第6話 雷獣

 古代遺跡から出たイブロたちは森へ歩を進めていた。森といっても規模の大きいものではなく、まばらに広がった木と膝上あたりまでの草が占める温帯性の草原といっても差し支えない。

 それ故、馬車はさすがに通過するに厳しいが、馬ならば問題なく進むことが可能である。

 

 遺跡から出て森を進むこと二時間ほど、イブロはチハルの体力に驚きを隠せなかった。歩みこそ同じくらいの背格好の人間と同じ速度であるが、彼女は汗一つかかず疲れた様子をまるでみせなかった。

 彼女の動きは遺跡の地下奥深くで対峙したガーゴイルを彷彿させる。淀みなく同じ速度で動き、止まることを知らない。

 む。イブロはここまで考えたところで、倒れ伏したガーゴイルの姿が脳裏に浮かぶ。ガーゴイルは糸が切れたように突然微動だにしなくなったのだ。

  

「チハル、休まなくても大丈夫か?」

「うん、大丈夫ー」


 ガーゴイルとチハルの姿が重なったイブロは急に不安になり、隣を歩くチハルへ問いかけるも彼女の返答は素っ気ない。

 気を付けていたつもりだが……イブロは自身の聞き方がまずかったことに気が付く。

 

「チハル、動きっぱなしで突然止まったりしないのか?」


 そう、彼女へ問いかける時は具体的に聞かねばならない。イブロの予想は正しく、チハルから彼が期待した返答が戻ってきたのだった。


「歩くのは八時間までだよ。あと、一日に六時間は寝なきゃダメなの」

「そうか。ありがとう」


 イブロはふわっふわのチハルの頭を撫でる。

 まあいつもの無表情だろうなと思い彼女の顔をちらりと見やるイブロだったが、ほんの僅かではあるがチハルの眉が下がっているような気がした。

 そんなチハルの様子にイブロの口元も綻ぶ。

 

 とその時、イブロの背筋に悪寒が走る。

 気配は感じない。だが、何かが近くに潜んでいる。イブロは自身の直感を信じ、チハルを抱え込むようにして全神経を注ぎ探る。

 

――だが、やはり目に見える範囲には何も確認できず、こちらに向けられた敵意も感じることができない。

 あの木の裏か、それとも草むらの影……はたまた草むらで見えなくなっている窪みの中に息を潜めているのだろうか。イブロは腰のダマスク鋼の棒に手をやる。

 こちらの手はまだ見せない。この武器は初見ならば、相手の裏をかくことができるのだ。奇襲を狙うまだ見ぬ敵へ逆に奇襲を喰らわせてやる。イブロはギリっと歯を鳴らした。

 

「チハル、そのまま伏せてくれ。何かが俺たちを狙っている」

「うん」


 イブロは危険動物の縄張りをなるべく避けるように歩いてきたつもりだったが、自分に気配を感じさせない相手となるとそれなりの強者のはず……。

 チハルは何が起こっているのか理解しているのだろうか? いや、見えぬ恐怖に肩を震わせることもない彼女の在り方はことこの時にあっては、大きな利点だ。

 その証拠に、彼女は怯むこともまるでなく表情一つ変えずイブロの指示通りその場で四つん這いになり伏せの姿勢を取った。

 

――イブロは風を感じる。

 あそこか! 敵は木の上に潜んでいた。枝が大きくたわみ、イブロが気が付いた時にはもう彼らに向かって空より急襲をかけている。

 敵の体躯はヒョウのようであった。濃い緑色の肌地に黒のまだら模様が浮き出た毛皮を持ち、口からは顎下まで伸びる牙が左右に二本生えている。

 しかし、そのモンスターはヒョウに似ていながらサイズは倍近かった

 

 そんな巨体が空から勢いをつけて落ちて来たのだからたまらない。だが、イブロの驚きは一瞬だった。すぐに彼はダマスク鋼の棒へ「伸びろ」と念じる。

 躱すわけにはいかないのだ。チハルに当たる。ここは……。イブロはモンスターを睨みつけ、身の丈ほどの長さになったダマスク鋼の棒を横なぎに払った。

 次の瞬間、モンスターの前脚とイブロの棒が交差しお互いに押し合う。しかし、それも長くもたずイブロは後方へ吹き飛ばされてしまった。

 一方のモンスターも勢いを完全に殺され、右方へよろけながら体が流れる。

 

 さすがに無茶だったか……イブロはじんじんと痺れる手に顔をしかめながらもモンスターが動き出す前にチハルの前に出た。

 チハルはそれだけでイブロの動きを察し、立ち上がって彼の後ろへ退避する。

 

 乾坤一擲の奇襲を凌がれたからだろうか、モンスターはぐるぐると唸り声をあげイブロを睨みつけるばかりで踏み出そうとしない。

 イブロはイブロで先ほどの攻防で痺れた腕がまだ回復しておらず、後ろに守るべきチハルが控えていたから動くことは無かった。

 

 睨みあう両者。

 一見したところ動きが無い両者であったが、イブロは内心冷や汗を流していた。

 あれは雷獣だ。イブロは心の中で独白する。

 なるほど、雷獣ならば気が付かなくても無理がない。奴は樹上に潜み地上を歩く獲物へ一息に襲い掛かることを得意としている。あの体色は木の葉に紛れるための保護色なのだ。

 敏感な草食動物でさえ雷獣の接近に気が付くことができないほど奴らの潜伏は巧みだ。

 動いている雷獣でさえ耳を研ぎ澄ませねば接近に気が付くことはできないというのに、ましてや息を潜め待ち構えていた雷獣なら尚更不可能ごととなる。

 問題は奴らは数匹で狩りを行うことが多いということなのだ。

 一匹ならこのまま押し切ることは……おそらくできる。見たところ、奴の右前脚は折れているからな。

 行くか……それともこのまま待つか。イブロは迷う。

 

 イブロは棒を握りしめる手に力を込めると、一歩前へ踏み出す。

 しかし、雷獣はそんな彼の動きに対して目を逸らし右前脚をかばいながら踵を返したのだった。

 

「チハル、奴を追う。掴まれ」


 イブロはチハルへ手を差し出すと彼女の手を握りしめ、もう一方の手を彼女の腰に回しひょいと彼女を抱え上げた。

 ダマスク鋼の棒を腰に戻したイブロはチハルを姫抱きし、雷獣から距離を取りつつ後を追う。

 奴が単独ならばそのまま見逃す。もし仲間がいるようならば、強襲される前に仲間を仕留めねば……。

 

 雷獣が万全の状態ならば、彼らはすぐにそれを見失っていたことだろう。しかし、右前脚をかばう雷獣であればチハルを抱えたイブロであっても追いかけることができた。

 ものの五分も追いかけぬうちに、雷獣は森を抜けて切り立った崖のところへ出た。そして、雷獣はぽっかりと空いた横穴へと入っていく。

 

――チャンスだ。

 イブロは口元に笑みを浮かべる。仲間がいたとしてもあの洞穴に陣取れば後ろを取られることはない。それに、休息するにもあの場所はもってこいだ。


「チハル、俺の後ろをついてきてくれ」

「うん。イブロ」

 

 イブロはチハルを降ろし、ダマスク鋼の棒を構える。

 

 ◆◆◆

 

 洞穴の中に入るとさきほどの雷獣が襲い掛かってきたが、イブロには予想できたことだったので軽くいなし雷獣の脇腹へ一撃を見舞う。

 そこで前を向くイブロの目には、二匹の雷獣が飛び込んできた。

 

 一匹は先ほどまで対峙していた雷獣より一回りほど小さい。もう一方はまだ生まれて数週間ほどなのか大型の猫ほどの大きさだった。

 

「なるほど。すまんな……」


 イブロは雷獣たちの状況を察し、謝罪の言葉を述べる。

 彼に襲い掛かってきた雷獣はこの二匹の母親だったのだろう。小さな幼獣を抱える動物は外敵に対して普段以上に厳しくなる。だから、この雷獣はイブロたちに牙を剥いたのだろう。

 い、いや、違う。イブロは思わず目を伏せた。

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