第8話 ソル

 雷獣の巣を出て歩くこと数十分。チハルの速度に合わせてゆっくりと進むイブロとチハル。彼らの後ろにはつかず離れずの距離を保ってチハルが治療した若い雷獣がついてきていた。


「チハル。街に着いたら服と靴を買おう。ずっと素足で歩かせてすまないな」

「このままで大丈夫だよ? イブロ」


 確かにチハルの言う通りなのだろう。遺跡からここまでチハルはずっと素足で歩いてどこも怪我した様子はない。寝間着のようなノースリーブの貫頭衣であっても腕や手が草や木の枝で擦り傷を作ったりもしていないのだ。


「移動するに支障がないからってことじゃあないんだよ。チハル」

「えっと、それは……」

「それはな、チハル」


 言葉を続けようとしたイブロへチハルは手をあげ彼の言葉を遮った。

 

「待って、イブロ。自分で考えるから」

「歩きながらゆっくりと考えるといい」


 いい傾向だ。イブロは口元を綻ばせる。だが、彼女の考える様子がいただけない。

 無表情で何事も無かったかのように歩いているだけなのだから……。

 

「チハル。考えるときは……そうだな。顎に手をやるとか『うーん』と口に出すとか『考えてます』って感じを出した方がいい」

「うん、イブロ」


 素直にイブロの意見へ従うチハルは、「うーん」「うーん」と呟くものの表情がまるで動かないため却って変になってしまう。

 これは無いとイブロが思い、チハルへ声を書けようとするが先に彼女が言葉を返した。

 

「イブロ、わたしが『人間らしく』見えるようにってこと?」

「その通りだ。よくわかったな。えらいぞ」


 イブロはチハルの頭を撫でる。すると、彼女は僅かばかりではあるが目を細めるのだ。

 ここで「えへへ」とか言ってくれると子供らしくていいのだが……。なんて欲が出てきてしまうイブロなのであった。


「イブロ、その表情はどういう意味なの?」

「……」


 自身のニヤついた顔を指摘されたイブロの表情が固まる。チハルの為にも正直に答えるべきだが、気恥ずかしさが上回ってしまった彼はあからさまに話題を変えてしまう。

 

「チハル、あの雷獣に名を付けないのか? あれはお前さんに付き従うナイトみたいなもんだ」

「名前って、個体識別番号かな」

「まあ、そんなもんだ。人間は親しい動物に名前を付けるもんなんだよ」

「そう……じゃあ、雷獣イ一でいいかな」


 商品のような記号を名前として扱おうとしていたチハルへイブロは頭を抱える。

 どう説明すればいいものか……イブロは少し思案するとチハルの頭を再び撫でた。

 

「いいか、チハル。名前っていうのはそいつの『在り方』や『生き様』まで示す大事なもんなんだ。だから……うまく言えなくてすまんな」

「難しいね、イブロ」

「ああ、難しいな」


 チハルの言う難しいと自分の考える難しいは違うことなどイブロは理解していたが、言葉が重なったことが妙におかしくなり声を出して笑う。

 対するチハルは不思議そうにイブロを見上げるだけだった。


「チハル、面白かったり嬉しかったら笑うんだ」

「うん、イブロ」


 チハルはイブロの真似をしたのか、にやあっと口角をあげる。


「チハル、笑う時は目も細めないと。変だぞ」

「ぶー」

「お、その言葉は人間らしい」

「記録から検索したんだよ」

「そうか」

「うん、イブロ」


 イブロは立ち止まり、チハルへ雷獣を撫でるように指示を出す。

 言われた彼女は雷獣の前に立つが、雷獣を撫でようとはしない。

 チハルの様子を察したイブロは、雷獣の背へ手をやり「こうやるんだ」とばかりにそのまま背中を撫でる。

 イブロのやり方を見たチハルは、おずおずと手を差し出しぎこちない仕草で雷獣の腹を撫でた。

 

「ソル」

「そいつの名か」

「うん、この雷獣の名前はソルにするね」

「いい名だ。ソル大地か」


 イブロはチハルの背中をポンと叩く。チハルは彼に導かれるように雷獣の頭を撫でそっと呟いた。

 

「ソル、よろしくね」


 雷獣――ソルは頬をチハルの腕に擦り付けると彼女の手の平をペロリと舐める。

 そして、後ろ脚を屈めるとチハルの服を甘噛みして引っ張った。

 

「チハル、ソルが乗れって言っているぞ」

「うん」


 ソルの背にまたがるチハル。しかしポニーほどのサイズがあるソルの背は広くチハルの足先はソルの脇腹の下まで届いていなかった。これではソルが動くと振り落とされそうだ。

 

「チハル、ソルの首にしがみつくようにしてみろ」

「うん」


 チハルはまたがったまま体を前に倒し、ソルの首へ抱き着くように体を寝かせた。

 

「よし、チハル、ソル。進もう」

「うん、イブロ」


 ◆◆◆

 

 チハルがソルに騎乗したため、イブロはチハルの歩く速度に合わす必要が無くなった。その結果、進む速さがこれまでの二倍近くになる。

 しかし、一時間近く進んだところでソルが急に歩む速度を落としてしまった。

 

「イブロ、体力が三十八パーセント低下してるよ」

「問題ない……ハアハア……」


 言葉とは裏腹に息があがっているイブロ。

 街から古代遺跡まで二日の距離があるのだが、旅路を楽にするため探索者たちによって道中の休息所が作られている。

 休息所は最低限の数しか作られてはいない。そのため、大人の足でちょうどいい距離に休息所があるのだ。

 つまり……チハルの速度に合わせてここまで歩いて来たから、急がなければ休息所まで辿り着くことができない。当初イブロは休息所を利用するつもりはなかった。

 しかし、ソルという足を得て欲が出てしまう。より安全に野営するには、休息所で休んだ方がよいのだから……。

 その結果が、今のイブロであったのだが。

 

 歳のせいか無茶は効かねえな……。イブロは心の中で愚痴を吐く。その証拠に彼は止まってしまったことで、下を向き大きく息を吐く。

 

「十パーセントほど修復した後に行こう?」

「いや、このまま行く。大丈夫だ。そこまでは何とかなる」


 イブロは頬を両手でパシンと叩くと、先ほどまでより若干はやい速度で歩き始めた。

 

「えっと、こんな時は……」


 表情をどうすべきか悩むチハルは、結局、口角だけをあげ呟くのだった。

 

「うん、イブロ」


 ◆◆◆

 

 イブロが少しでも体力を回復させるため、水袋の水を頭から被ること二回……ようやく目的の休息所が見えて来た。

 何とか間に合ったな……イブロは安堵から肩を竦める。

 

 休息所はログハウスが二棟と野営用のかまどが一基あり、一夜を過ごすに充分な設備が整っている場所だった。とはいえ、ログハウスと言えば聞こえはいいのだが、近くにある木材を無理やり組み合わせただけの馬小屋というのが実際のところだった。

 それでも、屋根がある建物の中で一夜を過ごせるというのは、何もないところで寝泊まりするより遥かに居心地がいい。それだけでなく、モンスターに襲撃される可能性もかなり低くなるのだ。

 

 イブロはかまどの前にある切断して横倒しに転がされただけの丸太に腰かけ、水をごくごくと飲みほした。

 

「イブロ、ここで休むの?」

「ああ、ここなら比較的安全に泊ることができるからな。ギリギリになったが、間に合ってよかった」

「まだ日が沈むまでには、二時間と二十三分あるけど……」

「到着してから、飯の準備やら日が暮れるまでにしなきゃならないことがあるからな」

「ふうん、そういうものなの?」

「ああ、そういうものだ。だが、チハル」

「うん?」

「少しだけこのまま休ませてくれ」


 イブロは足を投げ出し、両手を上にやって伸びをする。

 夕食は何にするかな……なんて考えながら。

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