。ほんとうにそんなものが実用化されていたのだろうか? 試験用に開発され、「こんなものに生き物を乗せられるか馬鹿!」ということで放置され、そのまま忘れ去られていただけなのではないだろうか? などと考えが及ぶ。が、何を言っても今さらである。


「……なるほど」

 氷というモノを今まで見たことはなかったが、やはり文献などで知ってはいた。水を冷却し固形化したモノであり、硬く滑らかで、透明な表面に触れると“冷たい”という針が刺さるような感覚が襲うらしい。しかし、私の肌は元居た星に注ぐ灼熱の太陽光をしのぐために、特殊な進化をしている。

 そのため、知識通りの冷たさを感じることは出来ないのだろう。現状の感覚は、少しひんやりとしている程度で、とても針が刺さるほどとは言えない。


「きっと、僕を開発した人間と、今のぬgぢwvぢhw君とでは、身体の作りが違うんだね」


 私の考えを読んだように、shしくぇぎs@が呟く。その現実は、私の中に妙な寒々しい感覚を覚えさせた。

 内臓がぎゅっと縮こまるような、この感覚は何だろう? と、shしくぇぎs@に問うと、それは多分、寂しさというやつではないだろうかということだった。なるほど。時おり襲うこの痛みは、それのせいだったのだ。shしくぇぎs@のおかげで、私の長らくの謎が解けたことになる。


「……ところで、外の景色が見たいんだが」

 私は唐突に湧いた感情をshしくぇぎs@に察せられるのを恐れ、そんな適当なことを言った。

「ちょっと待って。まだ機体を取り巻く氷が溶け切っていないでしょう? 窓を覗くにはもう少し溶かさないと」

 

 その発言に、私は驚いた。


「外に映像拾得機械は付いていないのか? まさか、ガラス一枚で宇宙と接するのは簡便して欲しい!」


 慌てる私に対し、shしくぇぎs@はどこまでも冷静だった。


「だいじょうぶ。そんな柔な硝子は使ってないよ。かつてはスペースシャトルのフロント部分にも使用された、宇宙を何度も体験したガラスと同じモノなんだから」


 また知らない単語が飛び、私の思考に引っかかる。それが、急に苛立たしく感じ始めてきた。そのことに、私は恐怖を覚える。今まで、私の抱く苛立ちとは、自分自身を対象にしたものだった。何故研究が進まないのだとか、そういった自身へのどうしようもない感情こそ、苛立ちと呼ばれるものであると思い、生きてきた。

 苛立ちとは、次の強い感情への布石なのだ。嫌悪や敵意、果ては殺意へと繋がるらしい。そういった感情に、私は達した試しがないのは、私がこれまでただ一つの固体でいたからだ。


 …………いや、今でさえ、一つなのだ。

 

 shしくぇぎs@は意識体であり、造られた人格を持つに過ぎない。相手は、ただの機械なのだ。

 こうして会話しているのも、俯瞰して見れば滑稽ですらある。

 今、shしくぇぎs@は搭乗者たる私の質問に、ただ応えているだけに過ぎない。ボキャブラリは果てもなく存在するだろうが、それらは結局、誰かが生み出した言葉をパターン化し、状況に合わせて発しているだけなのだ。

 そう考えると、彼女の言動や空気感に一々感動していた自分が嫌になる。あまりに、虚しい。


「どうしたの? 急に黙り込んだりして」

 いかにも小首を傾げていそうなshしくぇぎs@の声が、スピーカーから降り注ぐ。私はその声に機械的な無機質さを覚えてしまう。私もずいぶんと、単純だ。


 気取られぬよう、小さく嘆息する。


「別に。ただ、どうしようもない虚しさに、つい気が付いてしまっただけだよ」


 発した言葉は思った以上に、冷たかった。

 言葉に温度が伴うなら、今の言葉はポッドを覆う氷よりも冷たいだろうと、私は思った。


「あー……、まぁ、しょうがないよ」


 shしくぇぎs@が申し訳なさそうな口調で言う。shしくぇぎs@には搭乗者の思考を読む機能が備わっていたはずだ。搭乗者の健康管理には身体的な要素もそうだが、何より精神的要素が重要である。

 狭い空間での生活は、搭乗者の精神に多大な負荷を与える。集合意識体は、そういった精神的負荷を取り除くため、より自然な会話を行うという目的も兼ね、搭乗者の表情や仕種、その他様々な情報を収拾、統合し、相手の思考を完全に近い形で推察するのである。


 だから、私はこいつに対して、余計な気など使わない。shしくぇぎs@はただの機械であり、私は、私は……。


 ――――私は、一個の生物であるからだ。


「人間である、とは、考えないんだね」


 shしくぇぎs@が、どこか悲しみを匂わせる調子で言葉を紡いだ。 

 暴走気味だった私の思考は、瞬間的に萎えて縮こまってしまう。いけない、と思う。私はすっかりこの機械の手のひらの上で踊らされているような気持ちになっていた。


「……それは、ルール違反じゃないか。あくまで思考の推測を搭乗者に覚られないようにしなければ、とても自然とは呼べない」


 私の苦笑の混じった、言い訳めいた文句に、「だって、めんどいし」と、shしくぇぎs@は言ってのける。様々な諦めを纏わせて、「そうだろうね」と、私も継ぐ。

 それから、しばらく私達は言葉を発しなかった。それは、ちょうど、私が宇宙の静寂を耳にしたいと、思考したからだろうか。

 長めの沈黙の後、音も無く眼前のシャッター部分が開いてゆく。いつの間にか、機体の内外を覆っていた氷が溶けていたようだ。


 開かれた私の視界いっぱいに、宇宙のただ黒い色ばかりが、存在を押し付けて来るように広がっている。そのそこかしこに、散りばめられた砂粒みたいな、星々の儚い光が頼りなげに瞬いている。

 針の一刺しを思わせるその光は、群れをなす魚のように多くの仲間を引き連れ、一本の帯状に伸びている。

 そして暗黒の宇宙深く、どこまでも続いている。この一面の黒は、彼らにとっての海なのだ。同時に、舞台でもある。少なくとも、私にはそう思えた。


「……きれいだね」

 shしくぇぎs@が、月並みな文句を呟く。私は、その言葉をからかうことも出来なかった。何故なら、私も全く同じことを思っていたからだ。やはり、この機械はどこかずるい。


「ありがとう」


私が少々呆れていると、shしくぇぎs@が唐突にそんなことを言った。何のことだろう。私は癖で頭部を傾いでしまう。氷は溶けているので、体液をこぼすことはもうなかった。


「あの爆発が、君の手によるモノであることに、僕は気が付いているよ」


 shしくぇぎs@の言葉はどこまでも明瞭だった。透き通り、煌びやかでさえあった。私の一本の触手が、その光源の一粒を摘もうとするかのように、空を掻いた。


「そうか」


 私は、外界の雰囲気に呑まれたふりをして、呆けたように曖昧な相槌を打つ。そこに、否定も、肯定も含まなかった。ただ、この奇麗な声を、もう少しだけ、聴いていたいと思った。


「君の言う通り、いや、思考した通り、僕は機械だ。時代が過ぎる度に、その時々の情報を得、時代時代の常識を知ることと、熱感知だけを延々と続けて、今の今までやってきた。

 ……あの爆発の瞬間、ただ三つの要素で次の行動を決めなければいけない状況にあった。僕が本来、指示を仰ぐべき存在は、遠く昔に滅んでしまっていたから」


 私はただ、厚い膜を通して耳をそばだてる。


「その要素とは、長い年月を通して積み重ねてきた情報と常識。目の前で実際に起こっている出来事。そして、君の思考だ。

 僕の情報によれば、あの星で最終戦争など、ありえないことはわかっていた。しかし、現実に巨大な熱源反応はこちらに近付いて来るし、君はその時、眠っていた」


 寝たふりだ。

 そう私が思考すると、shしくぇぎs@は、「やっと尻尾を出したな」と小さく笑った。


「そう、君は寝たふりをした。そして、僕は搭乗者の命を守ることを言い訳に、空へ飛んだ」 


 言い訳? 私の思考に、shしくぇぎs@は苦笑で答えた。


「だって、そうだろう? 君がステーションに生存者がいないことを危惧したように、エムエー・アーエスにだって、本当に人がいるのか知れたものじゃない。僕が造られたのは、君も知っての通り、それほどまでに太古の昔なのさ。たとえ、誰かが生きていたとして、僕のことなど、誰も覚えているはずがない」


 その言葉は、とても平坦に語られたが、私には長い長い絶望の果てに吐き出されたものだという気がした。


「僕らが辿り着けたとして、厄介に思われるか、もしくは侵略者と判断されて処分されるかもしれなかった。でも、僕は飛んだ。その理由が、君にはわかるかい?」


 わかるさ、だから。


「そう、だから君は僕を誘ったんだ。君が僕のいる場所にやって来たのは、決して偶々何かじゃないだろう? 僕は、君に感謝している。何故なら、僕は造られたその日から、僕は、僕はね……。ずっと、宇宙が見たかったんだ」


 shしくぇぎs@は、感慨を噛締めるように、必要もない息を吐いた。大きな、大きな深呼吸。または、溜め息だった。

 私は、そんな彼女をずっと探していた。私もまた、宇宙へ、畏敬の念を抱く“本当の人間”の元へ、行きたかったのだ。


「君のその考えに気付いたのは、失われた技術について、君が少し知り過ぎていたからだよ。僕の集めた情報によると、あの星にそんな物を研究するほど、奇特な奴は誰もいないはずだった。それに、君は自分達の種を、決して『人間』とは呼ばなかった」


 当たり前だ。あの堕落し切った世界に住まう『者共』が、かつて叡智と向上心を持ち、繁栄をもたらした“あの人間”だとは、思えようはずがない。


「だから、君がかつての人間に特別な感情を抱いているのだということはすぐにわかった。あの世界の人間は、確か君の言い分を用いれば、


『彼らに争ってまで欲しいものなど、争ってまで主張したいモノなど、何一つとしてないのだ』


 ということだけど、ところが、君はそうじゃない。君には、争ってまで欲しいものも、主張したい夢もある。だからこそ、あの爆発の犯人は、君以外、ありえないんだ。……どう? 僕の推理は」


 shしくぇぎs@はどこか得意気だった。

 そう、あの爆発を起こしたのは私だ。私は太古の地図を片手に、各地の洞窟に隠されていた多量の核兵器を探し当て、一斉に起爆した。

 私の発明した荒地をものともしない、多脚型の自動探査機に、強い衝撃を与えると爆発する薬剤を背負わせ、家から送り出した。

 後は待つだけだった。そんな面倒をしたのは、私の気が変わる可能性を考慮したからだ。世界を滅ぼしてまで、私の夢は挑むべきものであるか、その自問にはすぐに答えなど出なかった。しかし、私は決断したのだ。


 誰のためでもない。私は、私のために世界を滅ぼした。


「まったく、素晴らしい限りだよ。拍手を送りたいくらいだ」

 私は低く忍ぶような笑みをこぼし、投げやりに賛辞を贈る。私の夢は、これで潰えるのだ。その諦めが、私を大胆にした。


 そんな私をからかうように、shしくぇぎs@は苦笑する。


「僕を褒めても殺してやらないよ?」


 私は目を剥く。文献によれば、集合意識体には当時の刑法の行使が認められていた。船内での犯罪行為を公平に取り締まるため、人々は執行の責任を機械に押しつけたのだ。

 つまり、私の大罪が暴かれた時点で、私の死刑は免れないと思っていた。動揺を隠せない私に、shしくぇぎs@が、今度は呆れた様子を匂わせる。


「君は世界を犠牲にしてでも野望を手にしたかった男のくせに、妙な所が抜けていて困る。何度も言った通り、僕は時々の情報と共に常識も学ぶ。それによれば、今のこの世界は、紛れもなく無法地帯だとさ」


 そもそも、自分が完全に起動する前の、しかも船外で起きた犯罪を取り締まるようには出来ていないのだと、shしくぇぎs@は続けた。


 私は、しばらくほんとうに呆けた後、


「……性別は、とうの昔に曖昧になった」


 と、どうでも良いことに突っかかっていた。


「君は、どう見ても男だよ」

 

 shしくぇぎs@が笑いながら言う。

 

 そうだろうか。


「だから、そのぶ厚い装備の中から、早く出てきなよ」


 私は、しばらく戸惑った後、ブルブルと震える頭部の中から、右腕を突き出した。

 開いた隙間に左手を捻じ込み、かつての人類なら抱いたであろう、生理的嫌悪感を煽る粘着質な音と共に、shしくぇぎs@の前に姿をあらわした。

 

 茶色い体毛に覆われた、醜い程に短い手足。ピンと尖る二つの長い耳が頭上に並び、冒涜的な黒い両目は頭部の両端にあり、感情を一欠けらも窺わせない。

 突き出した鼻は茶色く染み、湿っぽく濡れている。その下には、凶悪な二本の前歯が、恐ろしげに生え揃っている。

 

 私の姿は、どう見てもかつての人類からはかけ離れている。どれだけ憧れても、彼らのようには、決してなれないのだ。


 しかし、私はそれでも、星の彼方にいる彼らに会ってみたかった。たとえ、拒絶されようとも、星を一つ犠牲にしようとも。


「いつからこの姿が装備だと気付いていた?」

「僕の能力を知っている君が、何の対策も練らずにいるはずもないと考えただけさ。殺される危険性を抱いていた君なら、生身の姿を僕に晒すことはしないだろう。その装備は僕の思考解析を遮断して、君に都合の良い思考とそうでない思考とをこすフィルターの役割をしていたんでしょ? 僕に嘘を吐き放題というわけだ。

 だけど、甘かったね。何より、思考を読んでいて不自然なほど、君の痛覚は鈍すぎた」

 見れば、傘状の頭部が、深くえぐれていた。氷の突起に擦りつけた時のものだろう。

 そもそも、生身であの冷却に耐えられる時点で、生物としてありえない。怪しんで当然だ。私は、自分で思う以上に、馬鹿なのかもしれない。


「そうか、そこまで気が回らなかったよ」

 

 それほどまでに必死だったのだ。そしてそれ故に、私は盲目だった。

 私は頬を掻き、少し照れ臭いような気になって、窓の外を見つめた。


「……エムエー・アーエスに着いたら、私は受け入れて貰えるだろうか」


 弱気な私の言葉を、shしくぇぎs@は声を上げて笑ってみせた。


「君の思っている以上に、君の姿は愛らしいよ。そうだなぁ……喩えるなら、君はウサギのようだね。かつての人間達は、ウサギを大層可愛がっていたからねぇ。君が嫌われるはずはないさ」


 窓の外、電飾の塊が渦を巻いたようなアンドロメダの巨大な目玉が、じっと私達を見定めている。

 その無遠慮な視線は、私の心に強い緊張を生む。私の犯した大罪を、あの目はすでに知っているような気がした。

 私の種族は、精神的負荷に対して驚くほどに弱い。今私が狂わずにいられるのは、しでかした罪があまりに大きいため、現実感が乏しくなっているせいだろう。あの星には、大人や子供や老人や、私と血のつながりのあるものや、友人とは決して呼べないが、念波を飛ばしあったものもいた。

 

 私が殺した。

 私が。

 

 もし、私の元に犯した罪にふさわしい大きさの罪悪感が去来したとすれば、私は自分が生きていることに堪えられないだろう。

 それは、今すぐかもしれないし、明日かもしれない。もっともっと、先のことかもしれない。電光盤の壊れた時限爆弾を抱えて、私は生きていくのだ。


「ねぇ、ぬgぢwvぢhw君。僕らはもう十分に、孤独を味わったよね」


 唐突に、shしくぇぎs@が言った。

 私はちょうど、もし船内で自分が自殺をはかった時は、そのまま死なせてもらえないかと頼むべきか考えていた。しかし、やめておくことにした。何故なら、彼女は搭乗者を守るためのシステムによって、どうあっても私を助けなければならないだろう。迫り来る核の炎から、私を守ろうとしたように。

 出来ない約束をさせるのは、忍びなかった。


 私が様子を窺っていると、体液が漏れ切って萎びかけていた私の装備を押し退けるようにして、一枚の小型モニターがあらわれ、私の目の前で静止した。そこには、紛れもない人間の姿をした少女の姿が映されていた。


「これは僕からの提案なんだけど、僕らはそろそろ友人になっても良いと思うんだ」

 

 shしくぇぎs@が言葉を発すると、モニターの少女のくちびるも同時に動いた。理由を量りかねていると、モニターが出てきた場所の少し下の辺りから、二本爪の武骨な作業用アームが伸びてくる。そして、私の前に差し出された。

 私はすっかり動転してしまって、画面とアームを交互に見つめた後、「手を握れ! 握手だ!」というshしくぇぎs@の叱責を受け、慌てて両手でアームを掴んだ。

 

 そんな私に、shしくぇぎs@はまた笑った。

 モニターの少女も同じように笑う。どうやら、この少女はshしくぇぎs@のパーソナルイメージであるらしい。つまり、彼女の与えられた姿である。その笑顔は、私の脳の奥から知らないはずの向日葵を想起させた。


 shしくぇぎs@はまた、「ありがとう」と言った。「僕を地の底から空に連れ出してくれて、ありがとう」と。そして、言葉は更に継がれた。


「これから、どのような困難が待ち受けていようとも、僕は君の味方であり続ける。ずっと、そばにいることを誓うよ」


 shしくぇぎs@の言葉は、私の中にあった冷たい劣等感をことごとく融解させてしまう。胸の内がぽかぽかと熱を持ち、私は戸惑った。

 

 私の中に、こんなにも暖かい気持ちが潜んでいたとは知らなかった。いや、暖めてくれたのは、紛れもなくshしくぇぎs@なのだ。

 私は、一人で意固地になっていたに過ぎない。私はまっすぐにモニターと、shしくぇぎs@と向き合った。


「これまでの非礼を詫びたい。そして、ありがとう。私の初めての友人よ」


 アームの爪が折れ、私の手を握る。私はその手を、強く握り返した。


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