第19話 チハルの成長

 宿の一室でイブロはエールを飲み、チハルはマスターからもらった牛乳をちびちびと口に運んでいた。


「チハル、明日からは旅に出ることになる。行程は俺が決めてしまったが」

「うん、イブロ。ありがとう」


 チハルはペコリと可愛らしく礼をすると、口元だけに笑みを浮かべる。

 いつの間にか少女らしい仕草をするようになったじゃないかとイブロが顔を綻ばせていると、チハルが頬をぷーと膨らませ上目遣いでイブロを見やった。

 

「ダメだった?」

「いや、感心したんだ」

「よかった。『たしなみ』をパメラから教えてもらったの。イブロが喜ぶって」

「すごいな、パメラは……。俺も見習わないとな……」


 イブロは頭をボリボリとかき、肩を竦める。同年代の少女との交流がこれほどチハルを変えるとは驚きだ。いや……パメラの性格もあってのことだろうとイブロは思う。

 近くチハルのこれらの仕草が演技じゃなく、心の動きから出て欲しいなと欲が出てくるイブロであった。

 

「あれ、イブロ。さっき何か言おうとしてなかった?」

「あ、ああ。そうだった。明日から旅に出るから、今日はちゃんと体を拭いておこう。旅の間は満足に体も拭けないからな」

「うん」

「じゃあ、順番に体を拭こう。俺は部屋を出ているから終わったら扉を開けてくれ」


 チハルは頷くと、イブロは片手をあげ部屋を辞する。

 ちゃんとこの前「人前で脱ぐな」と言ったことを覚えているようだな。イブロは感心感心と首を縦に振る。

 しばらく待っていると、チハルが扉を開けパジャマ姿で出て来た。

 

「お、その服?」

「パメラにもらったの。もう小さくなっちゃって着れないからって」

「そうか、可愛いパジャマじゃないか」

「うん」


 チハルはその場でくるりと回る。彼女の着ているパジャマはワンピースのような頭からかぶるだけの簡素な作りをしている。しかし、裾と袖にはレースがあしらわれており、色合いも薄いピンクで彼女によく合っていた。

 

 ◆◆◆

 

 並んだベッドに入る二人。寝る前になってチハルはパメラたちとのことについてイブロへ話をしている。

 

「……でね、パメラが言うの」

「おお、何て言ったんだ?」

「『未来は来るもの、掴み取るもの』だって」

「パメラらしいな」


 イブロは笑う。チハルもくすくすとイブロの真似をして声を出す。


「クロエは何か難しいことを言ってたから良く分からなかったよ。『時はお嬢様と共にあるもの?』とか」

「なるほどなあ」

「でねでね、イブロ。イブロは守りたいもの? 人? っている?」


 話がコロコロ変わるチハルへイブロは微笑ましい気持ちになって、ベッドでゴロゴロ転がる彼女を見やった。

 チハルの疑問には何でも答えてあげたいイブロだったが、さすがにこの問いは面と向かって言うに気恥ずかしさが勝る。

 

「それもパメラから?」

「ううん、これはクロエが言っていたの。イブロはどうなの?」


 クロエ……余計なことをと一瞬イブロは思うが、チハルの在り方を問うにいい質問だとも考える。


「あ、あー、うん。俺が今一番守りたいのはチハル、お前さんだ。次にソルであり俺の数少ない知り合いだな」


 イブロは年甲斐もなく頬が熱くなることを感じていた。

 

「そう。わたしなんだ。ありがとう、イブロ」

「ああ、お前さんはどうなんだ? チハル」


 イブロの問いにチハルはピタリとゴロゴロと転がるのをやめ、ベッドにペタンと座る。

 そして、彼女は最初に出会った時のように表情が抜け落ち、イブロへ言葉を返す。

 

「ワタシは世界のありとあらゆる全てを護ります」

「チハル……」

「なぜなら、ワタシは自律型防衛兵器なのですから」


 イブロは思わずチハルを抱きしめる。そのまま彼女の背中を撫でていると、チハルはボソリと呟く。

 

「でも、わたしは暖かいを守り『たい』。イブロの手の平、ソルのお腹、マスターの食事……パメラの……」

「そうか。そうか……」


 イブロはチハルの背をポンポンと叩き、彼女の頭を撫でる。

 チハルは「暖かいね。イブロ」と呟き彼の胸に顔をうずめるのだった。

 

 ◆◆◆

 

――翌朝

 チハルはパジャマからパメラと一緒に選んだ服に着替え、淡いブルーの眼帯もイブロに手伝ってもらって装着した。

 朝食をとっているとクロエの使いの者がやって来て、街の外に馬車と馬を用意していると告げる。


「マスター、行ってくるね」

「おう、気を付けてな、チハル。ついでにイブロも」

「ついでって何だよ」


 イブロとマスターはガハハと豪快な笑い声をあげ、手を叩きあう。


「それは……?」

 

 チハルが首を傾けると、マスターは膝を曲げ彼女の高さまで顔を落とすと白い歯を見せた。

 

「これは、『行ってこい』の激励だぜ」

「そう。じゃあ」


 チハルはつま先立ちになり、手を精一杯上に伸ばす。マスターもそれに合わせ立ち上がると、彼女の手の平へそっと手を合わせる。

 

「気が向いたらまた戻ってこい!」


 マスターに見送られ、イブロとチハルは宿を後にした。

 

 街の入り口まで行くと、確かに馬車と馬がイブロたちを待っているのが目に入る。

 イブロは目を見開き、クロエが用意しただろう馬を凝視した。

 あれは……馬じゃねえ。クロエ……奮発し過ぎだろう。

 馬のように見えるそれは、馬車を引く大型の馬より一回り大きく、頭からはヤギのような捻じれた角が生えていた。毛並みもどのような馬とも異なる。

 こげ茶色にギザギザした黒色の帯が何本も入った毛並みをしている馬のような動物。この動物の名はスレイプニルという。

 無尽蔵のスタミナを誇り、馬より悪路に強く、粗食やストレスにも耐える。その上、主人に忠実であらゆる能力が馬を上回っているのだ。しかし、生殖能力が馬より格段に落ち、成獣になるまでに馬の倍の時間がかかる。

 そういった事情から、とんでもない人気を誇るのだが市場には出回らない。もし売っていたとしても馬の十倍じゃきかない金額がする。

 それをあっさりと翌日に手配してしまったことにクロエの手腕が伺えた。

 

「気に入っていただけましたか?」

「うお、いつの間に」


 音も立てずに背後に立っていたクロエにイブロはギョッとして驚きを露わにする。


「ありがとう、クロエ。パメラは?」


 一方のチハルはスレイプニル、クロエの突然の登場にも眉一つ動かさずクロエに問いかけた。


「お嬢様はまだ別邸にいらっしゃいます。間に合えばよいと思い、私だけでも急ぎここへ参ったのですよ」

「そうなんだ」

 

 顎に人差し指を当て、チハルは残念といった風に首を傾げる。


「クロエ、いろいろとありがとうな」

「お礼を申し上げたいのは、こちらの方ですよ。どうかお気をつけて」


 イブロの言葉へクロエは背筋をピンと張り、優雅な礼を行うのだった。

 

 馬車に乗り込み、イブロは御者台へチハルはイブロの後ろにちょこんと腰かける。

 動き出すスレイプニル。離れていく街。

 街が見えなくなってきたところで、イブロは一旦馬車を停車させる。

 そして、チハルは犬笛を吹き鳴らす。すると、待っていたかのようにソルが姿を現し馬車に飛び乗るとチハルの顔をペロリと舐めた。

 

「くすぐったいよ、ソル」


 チハルはソルの頭を撫でると、彼は気持ちよさそうに目を細め一声吠える。


「じゃあ、行くぞ。長い旅になるが、まずはここから二日の距離にある村を目指す」

「うん、イブロ」


 馬車が動き出すとソルは馬車から飛び降り、馬車と並ぶように走るのだった。

 空は晴れ渡り、彼らの旅路を祝福しているように見える。

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