第10話 ルラック到着

「チハル、街に着いたら俺の傍から離れないように気を付けてくれ」

「うん」


 チハルはまだとてもじゃないが人間らしく振舞えているとは言えない。しかし、彼女は見た目だけなら人間そのものなのだ。仕草も怪しいのだけど、イブロが傍で見守っていれば大事には至らないだろう。


「何かあればその都度伝えた方がいいだろう。もう一つある。これは大事なことなんだ」

「うん」


 イブロは懐から、小指ほどの大きさの犬笛を取り出す。彼は懐かしい物を見る顔になり犬笛に目を落とす。

 この犬笛は昔相棒だった男の飼っていた狼のものだ。今は既に狼はこの世になく、ただ当時の思い出を伝えるだけになっていた。

 こんなところで使うことになるとはな……イブロは口元に笑みを浮かべチハルへ犬笛を手渡す。


「これは?」

「それはソルを呼ぶ為に使う道具だ。街中へソルを連れて入るのは街の人が驚いてしまう。ただでさえ目立ちたくない状況だからな」

「うん。わたしが目立つから?」


 珍しく理解が早いチハルへイブロは目を見開く。彼女には自身を卑下して欲しくないのだが……。

 自分のせいで、自分がいなければ……なんてことを彼女には考えて欲しくない。

 

「雷獣はとても強いモンスターなんだ。みんな雷獣に噛みつかれないか心配になる……それに人に慣れている雷獣を捕らえようと変な連中が絡んでくることもある。そうなったらチハルにも危険が及ぶかもしれないだろ?」

「うん、分かったイブロ。人に囲まれるのは良くないね」

「ああ、そうだ」


 決してお前さんが悪いわけじゃあない。と伝わってくれればいいのだが……とイブロは心の中でそう思うのだった。


「そんなものは俺だけで充分だ……」

「どうしたの? イブロ」

「いや、何でもない。ソルが犬笛でチハルの元にやって来ることができるように少し練習をしないとな」

「うん」


――翌朝

 ソルに森の中へ入ってもらいチハルが休憩所で犬笛を吹く。なんと彼は一回だけで完璧に犬笛のことを覚えてしまったのだった。

 これにはイブロも驚きを隠せないでいた。雷獣というのは犬や狼より遥かに頭がいいモンスターのようだな。予想外に早く練習が完了してしまった彼らはすぐに街へと向かう。

 街まであと一時間ほどのところで、ソルと別れチハルは自分の足で歩き始めた。その後すぐにイブロは思い出したように立ち止まると、懐からゴソゴソと薄汚れてしまった包帯を取り出す。

 

「チハル。あり合わせですまないが、これをその目が隠れるように巻き付けるぞ」

「うん、イブロ」


 片目であるということはそこまで珍しいものではないが、虚ろな眼窩を外に晒すよりはいいだろうとイブロは考える。

 それに、遠目には分からないがつぶさに眼窩を観察すると、異質だと分かってしまう。用心するにこしたことはないだろう……。

 包帯をチハルに巻くと、二人は再び歩き始める。街はもう目と鼻の先だ。

 

 ◆◆◆

 

 イブロとチハルが到着した街の名はルラックという。ルラックの街は二千人ほどの人が住んでいた。街の西部には小さな湖があり、街の人たちの水源となっている。元々この街は湖に集まった人たちが村を作り、それが次第に大きくなっていった結果ここまでの街へ成長したものだった。

 そのため、街中は区画整理がされておらず雑然としていて、この規模の他の街が備えているような城壁も存在しない。

 それでも街には自警団があり、時には探索者も協力してモンスターの排除に努めた結果、ここ最近はモンスターの襲撃がなく平和が保たれている。

 

 城壁がないため、街へ入ろうと思えばどこからでも侵入することができるのだが、一応街の外へ繋がる街道のところには門番が二人立ち外から来る者を迎えると共に警戒に当たっていた。

 イブロは門番たちへ片手をあげて挨拶すると、彼らも会釈を返しイブロへ声をかける。

 

「イブロ、今回はどうだったんだ? いい物は見つかったか?」

「ボチボチだな」


 イブロは言葉を返すと、門番は傍らにいるチハルへ目を向ける。しかし門番たちは軽く首を揺らしただけでイブロへ何も問おうとせず、イブロはイブロであえて彼らにチハルのことを言及することもなかった。

 そろそろ日も傾いてくる頃だったので、彼は自分がいつも使っている酒場兼宿屋へと向かう。

 

 すぐに「かじりつくカモメ停」と書かれた看板がかかったおんぼろの家屋が見て来た。家屋は二階建てになってはいるものの、所々に蜘蛛の巣がかかり屋根の上ではカラスが我が物顔でくあくあと鳴いている。

 鳥の巣ができても放置した結果、この建物では鳥たちの縄張り争いが数度起こったのだったが、最終的に勝利したのはカラスだったようだ。

 

「チハル、入るぞ」

「うん」


 イブロはチハルへ目をやると、彼女の手を握り横並びになって「かじりつくカモメ停」の扉をくぐる。

 

 中は時間がまだ早いためかガランとしており、客足は皆無でカウンターの奥に男が一人手持無沙汰で佇んでいるだけであった。

 男は長身で筋肉質な体をしており、頭頂部が完全に禿げあがっている。歳の頃はイブロと同じくらいの四十代半ばといったところか。

 彼はこの酒場のマスターで夫婦でここを切り盛りしている。

 

「よお、イブロ。戻ったのか」


 酒場のマスターはイブロの様子を見とめると陽気に挨拶をしてくる。

 対するイブロは軽く片手をあげて返すと、テーブル席にチハル共に腰かけた。

 

「可愛い子を連れているじゃねえか? お前の娘か?」


 イブロの座る席までやって来たマスターは軽い調子でイブロをからかう。

 

「うん、そうだよ」


 イブロはチハルの突拍子もない言葉に噴き出してしまった。

 チハル……意味が分かって言ってるのか? イブロは心中で苦言を呈する。


「ははは、こりゃいい」


 陽気さを崩さなかったマスターであったが、チハルから見えぬよう顔をイブロの方へ向けると神妙な顔になり彼へ耳打ちした。

 

「おい、イブロ。深くは聞かねえ。でもな……もしこのまま連れ歩くなら眼帯と服装くらいは何とかした方がいいぞ……」

「そのつもりだ」


 イブロは誰に対しても深く詮索せず、明るく振舞うこの男を好ましく思っている。

 今回もそうだ。男にだってチハルの様子を見ればただ事ではないとすぐに分かるだろう。イブロが遺跡に行っていたことはこの男とて知っている。

 道中でこの少女が着の身着のままでいるところを見つけ、何らかの事情があった……といった感じに男は考えているのだろうとイブロは思う。


「マスター、すぐにできるものを頼む。俺にはエール。チハルには……そうだな、牛乳でいいか?」

「うん、イブロ」


 チハルは口角をあげ「うんうん」と頷きを返す。

 

「わかった。イブロ。ちょいと待ってな。宿も使うのか?」

「頼む」

「了解」


 マスターはカウンターの奥に引っ込むとすぐに飲み物を持って席に戻ってくる。


「牛乳は飲めそうか? チハル」

「うん、だいじょうぶだよ」

「そうか、それはよかった」


 無表情でちびちびと牛乳を飲むチハルの姿を眺めつつ、イブロはエールを口に含む。

 チハルは味覚があるのだろうか? 俺と会ってから何度か一緒に食事をしているが、彼女は食べている時に表情を変えたことは一度もない。

 文句を言わずに食べてくれるのはありがたいが、イブロも人間。少しずつ欲が出てくる。どうせなら、美味しいと思ってもらいたい。

 しかし……彼女は元々何も食べなくても平気である……ということも彼は思い出すのだった。

 

「チハル、マスターの料理はそこそこうまい。楽しみにしていてくれ」

「うん」

「おいおい、そこそことか失礼だな。それなりにうまいぞ、俺の飯はな!」


 ガハハと笑い湯気をあげる料理を持ってきたマスターは料理を置くとすぐにカウンターの奥に引っ込んで行く。

 そこそこもそれなりも同じだろう……。とイブロは思ったが、あれはマスターなりの冗談なんだろうと考えなおす。

 これは彼なりの気遣いなのだ。チハルの外見を見る限り明るい話題には見えないのだから……。

 

「おいしいか? チハル」


 イブロはあつあつの鶏肉のシチューをスプーンですくうチハルを見やりエールを飲む。

 

「ごめんなさい。分からないや。でも、何だか暖かい?」

「そうか、それはよかった」


 イブロは上機嫌でソーセージをほおばるのだった。 


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