第9話 活動停止
しばしの休息を取った後、イブロはよっこらせと声を出してゆっくりと立ち上がる。
イブロが休息している間、身じろき一つしなかったチハルも彼に合わせて僅かに顔をあげた。
「待たせたな。ソルはどこに?」
「森の中へ行ったよ」
何でもないという風にチハルは言うが、イブロはつい普通の少女へ向けるように言葉を返してしまう。
「心配しなくても大丈夫だ。チハル」
チハルの頭を撫でるイブロであるが、当のチハルはすまし顔のままだ。
「心配? 何をなの? イブロ」
「あ、ああ。ソルがいなくなってもちゃんと戻ってくるから不安にならなくていいってことだ」
頭をボリボリとかきながら、バツが悪そうにイブロは応じた。
「そ、そうだ。チハル。野営する時にまずやることは何だか分かるか?」
「うーん、何だろう」
「それは、まず火を起こすことだ。火があれば煮炊きもできるし、火を恐れるモンスターも多い」
「うん」
「そういう時は頷くんだぞ。こういう風に」
イブロは口元に微笑みを浮かべながら、首を縦に振る。彼の笑顔が若干不気味だったが、チハルにそのことを理解するだけの感性を持ち合わせていなかったことは彼にとって幸いだったかもしれない。
もし、他の誰かにこの姿を見られていようものなら、彼は頭をかく程度じゃ収まらないだろうから。
「うん、イブロ」
チハルはイブロの動きをトレースし、口角を僅かに上げただけの顔で頷きを返した。相変わらず目の動きがまるでない。
それでもイブロの顔に比べればまだまともだと言えよう。
ともかく、イブロはワザとらしい咳払いをした後、腰のポーチから火打石を取り出す。
最近は魔石を使った自動火打石が主流なのだが、彼は昔ながらのこれを気に入っていた。男ってのは時に手間をかけることに浪漫を感じるものだと彼は思っている。
そんなわけで、彼は火起こしには火打石を使っているのだ。
「イブロ、その石はなあに?」
「見ていろ、まずかまどに乾燥した木の枝を置いて、燃えやすいこいつを上から被せる。そして、この火打石を打ち合わせるんだ」
慣れた手つきで、かまどに火をつけるイブロ。
「よし、火はもう大丈夫だ。本当はもっといろいろ下準備がいるんだが、少しずつ教えていくから」
「うん、イブロ。わたし、覚えることだけなら、できるよ」
「そうか、そいつはいい」
この休憩所は施設が充実している。小屋もあればかまどもあり、なんと井戸まで備えているのだ。
水を汲み、鍋に水を注ぐとそれを火にかける。続いて、手持ちの携帯食料を鍋に放り込み煮込む。
ぐつぐつといい匂いが漂ってくる頃、ソルが獲物を咥えて戻ってきた。
「おかえり、ソル」
イブロがチハルへ目を合わせると、察した彼女は「おかえり、ソル」と彼と同じ言葉を繰り返し戻ってきたソルを労う。
ソルはイブロの前で獲物を置くと、チハルの肩へ頬を摺り寄せて彼女の脇で丸まった。
「撫でてやるといい」
「うん」
チハルは両手を使ってソルのふさふさを撫で回す。すると、彼は気持ちよさそうに目を細める。
こうして見ていると、大きい猫のようだなとイブロは思う。といっても……彼はソルが獲ってきた獲物に目をやった。
ソルが獲ってきたのはフォレストディア―という鹿の一種で警戒心が強く、近寄ることさえなかなか難しい動物である。それをこんな短時間であっさり捕まえてくるところから、ソルは超一流のハンターだと言えよう。
そんなソルがあれほど無警戒にチハルへ甘えている姿を見ると和むというものだ。イブロはチハルと頼もしい相棒ソルの様子を眺め目を細めるのであった。
「ソルの獲ってきた獲物も捌いてしまおう」
「ソルのじゃないの?」
「もちろん、ソルにも食べてもらうさ。でもな、この獲物はチハル、お前さんの為にソルが獲ってきたんだぞ」
「わたしのため? そうなの、ソル」
チハルはソルを撫でたまま、彼の首元に顔を埋める。ソルは何となく察したのかぐるぐると声をあげた。まるで「そいつを食べてくれ」と言っているように。
イブロはフォレストディア―の茶色い毛皮を剥ぎ、太ももの肉を少しだけチハルのために切り取った。残りはソルの前に置く。
この際だから、毛皮は乾かして街で売るとするかと考えながらも彼は手を動かし、小さなフライパンを出すと切り分けた肉を焼くのだった。
◆◆◆
彼らが食事を終える頃には日がすっかり落ち、空には月が浮かび時折フクロウの鳴き声が聞こえてくる時間となっていた。
暗くなってしまったが、ランタンにチハルがマナを補充してくれた魔石を放り込むとお互いの顔が見えるくらいに明るくなる。
「チハル、ありがとうな。魔石の色が青色まで戻っていた」
「ううん、まだ魔石を持ってるの? イブロ」
「いや、魔石は使い捨てだから使ったら全て捨ててしまうんだ」
チハルの魔石にマナを補充する能力は他の者に知られない方がいいな……。魔石はそれほど高い物ではないが、この能力は誰も見たことのない能力だから変な輩を引き寄せないとも限らない。
イブロはチハルへ彼女の能力について注意を促すと彼女は口角だけをあげ、コクリと頷いた。
「じゃあ、今晩はもう寝るか」
「うん、活動停止するね。六時間後にまた」
「待て、チハル」
「なあに?」
「人間には、寝る時の挨拶があるんだ」
「うん」
小屋の中にソルも連れて入る二人。部屋の中には家具や寝具の一つもないが、外で寝ることに比べれば雲泥の差である。
イブロとチハルがその場で腰を降ろすと、ソルがチハルの傍に寝そべって丸まった。
その様子を見たイブロは、チハルへ彼と共に寝るように勧める。素直に彼の言葉に従ったチハルは、ソルのお腹に寝そべり彼に包まれるような形になる。
「おやすみ、チハル」
イブロは膝立ちになり、チハルの頭を撫でるとぎこちない笑みを浮かべた。
「おやすみ、イブロ」
チハルは言葉を言い終えるや否や、目をつぶり反応が無くなる。
なるほど、これが「活動停止」という奴か。人間の睡眠と同じようなものだが、体の動き自体が全くなくなるんだな……。イブロはしばらくチハルを観察し心の中で感想を述べた。
これは、外部の刺激があると起きることができるのかそうじゃないのか、明日チハルへ聞く必要があるな。もし一度活動停止を行うと時間が過ぎるまで目覚めることがないのなら、チハルが寝ている間最大限の警戒をする必要がある。
そう考えながらも、イブロは今晩のところは寝てしまうことを決めた。
というのはガーゴイルと雷獣との戦闘、そして強行軍と体を酷使し過ぎたからだ。きちんと寝なければ、明日の動きが鈍ってしまうだろう。
イブロはゴロンと寝転がると、休息に眠気が襲いすぐに寝息を立て始めるのだった。
――翌朝
日の出と共に目覚めたイブロとチハルは、朝食を採った後すぐに移動を始める。
この日イブロは無理のないペースで歩き、休息所までたどり着くことができた。移動中チハルはずっとソルの背に乗っていたから、イブロはチハルの速度を気にすることなく歩けたというわけだ。
道中イブロはチハルの「活動停止」について、詳しく聞いていた。彼女の「活動停止」は自分に危機が迫った場合、起きることはできるらしい。
しかし、注意すべきことは彼女は六時間の活動停止を行わなければ、活動時間に制限ができてしまうこと。停止できなかった分は活動時間が大幅に減ってしまう。
二度目の休息所でもソルは狩りに出かけ、その間にイブロはかまどの準備を行うことにした。しかし、今回はイブロが一人でやるのではなく、チハルにも手伝ってもらうことにする。
穏やかな時間が流れる中、イブロはチハルへ街でのことについて話すことにしたのだった。
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