第7話 雷獣の事情

 ここは雷獣の親……おそらく雌と、その子供が二匹のねぐらに違いない。当初イブロは幼獣がいるから親が凶暴化していると思っていた。

 しかし、そうではなかった。親と一回りしか違わないもう一方の雷獣の子供――雷獣の若駒が巣穴の奥でせっている。本来この大きさの雷獣であれば、親と協力して狩りを行う。

 もう少し近寄らなければ詳細は分からないが、この雷獣の若駒は立てないほどの怪我をしているのではないだろうか。

 ならば、雷獣の親の目的は身の丈を超えた餌集めに違いない。

 

 後味は悪いが、これも自然の掟だ。イブロは伏せていた目をあげる。

 イブロと雷獣の親。出会い戦った限りはどちらかが負傷する。もしイブロが雷獣側の事情を知っていたとしても、彼は無抵抗でやられるという選択肢は取らない。

 結果は今と変わらないだろう。

 

 雷獣の親の右前脚は骨が折れている。これではしばらく満足な狩りはできない。子供たちももちろん狩りを行うことは不可能。

 親はどうなるか分からぬが、子供の運命は……イブロには容易に想像できた。

 その証拠に先ほど一撃を見舞われた雷獣の親は、イブロを睨みつけることもやめ彼へ向かってこようともしない。


「イブロ、すまないはごめんなさいのこと? 何か悪い事をした時に言う言葉だよね?」


 先ほど呟いたイブロの独り言に対し、チハルが疑問を投げかけた。

 相変わらずの抑揚の全くない声色で。

 

「言葉の意味は間違ってない、だけどな……人ってのは時に感傷的になるもんなんだ」

「よくわからないや」

「いずれわかる。ゆっくりと学んでいけばいい」

「うん、イブロ」


 イブロは念のためチハルを護るように彼女の後ろに立ちながら巣から出ようと踵を返す。

 いっそのこと、ここで傷ついている雷獣の若駒を……という思いが浮かんだが、彼は首を振りチハルの手を引く。


「どうしたの? イブロ。イブロは食べないといけないんだよね?」


 チハルはせっかく弱っている獲物を何故仕留めないのか疑問を持っているようだった。

 確かに、感情を抜きにして考えれば「食料確保」の機会だと言えないこともない。

 普段のイブロならば、恥ずかしさから「雷獣は食ってもうまくない」とでも言うところだったが、相手はチハル。

 彼女の今後の為にもちゃんと説明しておくことも必要か……とイブロは考える。

 

「チハル、俺はあいつらを倒す気が起きないんだ。だからこのまま立ち去ろうと思っている」

「それが『感傷』なの?」

「そうだな、これは俺のエゴだ。このまま放置していても雷獣たちに待っている運命は過酷なものだろうからな」

「そういう思いは『悲しい』?」

「少し違うさ。でもまあ、似たようなものか」

「悲しいのはよくないことだって記録にあるよ。ええっと、イブロが悲しくなくなるには……うーん、うーん」

「どうにもならないさ。時間は巻き戻らない」

「巻き戻す? そうしたらイブロは悲しく無くなるの?」


 どうも話がチグハグだな……イブロは苦笑する。しかし、いい傾向だとも彼は思う。こうして人間の感情を伝えて行くことで彼女が人間らしくなってくれれば。

 しかし、この問いにはどう答えたらいいものか。現実的ではない希望を言うべきか、それとも切って捨てるのか。

 

「そうだな、あいつらの時間が戻り元気になれば、俺の感傷は無くなるかな」


 イブロの出した答えは、希望だった。チハルへは子供のような夢物語を語った方がよいと思ったからだ。

 いや、違うな……イブロは首を振る。

 

「わかった。イブロ。あの雷獣の損傷を修復すればいんだよね?」

「何!?」


 イブロが驚きで固まっている間にもチハルは彼から手を離し、雷獣の母親の横をすり抜けて、奥で臥せる雷獣の若駒の前にしゃがみ込む。

 まずい! 今母親を刺激すると襲い掛かって来るかもしれない。イブロは心中でそう呟き、慌てて彼女を護るように後ろへ立つ。

 しかし、イブロの焦りとは裏腹に親の雷獣はその場から動こうとしなかった。

 

 チハルが言う修復とはきっと治療のことだろうと思ったイブロは、臥せる雷獣の若駒の様子を観察する。

 この若駒の怪我は思ったより深い。右前脚と左後脚があらぬ方向に折れ曲がり、強靭でしなやかな尻尾も半ばほどで千切れかかっているではないか。

 これではチハルが例え高い治療技術を持っていたとしてもどうにもならないだろう。むしろ、よくここまで雷獣が死なずに生きていたものだとイブロは感心する。


「チハル」


 イブロが思わずチハルへ声をかけるが、彼女は振り返らず彼の声に応じようとしない。

  

「修復を開始します」

 

 チハルは急に元の口調へ戻り、遺跡から持ってきた小さな魔石の一つを手のひらに乗せる。

 すぐにチハルの長い金糸のような髪が下から上へ吹きあがる見えない風のようなものへ煽られたかのように逆立ち、彼女の体がぼんやりとした暖かな光に包まれた。

 光はチハルから臥せた雷獣へ移り、更に光は雷獣の損傷個所へ集まり出す。

 

「修復中。現在修復率四十パーセント。修復完了まで後……三十三秒」


 目の前の幻想的な光景にイブロは目を奪われていた。これは伝説上の治療魔法なのか? 神なる光が迷える子羊に癒しを与えると言われる……。

 彼が茫然と眺めている間にもチハルの修復率の呟きが進み、ついに百パーセントとなった。

 

「修復完了。修復を終了します」


 目を開くチハル。

 

「チハル……すごい技術だがお前さんの体に影響はないのか?」


 もし自己犠牲を伴うものならば、チハルが以後このようなことしないように注意する必要があるとイブロは考える。

 こんな大がかりな神秘を使っては、彼女の体に大きな負担があったとしてもおかしくない。チハルには今後自分の体を第一に考えるよう教えなければ。

 

「ないよ。魔石を変換しただけなの」


 しかし、イブロの考えとは異なり、チハルの回答は意外なものだった。


「魔石ってその小さい魔石か」

「うん」

「見たところ、魔石の色は変わっていないように見えるが……」


 イブロの指摘通り、魔石の色は透明な青色のままだった。彼の知る魔石とは使うと色が赤に近くなっていくものなのだ。


「色は変わらないよ。小さくなるの」


 イブロの疑問へ答えるようにチハルは二つの小さな魔石を手のひらに並べる。

 確かにチハルの言葉どおり、一方がより小さくなっていた。

 

「じゃあ、後でその魔石も充填しないとだな?」

「ううん、この魔石は充填できないよ。使えばそれっきり」

「それは治療に使う魔石なんだな」

「ううん、違うよ。うんと……」


 チハルが更なる説明をしようとした時、臥せっていた雷獣の若駒が立ち上がり彼女へ迫る。

 これに対しイブロは体を緊張させ若駒へ対処しようと脚に力を込めるが、彼はすぐに力を抜く。

 何故なら……。

 

「どうして雷獣はわたしを舐めるんだろう」


 若駒はペロペロとチハルの腕を舐め信愛の情を示していたからだ。

 

「チハル。雷獣は誇り高き獣なんだ。命の恩は命で返す」

「修復されたから、わたしを修復したいってことなのかな?」


 思わず転びそうになってしまうイブロだったが、グッと堪えて苦笑しつつもチハルへ言葉を返す。

 

「そうじゃないチハル。ありがとうはありがとうで返したいってことだ」

「雷獣はわたしにありがとうって思っているの?」

「そうだ」

「よくわからないや……。でも、ありがとうっていい事だって記録があるから、それでいいのかな?」


 イブロは目を細めチハルの頭を撫でた。

 

「そうだ。その通りだ。チハル」

「うん、イブロ」

「じゃあ、行くか」


 立ち去ろうとする二人の後ろから若駒がついて来る。そんな若駒の様子を慈愛の籠った瞳で母は見つめ、若駒の門出を祝うかのようであった。

 

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